第1話 見上げる

文字数 3,509文字

裕子はずっと上を見ていた。
電線の上、人の家の屋根、鳥の群れ、公園の木々。
それでも、見つけられない。
こうして、何時間も上を見上げて探し始めて、もう5日。
どんなに探しても、あの子は見つけられなかった。
諦めようと何度も考えたが、気がつけばこうして、探しに来てしまう。
食事も喉を通らず、睡眠さえままならない。
引っ越しの後片付けで忙しい合間を縫っては、この町を歩いて回っている。
何かしらの手がかりでもあれば良いが、そんな物が見つかるはずもなく、後悔の念と少しの希望だけを抱えて、ただひたすら歩き回っていた。
そして気がつけば、郊外の小さな山へとたどり着いていた。
鬱蒼と茂る木と草の間に、人が歩けるほどの道のような物が見える。
もしかしたら、この山に迷い込んでいるのかもしれない。
そう思って、とにかく道が続く所まで進んでみようと思った。
正直、もしこの山の中に迷い込んでいるとしても、あの子が見つかる確率は奇跡に近い。
広いこの森の中でピンポイントにここにいる可能性は、低いだろう。
それでも、もしかしたら・・・という甘い期待を抱きながら、前へと進む。
葉の隙間から見え隠れする枝の上や、物音のする方向を慎重に見ながら。
坂を下って少ししたとき、視界が一気に開けた。
道はここで終わっており、辺りを覆っていた木々がなくなり、広場のようになった場所。
先ほどまでしていた、葉擦れの音もなくなり、しんとした空間だけが広がっている。
少し不思議な雰囲気の場所だった。
ここまでか・・・・
そう思って、辺りを見回した瞬間、パッと目がくらむほどの光が視界を奪った。
眩しいというよりも、目が痛くなるほどの強烈な光。目を閉じてもその光は目に飛び込んでくる。
どれくらいたっただろう。一瞬の様にも、数分の様にも感じられた時間の後、光が落ち着いたのか、目に刺激がなくなった。
恐る恐る瞼を開く。
ぼやけた視界の中で何かが見えた。
もう一度、ぎゅっと目を閉じてゆっくりと瞼を開ける。
・・・・・・・・・・・
目の前に現れたのは、ログハウスのような建物。先ほどまでは確かに存在してはいなかった物が、裕子の目に映っている。
・・・・・・・・・
もう一度目を閉じ、開いて、目を擦って見たりもしたが、その建物が消えることはなかった。
何が起こったのか分からず、ただそこに固まって佇んでいると、その建物の一部が動く気配がした。
扉だろう。そこから現れたのは、小さな鳥を肩に乗せた、綺麗な女性だった。
ハッと我に返り、その女性の肩の鳥に視線が移る。
あの子ではない・・・
鳥ではあっても、色も姿もあの子とは似ても似つかない。
よく見なくても、その小鳥は朱色で、裕子が探している子は白色。それだけでも違うと一目で分かった。
「小林様。お待ちしておりました。」
女性から発せられたであろう声に、再びハッとすると、やっと辺り全体の景色が目に入る。
小さな洋風の庭園に並べられた机と椅子の奥に、ログハウスが建っており、入り口には看板の様な物が掲げられている。
「Gingkgo」
確か銀杏の英名だった様に思う。この建物の名前だろうか。
「小林様。どうぞ中へお入りください。」
扉を開けたまま立っている女性が、声をかけてくる。
そのあまりの美しさと、自分の名字を知っている事に不気味さを感じ、足は動かなかった。
自分に何が起きたのか、何が起きているのか理解出来ない。冷静な自分とパニックになっている自分が存在して、どうして良いか分からなくなった。
ただ、不思議と怖いとは感じなかった。不気味ではあっても、この場所に恐怖は感じない。
じっとその女性から視線を外せずにいると、急にかわいらしい声が響いた。
「ねぇ探してる物があるんでしょ?だったら、入っておいでよ。」
先ほどの声とは明らかに違うトーンではあるが、ここにいるのは裕子と女性だけ。
「僕だよ。僕。ここにいるでしょ?僕を無視しないで!」
その声のする方を見ると、あの朱色の鳥?
・・・・・・・・・
腹話術?
鳥が喋るなんて・・・いやインコやオウムには人の言葉を覚えて話す子も多い。
あの子もその類いか・・・
「違うよ。僕は僕の意志で喋ってるんだよ。僕は僕で、誰にも操られてなんかいないもん。」
「朱居、お客様に失礼ですよ。ちょっとお黙りなさい。」
「はーい」
そのやりとりを聞いた後、裕子の思考と意識は停止した。



