第三十八話 織田信長<下>(2)

文字数 5,510文字

【織田信長<下>(1)の続き】
 ◆

 織田信長に請われて、那古屋城内で我が鉄砲隊の調練をおこなっている。

α(アルファ)隊構え! ファイエル!」

 パパーン

「おい、その()()()()? とか、()()()()()とは一体何なのだ?」

 我が隊の調練を見ていた信長が当然の如く、我が鉄砲隊の奇妙な掛け声を不思議に思い聞いてくる。

「あれは符丁(ふちょう)(合言葉)にございます。玉込めよいか?」

「おいおい、次弾の準備が早過ぎやしないか?」

「我が鉄砲隊には早合(はやごう)の技と、幾重にもおよぶ訓練により通常の三倍は早く次弾が撃てるのです」

「早合とはなんぞや?」

「こたびの和睦が成れば、鉄砲隊の運用法についても指南いたしますよ。それに硝石(しょうせき)の作成方法なども提供しましょう」

「硝石の作成法だと? 早く教えろ」――教えるのは古土法(こどほう)だけではあるが。

 早合についてもペーパーカートリッジに使う紙を柿渋(かきしぶ)(ひた)し、それを乾かすことで防水性と頑丈さをあげる工夫などもやっていたりする。
 さらには火縄銃の雨天での運用については、美濃紙を油で浸し、撥水性を高めた油紙(あぶらがみ)による火縄の雨濡れを防ぐ手立てなども考案済みだ。(後世のパクリともいう)
 火薬の調合や古土法による硝石の作成方法などもいずれは織田信長にも伝授する予定である。
 どうせ、どれも早々に広まるものなので出し惜しみせずに信長に恩を売るために提供しようと思う……今はもったいつけてるけどな。

 信長殿は早く教えろとうるさいが、織田信秀が和睦を呑んでからである。

「和睦が成ればいろいろと教えて進ぜますよ」

「ケチくさいのう」――そんなこといわれてもなぁ。

 と、そこに平手の爺さんが慌てた様子で駆け込んで来た。

「若殿! 大殿が、大殿が!」

「なんじゃあ、落ち着いて話さんか」

「大殿が、大殿が、三河にて今川軍に敗れたよしにござりまする!」

「で、あるか……是非(ぜひ)もなし」(本能寺のセリフをここで言うなや)

「何を落ち着いておるのですか若殿! 一大事にござりますぞ!」

「勝敗は兵家(へいけ)(つね)だ。今は敗れても次に勝てば良いのだ。慌ててもせん無きことよ。爺、ワレの馬廻(うままわ)りを急ぎ召集せよ。親父殿の撤退を支援する」

「はっ、直ちに」――平手殿が転げるように帰っていった。

「兵部大輔殿。こういう仕儀に相成った。親父殿を連れて帰って戻るゆえ、しばしお待ち願おう」

「はい。お待ちしております。今川軍の追撃があるやもしれませぬ。信秀殿を無事にお連れ帰りくだされ」

「すまぬな。だがこれで、美濃との和睦は上手く行くかもしれぬ。では、失礼する」

 この時点では打てる手がない、小豆坂(あずきざか)で織田信秀が敗れるのはしょうがないのだ。
 やるべきことはこの後のことになる。
 織田信秀の美濃への出兵を回避し、持てるリソースを尾張内の平定と対今川家に集中させ、せめて三河の安祥城(あんじょうじょう)を確保させたいのである。
 今は、信秀と信長の帰還を待つほかはない。

 というわけで、郎党どもには鉄砲の訓練を続けさせ、俺は義藤さまの土産でも「偽造」しながら待つことにした。
 那古屋土産として作っているのは――「ういろう」である。

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「ういろう」
 名古屋名物の「ういろう」は1659年創業の「餅文総本店(もちぶんそうほんてん)」が元祖であり、「ういろう」を菓子として販売した最古の老舗店になる。
 元々「ういろう」とは「外郎(ういろう)」と書き、その名称の起源は中国「元朝」の「礼部員(れいほういん)外郎職(がいろうしょく)」という職名になる。

 1386年に日本の博多に渡来して帰化した陳延祐(ちんえんちゅう)宗敬(そうけい))が中国での役職にちなんで家名「外郎家(ういろうけ)」を名乗ったことに由来する。
 外郎家二代の「大年宋奇(たいねんそうき)宋寿(そうじゅ))」は上京して、医者として外交官として足利義満に仕えた。

