第2話 存在

文字数 2,721文字

目が覚めると、数日前まで住んでいたアパートの一室だった。
引っ越しをしたはずなのに、家具の配置も以前のまま、整然と並んでいる。
夢の中か・・・
そう思いながら、辺りを見回すと、空になった鳥かごが目に付いた。
ホワ・・・・
そこにいたはずの小鳥の姿はなく、裕子が手作りした、いびつな玩具がぶら下がっている。
主がいないカゴの空しさに、心が痛んだ。
「ママ・・・何を泣いてるの?悲しいことがあった?」
静寂の中を突然、かわいらしい声が響く。
ビックリして振り向くと、そこには白くて小さな小鳥が一羽、こちらを見つめている。
ホワ・・・・!
間違えるはずもない。正真正銘ホワが棚の上に佇んでいる。
「ホワちゃん!ホワよね?」
そう言いながら、急いでそちらへ近づく。とは言っても狭い部屋だ。2,3歩進めば届く距離だが、気持ちは焦っていた。
「そんな勢いで来られたら、僕、潰れちゃうから!」
ホワが裕子の勢いに後ろへ2,3歩下がる。
「ホワ・・・が喋ってるの?ママの言葉が分かるの?」
「そうだよ、僕が喋ってる。僕もビックリだけど、ママの言葉も分かるよ。」
あんなに探し回ったホワが今、目の前にいる事さえ信じがたいのに、ホワは裕子の言葉を理解し、喋っていることにも、普通なら驚愕する場面だろうが、それよりも、ホワに会えたうれしさの方が勝っていた。
「ママ・・・僕のこと、怒ってる?」
心なしか俯き加減でホワが話しかけてくる。
「なんで、ママがホワ、を怒るの?」
その愛くるしい仕草に涙が溢れて止まらなくなる。
嗚咽で声が出しにくい。
「ホワがここから出ちゃったから・・・」
そう言って翼を窓の方へ向ける。
「ホワ・・・ゴメンね・・・ホワは何も悪くない。ママが・・・ママが・・・」
そこから先は、声が出なかった。失った悲しみと、再び会えた喜びが入り交じった涙が溢れて、言葉が続かなくなってしまった。
「ママ、ママ、泣かないで。泣かれると僕も悲しいよ。」
そう言って、裕子の肩に飛び乗り、涙をなめるかのように嘴で頬を突いてくる。
ホワは裕子が落ち込むと、それが分かるかのように、よくこうして肩の上に乗り、頬を突いていた。
小さな目が不安そうにこちらを見る姿も、依然と変わりない。
そんな姿により一層涙が溢れて、止められなかった。
これが夢であってもいい。こんなにも近くにホワがいるのなら、こうしてホワと話が出来るのなら、この一瞬を止めてしまいたかった。
「ママ・・・僕はそう長くここにはいられないんだ。でもでも、ママとお話したいと思ってた。だから泣かないで、僕とお話しよ?」
涙でかすんだ先に、翼をばたつかせながら、目の前をバタバタ飛んでいるホワの姿が映る。
「ここ、が、夢だから?」
「違うよ。ここは夢の世界じゃないよ。ちゃんとママは起きてるし・・・僕もよく分からないけど・・・ママとお話出来るように、何かがしてくれたの。それが何かも僕には分からないけど・・・でも僕はママに会いたかったし、ママとずっとお話したかったから、ママに泣かれると、僕は悲しい・・・」
そう言ってまた裕子の肩に止まる。
裕子は必死で目と鼻を拭うと、その指先を肩に当てて、ホワをそこへ乗せる。
小さな足でしっかりと掴まれた指先に、かすかにホワの体温が伝わってくる。
目の前へホワを移動させると、ホワが首をかしげてこちらをのぞき込む。
まだ止まらない涙をもう片方の手で拭いながら、裕子もホワを見つめ返す。
たった数日会っていなかっただけなのに、ホワの温かさも重さも懐かしく感じてしまう。
「ママ・・・僕はよく分からなかったの・・・ここから出ちゃ行けないってママが言ってる意味も、怖い物がいるっていうことも・・・」
表情は変わることは無いが、声だけで落ち込んでいる事は分かった。
「そうだよね。今みたいに、ママの言葉が理解出来るわけがないもの。だからこそ、ママがもっと注意しておくべきだったのに。ママが油断したばっかりに・・・」
「違うよ・・ママの言ってる事、全部が理解出来なかったわけじゃない。簡単な言葉は、分かってたんだ。ママが僕を褒めるときは、良い子って言ってた。僕を叱る時は駄目でしょ!って。そういう言葉は理解出来てたと思う。でも、窓の外に行ってみたくなったんだ。だからあの日、ここに戻れなくなるとも思わずに、飛び出しちゃった・・・」
裕子はそれを頷いて、聞いているしか出来ない。涙は止められず、今も頬を静かに伝っていく。
「ここから出た後、すぐに僕より大きな鳥に追われたんだ。見たことの無い鳥だった。僕は怖くて、慌てて逃げた。羽を必死に動かして前へ前へ。それで気がついたら、僕は全く知らない場所にいた。帰ろうにも、僕の家が分からなくなっちゃったの。」
「僕はお家の中しか知らなかったから、外から見たことが無かったから、お家が分からなくなっちゃった。」
どんなに心細く、どんなに悲しかっただろうと想像するだけで、胸が押しつぶされそうになる。
裕子は、つくづく後悔した。ホワにクリッピングをしていなかったことに。
風きり羽を短くしていれば、遠くに飛んでいくことも、無かった。きっと見つけられたはず。
だが本来、鳥は飛んで当たり前で、自然で無い状態にすることに抵抗を持っていた裕子は、それをしなかった。
「ゴメンね。ママがもっとちゃんと・・・そうだよね。お家、分からないよね。ホワがいなくなって、ずっと探したけど、ママもホワを見つけられなかった。見つけてあげたかった・・・」
ホワは裕子の肩と手を行き来しながら、話を続ける。
「僕ね、ここに帰りたくて、いろんなとこを飛んだの。ママの姿を探して、下を見ながら。夜は、大きな木の陰で眠った。朝になったらお腹がすいて、でも食べるものも無くて・・・でもまた飛んで・・・そしたら、上からすごく大きな鳥が僕をつかんだの。そのまま僕は・・・」
それ以上は聞かなくても、十分理解出来た。カラスかトンビかは分からない。でも餌も食べておらず、弱ったホワは簡単だったに違いない。捕食するには・・・・
「痛かったよね、怖かったよね。ゴメンね・・・ゴメン・・・」
ロストされた鳥は、運良く見つかったり、保護される場合もあるが、殆どは餓死してしまうか、捕食されてしまう。そんなことは、ちゃんと知識として持っていた。だからこそ、戸締まりを最大限に注意していたのに、一時の油断。忙しさに気を取られた一瞬の油断が、この悲劇を招いた。そして、心のどこかに、ホワが裕子の元から飛んで逃げるはずがないという根拠の無い自信があったのだ。
今更、どんなに後悔しても取り戻せない。どんなに反省しても、過ぎた時間は戻らない。
それはどんなに謝っても、取り返しの付かない。それでも、謝らずにはいられなかった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み