第四十五話 京兆専制と両細川の乱(2)

文字数 4,396文字

【京兆専制と両細川の乱(1)の続き】
 ◆

 主人公とヒロインがいつもの馬鹿騒ぎをやっている裏で歴史が動き出そうとしていた。
 それは室町幕府の崩壊の序曲であり、細川京兆家の栄華の終焉でもあった。
 しばし室町幕府について語りたいと思う――

 室町幕府の本来の姿は室町殿が守護を任命し、その守護らが在京して室町殿や幕臣と合議の上、問題の対処にあたることであった。
 だがその体制は、応仁の大乱により崩れ去ることになる。

 応仁の乱により各地に飛び火した火種の鎮圧のため、守護は在京を諦め、その任国に赴き領国の支配を固めようとする。
 だが多くの守護は体制を固めることに失敗し、守護代や小守護代(又守護代)、有力国人らに取って代わられてしまう。
 それは三管領家の武衛(ぶえい)家(斯波(しば)宗家)や畠山金吾(きんご)家といった有力守護であっても同様だった。

 斯波宗家である武衛家は政所執事(まんどころじつじ)であった伊勢貞親(いせさだちか)の策謀であったともいわれる「武衛騒動」を引き起こし、応仁の乱においても斯波義敏(しばよしとし)派と斯波義廉(しばよしかど)派に別れ醜く争い続ける。
 
 それは越前朝倉家と尾張織田家の台頭を許し、甲斐家の滅亡と遠江の喪失を招くことになった。
 その結果、武衛家にはもはや昔日の実力はなくなり、管領たる勢力を維持することはできなくなったのである。

 畠山金吾家は家督相続のもつれから応仁の乱そのものの引き金を引き、家中は畠山尾州(びしゅう)家と畠山総州(そうしゅう)家に分裂してこちらも争いまくった。
 その結果、畠山総州家は被官の木沢長政(きざわながまさ)に支配されることとなり、木沢長政とともに没落し、歴史からはほぼ消え去ることになる。
 一応勝ち残ったような気がする畠山尾州家も守護代の遊佐(ゆさ)氏の台頭を許し勢力は衰え、畠山金吾家は管領に相応(ふさわ)しき実力を喪失した。

 だが、三管領家の斯波家、畠山家がお家騒動で混乱し没落するなかにあって、細川家は各庶家が宗家である京兆(きょうちょう)家を支える体制を維持し、細川一門の結束は揺るぎがなかった。
 それゆえ三管領の中で細川京兆家が斯波武衛家、畠山金吾家の自滅もあり、幕政からその二家を排除し管領職を独占することが出来た。

 そして明応(めいおう)の政変において、ついに室町幕府の将軍職をも挿げ替えることに成功し、細川京兆家は事実上の最高権力者となり「京兆専制(きょうちょうせんせい)」と呼ばれる体制を構築した。
 それは管領職の権威によらず、その実力を持って幕政を牛耳り、事実上の天下人ともなったのである。(この場合の天下は畿内になる)

 だが、細川家の嫡流である京兆家の当主というものは政権が安定すると()()()()()()()()()()気が済まない()()()()()()でも持っているのだろうか?
 せっかく細川家が天下一の実力を得たのだが、自ら頭が痛くなるようなアホな事を引き起こしていくのである……

 明応の政変で頂点に立った、細川政元(ほそかわまさもと)(あの細川勝元(かつもと)の嫡子です)がまず、()()()()()()()()()でやらかしてくれる。
 細川政元は頭がおかしいレベルで「修験道(しゅげんどう)」にのめり込み、30歳まで童貞(ピー)なら()()使()()になれるとでも本気で思っているレベルのアホであった。
(権力奪取に政権運営はまともであるだけに、とても惜しい、本気で惜しい)

 事実上の天下人といっても良い細川京兆家の当主のくせに妻帯することをせず、子を成す気がないというアホっぷりなのである。(お前は上杉謙信か何か?)

 細川京兆家に跡取りが居ないということは細川家の家中にとっては大問題であるので、実子が居なければ養子を取ろうということになるのだが、養子の件でもアホっぷりを遺憾なく発揮してくれる。
 細川澄之(すみゆき)に細川澄元(すみもと)、それに細川高国(たかくに)と、養子を三人も取るのである。
 こんなものは家督争いしか起こさないと思うのだが、少しは考えろバカちんがぁ!

