序ノ調 現世ノ童歌(ハジマリノシラベ ウツシヨノワラベウタ) 参

文字数 1,492文字

 久しぶりに直帰し、明日からの取材に胸を膨らませながら準備をしていると、河崎部長の言葉が頭をよぎった。 

過去に亡くなった人がお祭りに参加する。

 河崎部長はそう言っていた。河崎部長も数年前、事故で娘さんを失くして悲しみに暮れていたという話を聞いたことがある。そして、そのお祭りにも参加……最悪は抜け出すことができないかもしれないお祭りにあたしは参加しようとしている。本当にこれでいいのかと何度も自問自答をする。
 しかし、これも仕事のためだと自分に言い聞かせる。仕事のため。そう、仕事だから仕方ないの。これをしないといけないの。これをしないと……いけないの。自分はなにも悪いことはしていないと思っていても、なぜかそう思えなくなってしまう。

「……ごめんね……和喜」
 ふとこぼれてしまった名前。この名前はかつて恋仲になるはずだった人物の名前。数か月前、急な取材の仕事が入ってしまい、本来の約束を仕事のせいにして破ってしまった。和喜は口調こそ穏やかだったが内心、燻っていたのかもしれない。なぜならこれが初めてではないから。何度も何度も和喜と約束をしていたのに、その度にあたしが約束を破っていたんだもん。そして、ついにあたしがカッとなって怒鳴ってしまったあの日の夜、和喜は帰らぬ人となってしまった。死因は交通事故。相手側の不注意で正面衝突をしてしまったとのことだった。それを知ったのは仕事中になった一本の電話。どうせまたくだらないことで話そうとする友人だろうと思っていたのが間違いだった。
「和喜さんがお亡くなりになりました」
 始めは何かの冗談かと思った。そもそも聞いたことのない声で和喜が亡くなったなんて言われても、信じられるわけないし……信じられるわけ……。
「……嘘ですよね?」
 絞りだした声はこれだけだった。その後、電話から聞こえてくる声はあたしの頭を鈍器で何度も何度も殴りつけてくる。確認したいと涙ながらに言うと親切に場所までの道をファックスで送ってくれた。半べそかきながら所長の事情を話し、許可をもらうとタクシーでその場所へと向かった。

 きっと、タクシーの運転手はあたしの顔を見てぎょっとしただろうな。ぼさぼさの頭にべそかきながら乗ってるんだもん。無言で渡したファックスにも驚いていたかもしれない。それを察してくれた運転手さん、ありがとう、そしてごめんね。変な奴だったでしょ。
 受付を済ませてからちょっと待ったくらい、扉から案内人があたしに挨拶をした。そして、和喜が眠っている部屋へと案内された。眠っている部屋に辿り着くと、そこには白い布がかぶせられたなにかがあった。ちょうど大の大人が横になればああなるかなといった具合。そして、案内人が布を捲ると……。
「……っ! か……ずき……」
 布の下にはあの時、別れた時とほぼ変わらない顔の人物、和喜があった。ただ違うとすればもう二度と会話をすることもないという点だった。
「お間違いありませんか」
「……っ……は……い……あぁぁぁあ……かずき……」
 あたしは和喜の顔を見た瞬間、後悔が先にやってきた。あたしとあの時、喧嘩しなければ、あそこであたしが怒鳴らなければ、あたしが約束を守っていれば……こんなことにならなかった。
あたしは後悔の濁流に飲まれ、人目構わず泣いた。案内人が何かを言っていたかもしれないけど、それはあたしの耳には届いていなかった……。

「……和喜。お祭りにいるのかな」
 準備を終えたあたしはぽつりと呟いた。誰も答えてくれるわけでもないの知りながらその日の夜は、いつもより寝心地が悪かった。
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