三神楽 浮世囃子(ミカグラ ウキヨバヤシ) 参

文字数 3,369文字

 小さな坂を上り、雑木林を抜けた先は小さな神社があった。朱塗りの鳥居、祭神を祀る祭殿。素朴ではあるがとても神聖な雰囲気を感じた。さっきまでうるさかったセミの合唱はまったく聞こえなくなり、代わりに自分の呼吸がよく聞こえるほど辺りはしんと静まり返っていた。
「わぁ……」
 蘭子は眼下に広がる光景に目を奪われた。仄かな光に包まれたお祭り会場、耳を澄まさなければ聞こえない祭囃子、賑わいの声。
「……きれい」
 夜空は雲一つない晴天。時々瞬く星々がより雰囲気を盛り上げる。星空を眺めていると、蘭子の耳に砂利を踏むような音が入ってきた。蘭子ははっとして音のした方をゆっくりと見た。
「……やぁ」
「……和喜……なの?」
「そうだよ」
「……っ!!」
 優しい声、柔らかい微笑み、お揃いのネックレス、よれよれのTシャツ。それらすべてを認知した途端、蘭子は和喜に向かって走った。また涙で視界がぼやけ、足元に小さな石があることに気付くことができず、つまづいてしまう。
「あっ!」
「危ない!」
 和喜がすぐに気が付き、蘭子を抱きかかえる。そこで蘭子と和喜はお互いを見つめ合う。
「大丈夫かい?」
「だ……だ……だいじょーっぶ!!」
 顔を真っ赤にしながらも、怪我はなかったと蘭子は言う。今はそれよりも顔の火照りが収まることが最優先だった。
「……本当に和喜……なんだよね」
「うん。そうだよ」
「立ち話もなんだからさ、そこで話そうよ」
 和喜が蘭子の手をとり、数段しかない祭殿の階段に腰を掛けるよう促す。蘭子が座りその隣に和喜が座る。前はいつもこうしているはずなのに、今はなぜかとても恥ずかしい気持ちで一杯だった。
「……そんなに恥ずかしがることないじゃないか」
「だ……だって……だって……」
「緊張してるのかい?」
「……」
 蘭子は小さく頷く。まさか噂が本当だと思わなかったし、そしてまさか和喜に会えるなんて……。正直思わなかった。
「和喜に……言わなきゃいけないことがあるの……」
「? どうしたんだい。急に」
 無理やり自分の気持ちを落ち着かせ、蘭子は口を開く。一呼吸置いた後、蘭子は和喜に懺悔した。
「あたしのせいで……和喜は……和喜は……わぁあああああ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「ちょ……ちょっと蘭子。落ち着いて」
「ごめんなさい……ごめんなさい。和喜……ごめんなさい……」
 蘭子の気持ちはやはり抑えられず、感情が暴走しその結果大きな声で泣いた。子供が親に叱られたときのように蘭子は和喜の胸で泣いた。和喜はそれを優しく抱き留め、蘭子が泣き止むまで背中をさすっていた。
 徐々に落ち着きを取り戻した蘭子は、目を腫らしながらまだ和喜に謝っていた。それを何も言わずに優しい笑みで包み込み、和喜は蘭子を優しく抱きしめた。
「……落ち着いたかい?」
「……うん。大丈夫」
「それはよかった」
「……和喜。離して。ちょっと苦しい」
「あぁ、ごめんよ」
 力を緩め、蘭子を開放した和喜は悪戯っぽく微笑んだ。それに蘭子はもうと言いつつ釣られて笑っていた。
「……取り乱してごめんね」
「ううん。気にしてないよ」
「……ひどかったでしょ」
「ううん」
「いい大人がって……思ったでしょ」
「ううん」
「……」
「……」
 お互いがしばらく沈黙。蘭子は次に何を話せばいいか分からず、焦っていると、和喜がゆっくりと口を開いた。
「辛い思いをさせちゃってごめんね」
「か……和喜?」
「蘭子は僕が亡くなったことの原因を自分のせいだと思ってるでしょ」
「だって……そりゃあ……あそこであたしが約束を破らなければ……和喜は……」
「きっと蘭子は自分を責めている。やっぱり当たってたな」
「そうでしょ……あたしが……あたしが……」
「落ち着いて。僕が亡くなったのは蘭子のせいじゃないから。あれは、僕の不注意なんだ」
「……でもっ!」
 また泣き出しそうな蘭子を、和喜は泣かせまいと先に抱き寄せる。蘭子の目の前にはいつもの柔らかい笑みを浮かべている和喜が、和喜の目の前には今にも泣きだしそうな蘭子が映っていた。
「……っ!」
「もう泣かないでいいよ。落ち着いて」
「うう……うう……和喜……」
 大声ではないものの、蘭子は再び和喜に抱かれながら泣いた。和喜はただ蘭子を愛おしく抱き締め、空を仰いだ。

