第2話 再会

文字数 2,464文字

目が覚めると、そこは昔よく散歩していた河川敷の土手だった。
(夢を見ていたのか・・・・)
辺りを見回しても、記憶にある景色と何ら変わりはない。
背丈の高い草に覆われた部分と、綺麗に整備された部分が、はっきりと区切られ、河の近くには水草が生い茂っている。
どこにでもあるような風景だが、橋の錆びた感じや遊歩道の亀裂などはあの頃と変わりなく、そこが思い出の場所だということははっきりと分かる。
ただ、人も車も見当たらない事だけが、違っていた。
本来なら、犬を散歩させている人や、学生が自転車をこぐ姿、配送の車や自家用車がそれなりに往来している場所なのに、今は、誰もいない。
下に流れる川の音がはっきりと聞こえるほど、辺りは静かだった。
まるで自分だけがここに存在しているような、妙な感覚だった。
(何が起きているのか・・・)
さっきの喫茶店でも混乱したが、またもや訳の分からない状態に混乱しかけている。
(なぜこの場所にいるのだろう・・・さっきまで喫茶店に・・・いや、そもそも夢を見ているのか、夢を見ていたのか・・・)
立ち上がって、辺りを再度見回す。
先ほどは気がつかなかったが、視線の先に、見覚えのある後ろ姿があった。
(まさか!いや、そんなはずは・・・・でもあれは・・・・)
否定と肯定が入り交じり、混乱はさらに速度を増す。額から汗が噴き出し、心臓がバクバクしている。
その姿がこちらを振り向いて、こちらに歩いてきているのが分かる。
そして、その顔を見て確信する。
(沙織は死んだはずなのに・・・なぜ・・・ここに・・・)
あまりの混乱のせいで体は硬直し、金縛りに遭ったかのように動かない。
その間に、その姿が洋一の方へと近づいてくる。
近づけば近づくほど、間違いなく沙織だった。20年以上も連れ添った妻を間違えるはずはない。
「どうしたの?こんなに汗かいて。」
沙織は生前と変わりない笑顔で洋一を見つめ、自分の袖で洋一の汗を拭った。
自分に何が起きているのかは全く理解出来ない。
沙織は死んだ。洋一が骨を拾ったのだ。そして、埋葬されてもう半年が経つ。
それなのに、今、目の前にいるのは、生きている沙織に他ならない。
「沙織・・・・・?」
言葉が出てやっと、体の力が抜け、代わりに涙がこみ上げてくる。
信じられず、そっと沙織の頬に手を当てる。
(触れる・・・・)
「本当に沙織か?本物なんだな?」
沙織の両肩をつかんで揺さぶってしまった。
「本物よ。夢でも幻でも無く。でも、ここにいられる時間は少ないの。だから、落ち着いて話をしましょう。まずはその手を離してもらえる?少し痛い。」
ハッとして手を離す代わりに、そっと抱き寄せた。
沙織は温かかった。最後に触れたあの時の何倍も。
まるで死んだことが嘘のように、沙織がここ立って話をしている。
沙織から手を離し、袖口で涙を拭うとまっすぐ沙織を見た。
「僕と一緒に帰ろう。探し物は沙織だったんだ。見つけたから、一緒に帰れるかもしれない。」
自分で言っていることがどんなに非現実的なことかは分かっている。しかし、そうだとしても、すでに洋一がここにいること自体、いや、あの喫茶店に入った時点で非現実的な事だ。
しかも桔梗は探し物を見つけられると言った。ならば、沙織を連れて帰れるかもしれない。そう思った。
自分でも驚くほど動揺し、焦っていた。早く沙織を連れ出さないと、と。
しかし、沙織は冷静に洋一に言葉を返す。
「あなた、落ち着いて。私はあなたとは帰れないの。もう私の肉体はないのだから。でも、こうして会って話す時間をもらえたのよ。それだけでも奇跡だわ。」
急に現実を突きつけられたようで、一瞬、固まる。
そう、沙織の体はあの日、灰になった。真っ白な灰に・・・
「でも、今こうして触れているじゃないか。それに体温だってある。どうにかすれば!」
「あなた。無理なのよ。ここにいるから感覚も体温もあるけれど、ここから出てしまえば、私は消える。」
「そんな・・・じゃあ、僕とここにいよう。ここにいれば消えないんだろ?」
「・・・・もう、あなたと生きる事は出来ないの。あなたは生きている。私は死んでいるのだから。」
「じゃあ僕が死ねば、沙織といられるのか?」
「いいえ。あなたが死んだとしても、私と会えることはないでしょう。人は死んだら大きな渦の中で思い出と共に漂うの。いつかその日が来るまで。だから、会うことも、話す事も出来ない。本来なら。」
死後の世界・・・・
宗教の中では、いろんな死後がある。天国と地獄、輪廻転生、無・・・・
どれが正しいかなんて、死んだことのない洋一には分からなかったが、沙織はその世界のことを語っているのだ。
「なら、ここで出来ることは・・・」
「会って、話をする。それだけよ。」
会って話すだけ・・・・そんな・・・
「とにかく腰を下ろして落ち着きましょう。あなたがそんな状態では、話したくても話せないから。」
そう言って沙織は力の抜けた洋一の腰の辺りに手を置いて、座るように促した。
洋一はそれに従って、腰を下ろす。
話して何が見つけられるというのか・・・・
自分の思考と、置かれている状況を整理しながら、少しずつ自分を落ち着かせる。
「ここ、懐かしいわね。私は落ち込むとここに来て、ボーとすることが多かった。あなたとも何度か歩いたわね、若い頃だけど。」
洋一の思考を遮るように、沙織が遠くを見ながら目を細めて、話しかけてくる。
「ここに来たって事は、聞きたい事があるんでしょ?」
洋一が言葉を返す前に、沙織が言葉を続ける。
その表情は、切なく悲しみを帯びていた。
「私がなぜ、死を・・・選んだのか。それが聞きたいんじゃない?」
聞きたい事は沢山ある。しかし、全ての質問はそこに集約される。
なぜ、沙織が自殺という選択をしたのか。なぜ、遺書も何も残さなかったのか。そして、洋一はなぜ沙織を助けられなかったのか。
夫婦生活は、他の夫婦よりも上手くいっていた。
確かに生活は苦しかったが、お互いが支え合って、この20年以上の生活を送っていたはずなのに。
洋一は、どこで選択肢を間違えたのかと、過去を振り返っていた。
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