第三十六話 斎藤道三(3)

文字数 4,190文字

【斎藤道三(2)の続き】
 ◆

「まあ良い、その絵図は気に入った。利にも(かな)っておる。忠義者を演じて見せるのも良いだろう。さしあたって儂は何をすればよい?」

「まずは、将軍の仲裁後も争いとなり、土岐頼純殿とそれに(くみ)した持是院(じぜいん)家の斎藤正義(まさよし)殿が亡くなってしまったことをお()び頂きましょう。土岐美濃守殿と斎藤左近大夫殿には剃髪(ていはつ)して頂きます」

「おぬし斎藤正義の件も存じておったのか、どこまで知っておる?」

久々利(くくり)頼興(よりおき))殿と(あらそ)いのすえ亡くなったとお聞きしている程度のことですが何か?」

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 斎藤大納言(だいなごん)正義(妙春(みょうしゅん)) 1516-1548
 
 1532年に初陣し、主に東美濃で頼純方と戦ったとされる。
 1548年に土岐一族の久々利三河守頼興に久々利城内で謀殺された。
 斎藤妙春は先の関白近衛稙家(このえたねいえ)庶子(しょし)で斎藤道三の養子とされるが、江戸時代あたりの創作だと思っています。
 持是院家の血筋で斎藤利親(としちか)(妙親)の孫で勝千代の子か大黒丸の子で斎藤利良(としよし)妙全(みょうぜん))あたりの血縁でしょう。
 この人の初陣の1532年では斎藤道三はまだ長井規秀(ながいのりひで)だったりする。
 持是院家の斎藤利良(妙全)も1538年まで存命なので、斎藤正義はその後継と思われる。
 室町末期の斎藤氏は系図も混乱し人物比定も出来てないのですが、はやく研究してくれ。
 近衛稙家の庶子説は兼山町(かねやまちょう)編纂(へんさん)の1972年頃の説。
 ――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より
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「ふん、食えぬ御使者だ。それで儂と御屋形様がハゲ坊主になればよいのだな?」

「それで朝倉家にはなんとか納得頂き、頼芸殿と和議して頂くよう取り(はか)らいます」

「朝倉が素直に和議を結ぶのか?」

 朝倉孝景はそろそろ亡くなる(はず)だ。
 頼純殿亡きあとは美濃侵攻の神輿もなくなり、朝倉家は代替わりで美濃へ手出しする暇もなくなる。
 このタイミングなら和議は成立すると見てよいだろう。
 朝倉家と土岐頼芸の和議には頼芸の(しゅうと)の六角定頼も相婿(あいむこ)の細川晴元も文句は言うまい。

「そこは公方様の御威光(ごいこう)にてなんとかいたしましょう」公方様の御威光なんてむろんないが、物は言いようである。

「ふん、まあよい。で、次は?」

「織田弾正忠信秀殿との和議」

「弾正忠も素直に和議に応じる(やから)ではないぞ」

「ご安心下さい。私は織田弾正忠の正式な幕府の申次(もうしつぎ)であります。しかも左近大夫殿には大垣(おおがき)の城と、娘を信秀の御嫡子(ごちゃくし)に差し出して頂きます」

「儂の娘を人質に出した上に大垣まで差し出せと? それでは勘定(かんじょう)が合わぬわ」

「織田信秀殿にも大垣は放棄頂きます」

「うん? 信秀も大垣を放棄するとはどういうことだ?」

「大垣は将軍家の御料所(ごりょうしょ)とさせて頂きます」

「なんだと? 儂に大垣を公方様にタダで差し出せというのか?」

「タダではありませぬ。左近大夫殿と弾正忠殿が和議の上、公方様の公認のもと婚姻(こんいん)して頂きます。さらには大垣を共同で御料所として婚姻仲裁の礼としてご寄進(きしん)頂く。その上で官途推挙(かんとすいきょ)もお求めになり、左近大夫殿には越中守(えっちゅうのかみ)への推挙およびに唐傘袋(からかさぶくろ)毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)塗輿(ぬりこし)の許可を与えます」

 ◆

「越中守と守護代の格式ということか?」

「越中守の意味は分かりますな」

「……斎藤惣領家の帯刀(たてわき)左衛門尉(さえもんのじょう)家であろう?」

「帯刀左衛門尉家の越中守はただの僭称(せんしょう)ですが、左近大夫殿は将軍による朝廷への推挙となります。それと今のところは守護代『格』ではありますが、それは幕府による公認……勘定は合いませぬかな? 今は手元になく織田に占領されている大垣周辺の放棄で、公方様の公認による婚姻に加え、斎藤利政殿を斎藤惣領家と同位か上の家格と見なすわけです」