 大年宋奇は遣明使(けんみんし)として明にも渡り、薬の「透頂香(とんちんこう)」などを持ち帰り、それらの薬を外郎家が販売していたので「透頂香」が「ういろう」と呼ばれるようになり、お菓子の「ういろう」はこの薬に似ていたからその名で呼ばれるようになったとされる。

 この京の「外郎家」から、小田原に下向し北条早雲に仕えたとされる「小田原外郎家」が出て現在は小田原の「ういろう」が元祖とされたりもするのだが、小田原の外郎家は実は京の外郎家の被官であったらしく、また基本は薬屋であったので、小田原で菓子の「ういろう」を作り出したのは明治期という話もあったりする。

 そのためお菓子としての「ういろう」の元祖は「餅文総本店」であり、その製法を伝えたのは尾張藩に仕えた明出身の「陳元贇(ちんげんひん)」になるのだ。
 
 この陳元贇は書道家であり、文人であり、陶器職人であり、拳法と柔術の創設者だったり、お菓子職人だったりするわけの分からない化物だったりする。

 ――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より
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 那古屋城の台所を借りて、「ういろう」を試作する。米粉に小豆餡とメープルシュガーを混ぜて蒸しあげて小豆味の「ういろう」を作る。
 別に米粉に抹茶とメープルシュガーを混ぜて蒸しあげた、抹茶味の「ういろう」も作ってみた。
 とりあえず、米田源三郎と斎藤利三に食わせてみたが、喜んで食べている。
 この出来なら公方様も喜ぶであろう。
 とりあえず偽造だが尾張名物は出来たので、これで安心して慈照寺に帰れるわ。

 ◆

 織田信秀が敗軍をまとめて古渡城(ふるわたりじょう)に帰還したとの知らせが入った。
 信秀のこの時点の本拠である古渡城は敗戦ということもあり落ち着いておらず、那古野城にて織田信秀に信長、平手政秀と会見することとなった。

「お久しぶりでござるな与一郎殿。いや兵部大輔(ひょうぶだゆう)に任官したのであったな。お若いのに立派なことだ」――信秀殿は怪我もしておらず元気そうであった。

「弾正忠殿(信秀)におかれましては、こたびの敗戦はご苦労の多きことでありましたな」

「なあに、こたびは負けはしたが次は今川ごときに負けはせぬわ」

 織田信秀も織田信長も戦に負けてもくじけない所があり、それは尊敬できるところであると思う。

「で、三郎より聞いてはいるが、左近大夫(さこんだゆう)(斎藤道三)と和睦せよと言うことであったか?」

「はい。土岐頼芸(ときよりのり)殿も斎藤道三殿も織田弾正忠家との和睦をお望みであります。幕府としても両者の和睦を斡旋し、濃尾両国の静謐(せいひつ)を望んでおりまする」

 土岐頼芸はオマケであるが一応ね。

「わしとしても和睦は良いとは思うがその条件がな。大垣城は我が織田家が領有しているものぞ。その手に無いものを放棄する斎藤家の懐は痛まぬであろうが、我が織田家には少々高くつく条件であると思うのだが?」

「斎藤道三殿はその息女を三郎信長殿に嫁がせることになります。これは言わば人質も同然のこと、斎藤家だけが得をするだけの条件ではありますまい。それに大垣は斎藤家の物になるわけではなく御料所(ごりょうしょ)として、足利将軍家に寄進頂くことになります。足利将軍家の心情としては、現に支配する地を寄進される織田弾正忠家こそ厚く遇することは必定(ひつじょう)

「左近大夫の娘を三郎の嫁にのう、それは悪くはない話ではあるがな。御料所として大垣を寄進することで得る旨味が問題であるな」

「交渉次第ではありますが、織田弾正忠家を将軍家の直臣(じきしん)とし、奉公衆(ほうこうしゅう)御供衆(おともしゅう)か、または準国持ちの外様衆(とざましゅう)とすること。それにともない尾張海東郡(かいとうぐん)の郡主と認めること。また奉公衆として那古野の領有を認めること。嫡子である織田三郎殿に官途(かんと)推挙(すいきょ)すること。これら全てを()たすことは難しきことかもしれませぬが、公方様にはこの私が責任を持って交渉いたします」