 まず摂関家の九条政基(くじょうまさもと)からその次男である細川澄之を養子に迎えいれた。
 澄之は丹後守護に任じられ後継者に指名されるのだが、政元と澄之は折り合いが悪くなり廃嫡される。
 澄之は細川の血筋でもなんでもないので細川一門からは嫌われてもいた。

 次に下屋形(しもやかた)とも称され細川一門でも重きをなす阿波守護家(讃州(せんしゅう)家)から細川澄元を養子に迎え、澄之の廃嫡もあり後継者となった。
 だがこれにより、細川家中は「澄之派」と「澄元派」に分かれ対立することになってしまう。

 ◆

 結局のところ後継指名が絶望的になった「澄之派」の細川家の内衆らによって細川政元は暗殺されてしまい、細川澄之が京兆家の当主となる。
 こうして他家よりは遅くなったが細川家においても『永正(えいしょう)錯乱(さくらん)』と呼ばれるお家騒動が始まってしまうのである。(細川政元が魔法使いになれたかは知らん)

 細川澄之の京兆家継承という事態に、とりあえず細川澄元と細川高国が「マッスルブラザーズ」を結成する。
 細川高国は典厩(てんきゅう)家の細川政賢(まさかた)や淡路守護の細川尚春(なおはる)らと共に細川澄元を支持し、細川澄之派の京兆家内衆(被官(ひかん))で政元を暗殺した薬師寺長忠(やくしじながただ)香西元長(こうざいもとなが)らを攻め、細川澄元の家宰(かさい)三好之長(みよしゆきなが)の活躍もあり、細川澄之は自害して果てる。

 こうして細川澄之を倒した細川澄元が京兆家の家督を継承することになるのだが、そう簡単に細川家のお家騒動は終わったりはしなかったのである。
 澄之派の内衆が蜂起した原因は、元々が阿波守護家出身の細川澄元が阿波時代からの側近である三好之長(三好長慶の曾祖父)などを重用したことが、畿内の京兆家内衆の反発を買ったことなのだ。
 だが澄之を倒した事によって、さらに澄元の側近の阿波衆が京兆家の内部で発言力を強めることになり、澄元を支持した京兆家内衆や細川一門の不満が高まってしまう。

 さらにこの情勢下で、細川政元に明応の政変で追い出されていた前将軍の足利義稙(よしたね)義材(よしき)義尹(よしただ))が周防(すおう)大内義興(おおうちよしおき)を伴ってウルトラマンばりに帰って来てしまい、畿内は大混乱に陥ることになる。(なんじゃこりゃ)

 阿波衆に対する不満を持った畿内の細川家内衆や細川一門は当主となった細川澄元ではなく、細川高国を支持した。
 このチャンスに細川高国は細川澄元とのタッグを解消して離反する。

 足利義稙・大内義興と「ヘル・ミッショネルズ」を結成し、細川高国派と細川澄元派とが争う「両細川(りょうほそかわ)の乱」へと、細川家のお家騒動は大爆発してしまうのである。

 それは室町幕府の名目上のトップである足利将軍家と、実力NO.1の細川京兆家という最悪のダブルでのお家騒動でもあるのだ。
(足利義稙・細川高国vs足利義澄・細川澄元)

 京兆家の当主となった細川澄元が、京兆家の畿内の内衆や細川一門を重視し、阿波衆を抑えることができれば「両細川の乱」は勃発しなかったかもしれないのだが、自らの地盤でもある阿波衆を切ることはできなかったのである。
 京兆家の当主というものは当主になるとアホになってしまうものなのだろう。
  
 さて細川高国であるが、実は細川政元の後継者ではない説があったりする。
 高国は細川京兆家の有力な分家である「細川野州家(やしゅうけ)」の当主となっており、既に養子縁組は解消されていたというものである。
 実際に細川高国は当初は細川澄元の京兆家家督を承認してもいる。

 だが細川澄元が阿波衆の専横を抑えられなかったために、細川高国は細川澄元への対抗馬として、畿内を地盤とする京兆家の内衆と細川一門に擁立されることになった。
 結局のところ「両細川の乱」というものは、阿波を地盤とする国衆VS畿内を地盤とする京兆家内衆の対立でもあるのだ。

 細川高国・足利義稙・大内義興VS細川澄元・足利義澄の戦いは、結局のところ細川高国が勝利する。
 敗れた足利義澄も細川澄元も病死してしまい、さらには担いでいたはずの足利義稙が細川高国を裏切ろうとしたことが発覚し、将軍の足利義稙は京を出奔してしまう事態ともなる。(最早意味が分からない)

 そんな事態でも細川高国はなんとか対処し、朝廷の支持を取り付け、幼い足利義晴(あしかがよしはる)播磨(はりま)から呼び寄せ将軍職に就けることに成功し、完全体な天下人に成りおおせてしまった。
 やったー細川高国すげー、細川京兆家は安泰だーで終われば良かったのだが、細川京兆家のアホ遺伝子が細川高国にも発動してしまうのである。

