三神楽 浮世囃子(ミカグラ ウキヨバヤシ) 壱

文字数 2,055文字

 蘭子の心拍数は一気に跳ね上がり、歩く速度も段々と早くなる。あの噂が本当か否かの前に、蘭子の頭には恋仲だった人物の確認が先だった。
「もしかしたら……もしかしたら……本当に和喜なのかも……しれないじゃない」
 冷静さを装って入るものの、さっきからやたらと口の中の渇きが収まらない。それを皮切りに暑くもないのに額から流れる汗、目頭が熱くなり視界がぼんやりと霞む。浴衣の裾で拭い、必死にその影を追いかける蘭子。恋仲だと思われる人物はこの道を抜けて……あれ……どこ?
辺りを見回してもさっきの姿は見当たらない……見失ってしまったという気持ちが急いてしまったのか、蘭子の頭は絶望でいっぱいだった。
「どうしよう……どうしよう……和喜……どこにいるの……見失っちゃった……どこなの」
 祭囃子と歓声にかき消されながら蘭子は呟く。かき消されても構わない。今はとにかく恋仲の後を追いかけなくては。気持ちばかりが急いて中々落ち着くことができないでいる蘭子の傍を小さな子供たちが走り抜ける。
「待ってよー」
「ほらはやくー」
 楽しそうにはしゃぐ子供たちを見て、蘭子はほんの少しだが間を置くことができた。ほんの僅かではあるのだが、その僅かな間が蘭子の気持ちを落ち着かせたのは事実だった。
「……ふぅ。……ふぅ。よしっ」
 蘭子はいつもより深めに呼吸をし、その後自分に喝を入れた。賑わう会場に目を凝らしながら蘭子は再び探し始めた。やがて当初の目的地であった大きなやぐらに辿り着き、それを見上げた。遠くで見るのと近くで見るのとでは迫力が何倍も違っていた。とても立派なやぐらの上では楽しそうに太鼓を叩いている男性の後ろ姿が見えた。
「ここは通っているはずよね……」
 蘭子はきょろきょろと当たりを見回すも、それらしき人物は見えなかった。その代わり、蘭子の目の前には楽しそうに盆踊りを踊るたくさんの人が映っていた。旋律にあわせて手や足を動かし、時に掛け声を出しみんなと一体となる。しばらく眺めていると、子供たちが蘭子を囲みわいわいと騒ぐ。
「ねー、おねーちゃんもいっしょにおどろうよー」
「おどろーおどろー!」
「ほらーこっちこっちぃ」
 小さな子供たちは蘭子の裾を引っ張り、盆踊りの輪の中へと引き込もうとする。驚いた蘭子はちょっと待ってと子供たちを制し、恥ずかしそうに答えた。
「あ……あたし、踊れないのよ。盆踊り」
 一瞬、しんとするも子供たちはそれぞれ顔を見合わせ小さく頷き、蘭子ににかっと笑いかける。
「だいじょうぶだよ」
「かんたんだからすぐおぼええられるよ」
「ほらほら。あたちのまねしてみて。ほら」
 舌足らずな女の子がゆっくると踊って見せる。右足右手一緒に出して一緒に戻して、左足左手一緒に出して一緒に戻して、胸の前で手を二回叩く。叩くときに「はいはい」と声掛けするのも忘れないでねと指摘を受ける。
「えっと……こう……合ってる?」
 蘭子はその子が教えた通りに踊って見せると、みんなは嬉しそうに笑った。段々とコツがつかめてきた蘭子はしばらくそのまま踊ってみせ、子供たちから「ごーかくぅー」と拍手を受けほっとする。
「それじゃー、みんなといっしょにやってみよー」
「いこーいこー!」
「あぁ、引っ張らないで」
 無邪気さに負けて蘭子はちょっとだけならという気持ちで盆踊りの輪に加わった。子供たちに引かれながら輪に加わり、前後で踊っている人たちに会釈をする。柔らかな笑みが印象的な男性と女性だった。蘭子は周りに遅れまいとカクカクとなりながらも子供たちが教えてくれた通りに踊って見せる。
「えっと……こうやってこうやって……」
「上手上手。それじゃあ、一周回ってみよう」
 にこやかに笑う男性に促されて一周を回ることにした蘭子は、輪を乱さないよう慎重に踊りながら進む。回数を重ねていくうちにだんだんと慣れていき、動き方が滑らかになっていった。滑らかに動けば動くほど、蘭子の気持ちも解れていき次第に楽しいという気持ちが湧きあがってきていた。
「その調子だよ」
 女性から励まされ、踊る蘭子。あともう少しで一周だと思っていると、蘭子の視線の先に映るのは、あの時と同じ服装の和喜だった。
「か……和喜」
 一瞬、ショックで動きが止まってしまいそうだったが、なんとか持ちこたえ最後まで踊り切ることができた。輪から出て和喜の後ろ姿を追いかけようとすると、盆踊りを教えてくれた子供たちが称賛しに蘭子を囲む。
「きれーだったよー」
「おねーちゃんじょうずー」
「じょーずじょーずー」
 中々放してくれない子供たちにいらついても仕方ないので、落ち着くまで一緒にいることにした。ありがとうと言う最中、頭の中はさっき見えた和喜の後ろ姿だった。その場所を蘭子はしっかりと覚えていた。
(あの雑木林の中ね……和喜……そこにいるの?)
 子供たちがばいばいと手を振って祭りの中へと駆けていくと、蘭子は和喜が入っていったであろう雑木林の中へと向かった。
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