気がつくと、見慣れない屋根が目に入った。大きな木を組み合わせて作られた梁に、センスのいいライトがぶら下がっている。
「気がつかれましたか?良かった。随分と驚かせてしまった様で、申し訳ありません。」
裕子をのぞき込んで声をかけてきたのは、先ほどの女性だった。目が覚めてもその女性がいるということは、夢ではなかったらしい。
ゆっくりと起き上がり、辺りを見回す。
どうやらここは、あの建物の中らしい。
上半身を起こした状態で、その女性をもう一度見る。
「私は桔梗と申します。さぞ混乱されたことでしょう。状況をご説明させて頂いても、よろしいでしょうか?」
裕子の視線に返事を返すように、その桔梗という女性は問いかけてきた。
それに頷くことしか出来ずに、取りあえず椅子にきちんと腰をかけ直す。
そこでやっとこの建物の内部の全体が見渡せた。
かわいらしい装飾と、木の色合いがなんとも安心感をもたらす様な作りになっている。
奥の方には厨房?らしき物が見えており、なんとも良い香りが漂っているが、カフェか何かなのだろう。
ただ机にはメニューらしき物はなく、小さな花瓶に花が1本挿さっているだけで、後は何もない。
そう思っていたら、奥から別のかわいらしい女性が何かをお盆に載せてきた。
「こちらは当店でブレンドしたハーブティーでございます。」
そう言って、裕子の前にカップとポットを置いて一礼した後、去って行った。
「勝手ながらこちらでお飲み物をご用意させて頂きました。飲みながら、お話をお聞きください。そう長い話でもございませんので。」
そう言って桔梗はポットから透明な液体をカップに注ぐ。すると不思議な事に淡い青色へと変化した。
普段ならそれだけでも驚く事だが、今の現実離れした状況では、さほど驚きはなかった。
カップにつぎ終わると、そっと裕子の前にハーブティーを差し出す。
少し甘い、それでいてスパイスのような香りもする。
その香りにつられて、カップに口を付けた。
何も入っていない胃の中に、温かな飲み物が染み入るのが分かる。
味を表現するのは苦手だが、すっきりとしていて飲みやすく、不思議と心が落ち着いた気がする。
「では、お話しさせて頂きます。ここは、なくしものをされた方のみがたどり着ける場所でございます。他にも条件はありますが、小林様はその条件に合い、そしてお社様に選ばれたのでございます。」
返す言葉が見つからない。
「突然のことで、思考が追いつかないかもしれませんが、ここは夢でも、幻でも、幻覚でもなく、紛れもなく現実でございます。ただ、ここへ来られる方は限られておりますので、そう言われても信じない方もいらっしゃいますが・・・」
「確かに、いきなり言われても・・・正直戸惑うだけです。」
裕子は素直に答えた。
「小林様・・・何かなくしものをされて、探されていたのでは?」
確かに探していた。だが物ではなく、それは鳥だ。
五日前、引っ越しの最中に誤ってロストさせてしまった、セキセイインコのホワ。白くて、ホワホワなその子を探していた。
「探していたのは・・・鳥です。インコのホワ。私にとってかけがえのない存在・・・」
そこまで言うと、涙で視界が曇り始めた。胃の辺りがキュウっと縮まる。
「そうですか。ホワちゃんというのですね。あの子は・・・」
「ホワを知っているのですか?ここにいたりしますか!」
裕子は身を乗り出して、今にも桔梗に抱きつく程の勢いで、そこ言葉に食いついた。
「ここにはおりませんが・・・・会うことは可能です。ただ、小林様の思っている形ではないかもしれませんが・・・」
「それは・・・どういう意味ですか?」
「お話しましたが、ここはなくしものをされた方のみがたどり着ける場所・・・なくしものとはこう言う時を書きます。」
そういって桔梗は胸元から取り出した紙とペンで文字を書き始めた。
そこに書かれていたのは、
「亡くし者」
それを見た瞬間、理解した。心の隅では分かっていた。大半のインコの末路。
その現実が今、突きつけられた。
裕子は足の力が抜けて、椅子にストンと腰を下ろした。
やはり・・・ホワは・・・
「ホワちゃんもあなたに会いたがっております。ここへ来られたのも、深いつながりがあってこそ。最後にホワちゃんに会われてください。小林様。」
そこまで聞くと急に視界が闇に飲まれた。

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