 協力なタッグパートナーであった大内義興は公卿(くぎょう)(くらい)従三位(じゅさんみ))と日明貿易(にちみんぼうえき)の権限という美味しい物を貰って山口に帰ってしまい(地元で尼子経久(あまごつねひさ)という()()()()が暴れだしたせいでもある)、高国政権は既にパワーダウンしていたのだが、細川高国が致命的なアホをやらかす。

 従弟で細川典厩(てんきゅう)家の当主であった細川尹賢(ほそかわただかた)讒言(ざんげん)にのってしまい、京兆家の有力な内衆であった上香西(かみこうざい)家を継いでいた香西元盛(こうざいもともり)を上意討ちにしてしまったのだ。(他にも何人か粛清とかしている)

 香西元盛を上意討ちしたことは、同じく京兆家内衆でその兄の波多野元清(はたのもときよ)と弟の柳本賢治(やなぎもとかたはる)を激怒させることになり(当然だと思います)、両名は高国派から離反し澄元派に移り、高国は京兆家の守護領国である丹波を失ってしまうことになる。
(最近の説では波多野稙通(たねみち)という人は存在せず、波多野元清と波多野秀忠(ひでただ)に分裂してます)

 そこに細川澄元の遺児である細川六郎(晴元)が三好元長(みよしもとなが)(三好長慶の父)と足利義維(あしかがよしつな)を擁立し阿波から挙兵し、「両細川の乱」の第2ラウンドのゴングが鳴ってしまうのである。

 すんげー分かりにくいのですが、高国派の担ぐ将軍が、足利義稙から足利義澄の子である足利義晴にチェンジしており、澄元派の担ぐ将軍が足利義澄から足利義稙の養子の足利義維にチェンジしてます。
(担げるモノなら何でも良いようです……足利義維も足利義澄の子ではありますが、足利義稙系です)

 足利義晴・細川高国・若狭武田元光(もとみつ)VS細川六郎軍・波多野元清・柳本賢治で行われた「桂川原の戦い」は、頼みの六角定頼の日和見などもあり、細川高国の敗北に終わる。
 この敗戦で細川高国政権は事実上崩壊した。

 敗れた高国は越前の朝倉孝景の支援を受け、朝倉宗滴とともに再上洛したり、
(結局仲違いして宗滴は帰国)備前の守護代である浦上村宗(うらがみむらむね)と連携したりして、無駄な努力を頑張るのだが、結局「大物崩(だいもつくず)れの戦い」に敗れて自害して果てることになる。

 細川高国に勝利した細川六郎改め細川晴元が新たな細川京兆家の当主となり、担ぐ将軍を足利義維から足利義晴にチェンジしたり、阿波衆の三好元長(みよしもとなが)(三好長慶の父)を一向宗を使ってぶっ殺して畿内勢力に媚を売ったり、天文法華(てんぶんほっけ)の乱で洛中を焦土と化したりするなど、本気でいろいろアホなことをやらかしまくる。

 だが、なんだかんだで高国派の細川氏綱(ほそかわうじつな)や畠山尾州家に対し勝利を収め、その体制は磐石な物になるかと思えたのだが、やっぱり歴代の京兆家の当主と同じく、その絶頂期にアホ遺伝子を強烈に炸裂させることになるのだ……

 結果から見れば、これから行われる将軍を招いた祇園祭(ぎおんまつり)の観覧の前後が細川晴元の絶頂期であり、またその転落のスタートでもあったのである――
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登場人物紹介

細川藤孝:主人公


従五位下兵部大輔に叙位任官され

作中では兵部大輔や与一郎と呼ばれることも多い


戦国武将としては最高級の教養人と知られ

肥後熊本藩52万石の藩祖となる


現代では歴史マニアであったおっさんが転生している

ヒロインの義藤さまに拾われ、義藤さまを助けるために

室町幕府を再興しようとしている


室町幕府の奉公衆である淡路守護細川家に養子入りしている

義父は細川晴広、実父は三淵晴員

足利義藤:ヒロイン


いわゆる足利義輝で、室町幕府の第13代征夷大将軍なのだが

なぜか可愛い女の子である

(なぜ女の子なのかはそのうち本編で明かされる)


拾った細川藤孝を気に入り側に置いている

細川藤孝には「食いしん坊将軍」と呼ばれ

美味しい物を貢がれて餌付けされている


作中では義藤さまや公方様、大樹と呼ばれる


ちなみに胸は貧乳である

米田求政:家臣


肥後熊本藩の家老米田家の祖となる人

米田はコメダと読む

通称は源三郎


史実よりも早く細川藤孝に仕え

傅役の立場にあり主人公からは

源三郎の兄貴と親しみを持って呼ばれる


現代でも売られている伝統の胃腸薬「三光丸」を作る

米田一族の出身で医薬に造詣が深い


淡路細川家では新兵を鍛える鬼軍曹役でもある

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