 再度落ち着いた蘭子は、和喜と今までの思い出について話した。さっき、雑木林での光景やそれ以外のことも色々と話した。段々と蘭子の表情に笑みが戻ってくるのを見た和喜の表情もそれに伴っていく。互いが思い出話に華が咲いた頃、夜空には別の華が咲いた。
 爆発音と共に光輝く赤、緑、青の大輪。咲いては消え、咲いては消えを繰り返し打ちあがる度に蘭子の表情もそれに倣う。和喜は大輪を見ずに隣ではしゃいでいる蘭子をじっと見つめていた。しばらく蘭子を見つめた和喜は少しだけ寂しさを滲ませながらこう切り出した。
「蘭子。そろそろお別れの時間だ」
「……え?」
 蘭子の表情が一気に曇りだし、大輪をそっちのけで和喜に尋ねた。
「嘘……だよね。まだ一緒にいられないの……?」
「残念だけど……そろそろ」
 噂では欲に塗れてしまうと、このお祭りから出ることは叶わないと河崎部長も村長も言っていた。自分は大丈夫だと高をくくっていたが、いざ自分がこういう状況に置かれるとそれに順応ができなくなる。このお祭りから帰らないといけないのと和喜と話していたという両方の気持ちが蘭子の心の中で戦っていた。
「まだ……話したいよ……もっともっと和喜と話したいことあるのに……」
 蘭子の訴えを無言で返し、和喜は蘭子を後ろから抱き締めた。
「蘭子。蘭子は僕のこと、今でも思っててくれるかい」
「当たり前でしょ。今でもあたしは……和喜のことが……」
「ありがとう。そうしたら、一つお願いしちゃおうかな」
 そういって和喜は蘭子の後ろへ移動し、耳元でこう囁いた。
「僕のことを思ってくれるのなら……このまま、迷わず雑木林を抜けていくんだ」
「か……和喜」
「途中、雑木林は蘭子を惑わせて来るから、それに惑わされちゃだめだよ」
「和喜!」
「大丈夫。蘭子なら絶対に出られるから」
 そこで蘭子は気が付いた。今までお祭り気分だったものが一気に絶望へと変わった。この浴衣を着付けてくれた女性が言っていたあの言葉が脳裏で再生される。

 この音が鳴り終えるまでにこの村にお戻りください。よく覚えてくださいね。

 女性の言葉は思い出せるのだが、肝心の風鈴の音色がどうしても思い出せなかった。必死に思い出そうとするも焦れば焦る程音色は思い出せなかった。どうしようと困っている蘭子に、和喜は不思議な旋律の歌を口ずさんだ。

せくな せくな こころのね
いくな いくな むくのたま
きかんぼうは さらさらながす

せくな せくな こころのね
とまれや とまれ まことのこころ
かしこ かしこよ ねむりゃんせ

「……この歌は?」
「僕が小さいとき、おばあちゃんに歌ってもらった子守唄なんだ。どういう意味かはわからないけど……」
「なんだか不思議と気持ちが落ち着いた気がする……けど……和喜」
「大丈夫。この子守唄が守ってくれる。それと……」
 和喜は指人差し指を立てて、静かにと蘭子に訴えた。大輪の合間、かんざしから不思議な音色が聞こえてきた。

リィン リリィン リィィン

「あ……聞こえた。聞こえたよ、和喜」
「そうしたら、もう迷っちゃだめ。振り返らずにまっすぐ、その音色と一緒に帰るんだ」
 蘭子はもう振り返るなと言われて、また涙を浮かべたが和喜は蘭子の後ろから頭を優しく撫でた。和喜の温もりに触れ、蘭子はまた涙腺が壊れそうになるのを必死に堪えた。
「蘭子。もう振り返っちゃだめだよ。迷わないで、まっすぐ歩いていけば大丈夫だから」
「……和喜」
「さぁ、行くんだ。安心して。僕はいつでも君のことを……」
「え……? なんて言ったの?」
 和喜の温もりが段々と消え、蘭子はもう後ろには和喜がいないということを感じた。泣きたい、けど今はここから出ないといけない。涙を堪え、蘭子は通ってきた雑木林へと足を踏み入れる。
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