「公方様は良いとして、『幕府』が認めるのか?」

「そこはまあ何とかします。それよりもマムシ殿」

「なんだね」

「マムシ殿は危ういのです。たしかに実力はありましょう。ですがその実態は斎藤家の同名衆に過ぎない一国人(いちこくじん)のようなもの。美濃のその他の国人との差別化が出来ておられぬ。美濃は頼純派と頼芸派に別れ長年争い、国人が力をつけ過ぎました。家格で国人どもの上位に立たねば国盗りは難しいと理解ください。マムシのままでは難しいのです。朝倉家などのようにマムシ(蝮)をアオダイショウ(青大将)まで着飾(きかざ)る必要があるのです」

「お主は儂に着飾れと申すのか」

「土岐頼芸殿では美濃を統治する能力はありますまい。ですが、斎藤同名衆に過ぎない左近大夫殿では、美濃をまとめるのもこれまた難しい。播磨守護の赤松家や越前守護の朝倉家も元は出自も定かではありません。それが足利将軍家への奉公により、両家とも守護になりおおせただけ。ですがどちらも将軍家の権威を利用して今の家格を築いております」

「儂にもそやつらの真似をしろと? 公方様を利用しろと言うのか?」 

「まずはご自身の新しき斎藤家の家格の上昇をお考えになるがよろしいかと存じます。現状では斎藤殿に服しておられる多くの国人衆と同格でありますゆえ、それでは公方様としてもお声を掛け辛い。それに武家にとって将軍というものは利用するための存在でありましょう?」

「お主、本当に公方様の腹心か?」マムシ殿がニヤリと笑って来る。

「それがしは公方様のたっての願いを聞きとげた大御所様の許可を得て、はるばるこの美濃にまで参っております。それに私の立ち位置は調べればすぐにお分かり頂けるものと存じますが?」

「よほど公方様に信頼されている自信があるようだな」自信というか平成の俺には足りなかった愛も金もコネも、ようするに甲斐性があるぞ。

「まあ、まずはそれがしや公方様がしかとお役にたつことを確認して頂きましょう。朝倉と織田との和議が成らねば何も始まりませんが、朝倉家と織田家との和睦はしかと公方様が仲裁されます。先も申しましたが、美濃守護の後継者であった土岐頼純殿と持是院家の斎藤正義殿がお亡くなりになった混乱の責任を取り、土岐頼芸殿と斎藤利政殿には出家頂き、交渉をまとめます。和睦成立後に大垣の御料所としての寄進があれば、土岐頼芸殿には()()()()美濃守護職の地位を追認いたしますことも、しかと頼芸殿をご説明頂きたい」

「やって見せよう。儂も公方様に見捨てられぬようにせねばなるまいからな」

「左近大夫殿には和睦交渉中は美濃を押さえてもらいます。今後はあまり無理に頼純派の排除は致しませぬよう願います」

「よかろう。(きた)る時のためにも頼純派は懐柔(かいじゅう)し取り込んで置くとしようか」

「それでは、頼芸殿との会見の件よろしくお頼み申す」

「まかされよう」

 ◆

「ところで、わしの土産はその京釜にこの茶杓に宇治茶だったな」

「はい。是非お持ち帰り下さい。それと先ほどお出しした酒も樽で用意してござればそれもお持ち帰り頂き頼芸殿にもお渡し下さい」

「おう、あの酒は美味かった。京ではあれほどの酒があるのだのう。美濃ではあれほどの酒は手にははいらぬわ」

「こたびの和睦がなれば美濃も落ち着きましょう。さすれば美濃へ酒を運ぶことも容易かと。できれば美濃紙など産物の(あきな)いも活発にし、京への商いを考えてくだされ」

「そうであるな国を富ますことを考えよう。そういえばお主の持ってまいった料理などにも驚いたわ。だが美濃にも美味いものはあるぞ。頼芸殿との面談の折には豪勢な饗応(きょうおう)を期待してもらおうか」

「期待させて頂きます」

「おおそうじゃ、まだ少し早いのじゃが木曽川の鵜飼(うかい)を楽しむがよい。特別に用意させるゆえ明日には楽しんで頂こうぞ」

(旧暦の3月は新暦の5月になり、鵜飼のシーズンは現代では5月から11月、鵜飼はやれるかなあ。まあ、やれることにしておいてください)

