第3話 癒やし

文字数 4,236文字

ホワと出会ったのは、私が精神的に弱り切っている最中だった。会社にも行けず、唯一、出かけられた場所。
歩いて数分のショッピングモール内にあるペットショップの一角、小さなプラケースの中で、一際大きな声で鳴いていたのが、まだ羽のそろっていない、ツンツン頭のセキセイインコ。
色はきっと白なのだろうと予測するしかないぐらいの羽の量。大きな口を開けて、ピーピーと鳴きならが、プラケースの隅でもがいている。
犬や猫を一頻り見た後で見つけたそのインコが、一瞬で脳裏に焼き付いた。
友達が文鳥を飼っていて、それに触れさせてもらってから、いずれは飼いたいな・・・とは思ってはいたが、何分、自分の世話が出来ない状態の私に、今、このインコを飼うことが出来る自信がなかった。
それに、飼うつもりで立ち寄ったわけではない。持ち合わせもなかったし、その日は眺めるだけ眺めて帰った。
けれど、次の日になっても、あのインコの姿が頭から離れず、何かモヤモヤしていた。
同棲している彼にそれとなく話してみたり、もし飼えるとしても、ちゃんと世話が出来るか考えたり・・・
そうこうしているうちに1週間が経ち、またそのペットショップへ足を運ぶ。
もういなかったら、それは縁がないということだろうと思いながら、あのプラケースの前へ行くと、この前より羽が生えたそのインコはまだいた。
彼も連れてきていたので、そのインコを見せる。この前と同じように大きな口を開けて、元気に鳴いていた。
意外にも安価なことに彼は驚いてはいたが、それよりもやはり、面倒をちゃんと見られるのかという不安の方が大きかった。このくらいの雛は、まだ人の手で餌を与えなければいけない。それを怠れば、雛は育たない。
その命の責任を裕子が果たせるのか、そこがネックになって、飼うことをためらわせていた。
そしてその日も、そのまま店を後にした。
ただ、思いがけないことに、精神的に疲れて、会話も減っていた彼と、インコのことで話をする機会が増えた。
人と喋る事さえ億劫だったのに、そのインコの事を話す時は楽しかった。
次の日、彼がインコの飼い方の本を買ってきてくれた。インコを飼う上で、必要な事を知った上で、自分で出来るか判断したら?という言葉を添えて。
今までインコを飼った経験はあった。昔の話ではあったし、母が鳥好きだったので、裕子もなんとなく、飼っていた。
でも、こうしてインコの飼い方をちゃんと読んでみると、随分と乱暴な飼い方だったことに気がつく。
鳥は外で飼っていたし、餌を与えれば良いと思っていたが、そんなのは大間違い。
温度管理や、栄養管理、食べてはいけない物、病気の種類。その他にも多くの知らない事が書かれていた。
正直、驚いたし余計に自信がなくなりつつあった。
でもそこで彼の後押しがあった。そんなに飼いたいのなら、協力すると言ってくれたのだ。
理由は後で知ったが、裕子が元気に話すのを久しぶりに見たことと、前向きに何かをしようとしてるのなら、それが回復のきっかけになればと思って、彼なりに決心をしたという事だった。
まだ迷いがあった。でも頭から離れないあの子をどうしても、迎えたい・・・その一心で決めた。
翌日、彼の休みでもあったので、二人でペットショップへ行き、一目散にあの子のいるケースへ近づいた。そこにはまだちゃんとあの子がいた。店員さんに声をかけ、その子を初めて手に包んだ。
小さな小さなその体から伝わる、温かな体温と、必死に鳴いている姿が、愛おしく可愛かった。
「この子、ください」
もう迷いはなかった。店員さんに聞きながら、一通り必要な物を買いそろえる。玩具やヒーターも買った。
玩具一つとっても、インコに良い物と悪い物がある。輪っかがあったり、素材が鉄だったり、危険な物もあるので、要注意だ。それも本から知った知識だった。
鳥を飼っている友達にも連絡して、鳥を見てくれる病院を紹介してもらった。
犬猫は見てくれる病院が沢山あるが、小鳥は限られる。幸い市内にある病院を教えてもらい、飼ったらすぐに病院へ行くことを進められた。
鳥の突然死を引き起こすウイルスをセキセイは殆どが持っており、発症したら大変だから、早めに対処しておく方がいいとも教えてくれた。
連れて帰る道すがら、病院へ連絡して早速、予約を取る。
家につくと、小さな紙の箱に入れられたその子を、牧草を敷いたプラケースに移し、保温マットをひいて温度を確認する。
その後、餌をあげるためにお湯を用意したり、玩具を消毒したりして、あっという間に1日が過ぎた。
何日ぶりだろう・・・こんなにも意欲的に動いたのは。
彼と一緒に名前を決めた。白くてホワホワしているから、ホワ。なんとも安直だが、こうしてホワはこの家の一員になった。
ホワはよく食べ、よく眠る。
食べる時はまるで、何日もご飯を食べてないのかという程の勢いで食べる。そして満腹になれば眠る。
どんな姿も可愛い。
2週間もすると、自分でご飯を突きたがった。羽も大分生えそろい、胸の部分にはまるで空の様な水色の羽が見え始めた。
1ヶ月もすると、プラケースからゲージへと変わり、自分の足で止まり木に止まって、ご飯をついばむ。
最初は不安で仕方なった世話も、大変な時もあったが、徐々に慣れていった。
落ち込んで涙が出る日も、気分が沈んで何もしたくない日も、ホワは変わらず私の肩に乗る。
そして、いつの間にかホワは、裕子の支えとなり、なくてはならない存在になった。
ネットでインコの動画を見ることも多くなり、生活用品にインコの柄が増えていく。
インコの柄の物やインコの置物を見たら欲しくなるし、彼もいつしか、インコの虜になって、二人でインコグッズを集めるようになった。
そして、その姿に癒やされ、励まされ、私は仕事に復帰することが出来た。
どんな時も変わらない。どんな時も側にいる。
人間なんかよりも小さくて、意思疎通も出来ないけれど、ただそこにいてくれるだけで、自然と心が解けていった。
たまには悪戯したり、咬んだりすることもあったけれど、それでも愛おしい気持ちに変わりはなかった。
全てがホワのおかげというわけではないかもしれない。
薬や、周りの人たちの支えもあってこそ、立ち直れたのだと思う。けれど、ホワがいなければ、もっと悪化したり、会社への復帰も伸びていたかもしれない。周りの人の意見も耳に入らなかったかもしれない。
きっかけをくれた、それがホワだった。
復帰後も不安定な状態が続いてはいても、帰ればホワがいる。
仕事中もホワに会いたくなる。
苦しくて泣きそうなときも、ホワの写真や動画で励まされた。
1年もした頃には、ホワもおしゃべりするようになった。
「ほわちゃん、かわいい」
「ほわちゃん、すき」
「おはよう」
そんな単純な言葉から、教えてないのに覚えた言葉を、何の脈略もなくつなげて、話す。
時には思いもよらない言葉を話して、裕子達を笑わせ、時にはタイミング良く答えた言葉が意思疎通したかのように聞こえて、裕子達を喜ばせた。
裕子もその頃には落ち着き、普段の生活に支障がでるほど、落ち込むこともなくなっていた。
そこでもう1羽、インコを迎えることにした。
コザクラインコでもう何ヶ月もそこにいて、気になっていた子。
その子は雛ではなかったし、セキセイインコよりも少し大きい。
でも裕子達に迷いはなく、ただ、ホワとの相性だけは気になったが、迎え入れた。
名前はグリ。色が緑だから。
こちらの心配をよそに、喧嘩しながらも、ホワはグリと仲良くしていた。というかホワがグリを追いかけて、好き好きアピールを続け、グリが仕方ないなと寄り添うような感じではあったが・・・それもまた可愛い。
そんな折り、裕子達はある決心をした。
結婚をして、家を買う。
結婚の話は前々からあったが、家はインコ達の為でもあった。狭いマンションの一室で飛ぶより、大きな声で鳴いても、近所を気にせず、もう少し広い場所で放鳥してやりたいと二人とも思ったから。
結婚はスムーズにというか、お互いの家族の顔合わせ後、市役所で婚姻届を出しただけではあったが、付き合いも長く、お互いの両親も認めていたため、逆にやっとかといわれるほどだったので、すんなり進んだ。
家に関しては、何度も話し合い、内見をして、新築も中古も見た結果、気に入った中古物件に決めた。
リビングが広く、キッチンとダイニングがリビングと別になっている事、庭があり、隣家とのスペースがあること、
築年数は古いけれど、床下も綺麗で、外観も良かった。
全てはあの子達と幸せに暮らすために。
あの子達が少しでも、良い環境で過ごせるために。
そんな思いから決めた家だった。多少のリフォームを済ませ、引っ越しの日も決まり、慌ただしい日が続いた。
荷物を詰めたり、捨てたり、解体したり・・・
そんな中でも、あの子達は私の肩に止まり、癒やしをくれていた。
そして引っ越し、二日前・・・・それは起った。
一瞬の気の緩みと、通常では
ない状況。それが仇になった。
カーテンのない窓・・・・そして放鳥している日常・・・そこに業者が入って窓を開けた瞬間だった。
白い何かが外へ飛び出した。
「ホワ!!!」
叫んだ。あまりに一瞬だったけれど、ホワが外に出たことは間違いなかった。
慌てて玄関に走る。転げながら靴を履き、急いで飛んでいった方向へ走る。
上を見上げ、ホワの名前を叫びながら、溢れる涙を拭いながら、恐怖で震える足に力を込めながら、辺りを見渡し、声の限りに叫ぶ。それでもホワは見つからない。気がついた時にはどれくらい時間が経っていただろう。
しかも、家には業者さんを放置したまま。
一旦、家へ帰り、業者さんに謝りながら、やって欲しいことを伝える。
窓は開けたまま、もう一度外へ出て、今度は1軒1軒、庭を見せてもらう。不在の家は外からホワの名を呼びかける。
しかし、見つかることはなく、それから5日、引っ越しも終わり、時間を見つけては探したが、見つからなかった。
ホワ達と幸せに暮らすために買った家は、ホワ不在の家になった。引っ越しも家を買ったことも、全てが後悔になった。警察に届けを出したが、見つかる可能性は低い。
ロストした鳥の行く末を知っていたから。
それでも、諦めきれなかった。
探し始めて3日目、ホワが夢に出てきて時、ホワはご飯をおいしそうに食べていた。
その夢を見たとき、本当は悟っていた。お別れに来たのだと。
それでも、諦められず、今日この場所に来た。
そして、ここで今、ホワと話している・・・・・
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