「舟などが()()()()()()()にしかと手配願います。まあ、私は水練(すいれん)も得意ではありますが」

「なんだ泳ぎは得意なのか、()()であるな」

「あまりぞっとしませんな」

「ふはははは、それこそ幕府に喧嘩を売るようなマネはせぬわ。良い土産や、良い『()()』まで頂いたからな。それに儂はお主を気に入っておる。それはそうと頼芸殿にも土産は持参しておるのか? やはり儂の物より良い物なのか?」

「左近大夫殿にとって良い物かどうか……美濃守殿への土産は『物』ではありませぬゆえ」

「物ではない?」

猿楽(さるがく)観世流(かんぜりゅう)一座を手配しております。風流好きの鷹にはそういったものの方が喜ばれるかと思いまして」

「がっはっは、たしかに御屋形様は喜ぶであろう。やはり抜け目の無いやつよ」

「それがしも頼芸殿のために小鼓(こつづみ)を叩きまする」

「なんと? 兵部(ひょうぶ)殿(藤孝)(みずか)らがか?」

「これでも観世流太鼓方(たいこがた)宗家の直弟子(じきでし)でありますので」

「これは参ったな。では儂もその席で一指(ひとさ)()わねばなるまいて」

「左近大夫殿は(まい)が得意であるのでありますか?」

「知らなかったのか? ()()()は旅の猿楽師であったこともあるのだぞ」(そんな説もあったりします)

 ――こうして、美濃のマムシ斎藤道三との会談は成功裏に終わった。
 翌日は道三が手配してくれた鵜飼を楽しんだりもした。
 残念ながら? 舟が水没したり、水中の忍者に襲われたりするようなことはなかったけどな。
 観世流一座も美濃に参ったので、その打ち合わせなども行った。

 そして斎藤利政殿との会談の二日ののち、稲葉山(いなばやま)城下(じょうか)守護館(しゅごやかた)にて、土岐頼芸殿と面会した。
 ほぼ形だけのセレモニーである。
 斎藤利政殿との下交渉の合意内容そのままだからだ。
 まあ、俺と利政殿が()()()して舞なんてやったものだから、観世流の猿楽興行と相まって土岐頼芸殿は大変満足していたようだがね。

 会談後、土岐頼芸殿と斎藤利政どのは合意のとおりに剃髪して、それぞれ土岐宗芸入道、斎藤道三入道となった。
 形だけの出家ではある。

 さてこれで美濃は一応まとまった。
 マムシの斎藤道三のあとはマネーの虎の織田弾正忠信秀と話を付けねばなるまい。
 道三に信秀という戦国の化け物級相手に交渉の連荘(れんちゃん)なんて正直勘弁して欲しいものである。
 だが公方様のために役満狙いでいかなければならない『自称公方様の忠臣』としては、高めのツモを狙って行くしかないのである――
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登場人物紹介

細川藤孝:主人公


従五位下兵部大輔に叙位任官され

作中では兵部大輔や与一郎と呼ばれることも多い


戦国武将としては最高級の教養人と知られ

肥後熊本藩52万石の藩祖となる


現代では歴史マニアであったおっさんが転生している

ヒロインの義藤さまに拾われ、義藤さまを助けるために

室町幕府を再興しようとしている


室町幕府の奉公衆である淡路守護細川家に養子入りしている

義父は細川晴広、実父は三淵晴員

足利義藤:ヒロイン


いわゆる足利義輝で、室町幕府の第13代征夷大将軍なのだが

なぜか可愛い女の子である

(なぜ女の子なのかはそのうち本編で明かされる)


拾った細川藤孝を気に入り側に置いている

細川藤孝には「食いしん坊将軍」と呼ばれ

美味しい物を貢がれて餌付けされている


作中では義藤さまや公方様、大樹と呼ばれる


ちなみに胸は貧乳である

米田求政:家臣


肥後熊本藩の家老米田家の祖となる人

米田はコメダと読む

通称は源三郎


史実よりも早く細川藤孝に仕え

傅役の立場にあり主人公からは

源三郎の兄貴と親しみを持って呼ばれる


現代でも売られている伝統の胃腸薬「三光丸」を作る

米田一族の出身で医薬に造詣が深い


淡路細川家では新兵を鍛える鬼軍曹役でもある

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