 今川氏豊(いまがわうじとよ)追放後にも元々の那古野(なごや)氏であり、出雲(いずも)阿国(おくに)を妻にしたという「那古野山三郎(さんざぶろう)」の父である「那古野高久(なごやたかひさ)」やら祖父の「那古野高義(なごやたかよし)」などの那古野家(名越家)は存続したりしており、織田弾正忠家に仕えていたりもするのだがマイナー過ぎるので無視します。(研究もされてないので)

 尾張海東郡はかつて、一色兵部家(ひょうぶけ)が郡主(分郡守護(ぶんぐんしゅご)とも)に任じられており、尾張守護の支配が及んでいない地域だったりする。
 そのため信秀の父である織田信定(のぶさだ)が海東郡へ進出できたともいえる。

 この頃にはすでに一色兵部家は尾張の支配を失い丹後(たんご)に戻っており、織田弾正忠家が実効支配しているといってもよい。
 ようするに織田弾正忠家の支配地の追認なわけだが、室町幕府の公認は軽くはない。(まだね。そのうち意味なくなりますが)

「ううむ。誠に認められるなら考えなくもないが……」

 そこに信長が口を挟んでくる。

「親父殿。美濃のマムシと争うよりは、尾張国内を攻めるべきであろうぞ」

「尾張国内だと?」

「おうよ。清洲をこの際攻めるべきであろう」

「守護の斯波様や守護代の彦五郎(ひこごろう)殿(織田信友)を攻めよと申すのか? 馬鹿を言うでないわ!」

「そこの兵部大輔殿から聞いたのだが、小守護代の坂井大膳(だいぜん)などは我が家を攻める気があると言うぞ」

「兵部大輔殿それは誠であるのか?」

「誠であります。私が和議の斡旋(あっせん)に乗り出したため沙汰やみになっておりますが、斎藤道三殿は清洲の坂井大膳殿らと共謀し、弾正忠家と争う覚悟であったよし。先代の守護代の織田達勝(おだたつかつ)殿と弾正忠家は和睦していたとは言え、その周囲の者は弾正忠家の拡大を悪しきものと思っていたのでありましょう。こたび残念ながら今川家に敗れたこともあり、弾正忠家を叩く好機とお考えになるやもしれませぬ」(実際史実では攻めて来るんだわ)

「親父殿。この先の今川家との戦もある。ここは逆に斎藤道三と結び、足元を固めるため清洲の馬鹿どもを攻めるのもありだと思うのだが?」

「しかし、守護や守護代に刃を向ける大義名分が……」

「今のままの尾張では、今川家に対抗できぬことが分からぬか!」

 俺の前で親子喧嘩を始められても困るのだが。

「さしあたり弾正忠殿も斎藤家との和睦には賛成頂けるものと思いますが、あとは大垣を寄進する条件次第ということで宜しいですかな?」

「思うところはあるが、条件次第では呑んでも良い」

「この和睦でもう一つ益となりますこともお考え下さい。京からこの尾張まで近江(おうみ)美濃(みの)を通じて商いが可能となります。尾張の産物を京に運ぶことも容易となりましょう。尾張と京が繋がることの利益はお分かりになると思われますが」

「尾張の産物をのう」

知多(ちた)常滑焼(とこなめやき)や塩などは京でも喜ばれまする。津島や熱田の商人なども販路が拡大すればさらに弾正忠家を支持するのではありませぬか? それにこの酒やもみじ饅頭にその原料となる糖液(メープルシロップです)からつくりました砂糖や鉄砲なども京から尾張へ販売いたしましょう」

 俺が持ってきた清水の神酒にもみじ饅頭に煎餅(せんべえ)とか食いながら会談しております。
 普通に会話してる風で、信秀も信長もさっきからガツガツ食っていたりする。(少しは遠慮しろてめーら)

「この酒に甘いものがいつでも手に入るということか。ついでに種子島(たねがしま)ものう」――おいおい鉄砲がついでかよ。

「和睦が成れば土産にしようと、鉄砲を10挺ほど用意しております。それに鉄砲の運用法や、硝石の入手方法なども伝授いたしましょう」

「兵部大輔殿は何ゆえ我が弾正忠家に肩入れしてくださるのだ?」

「全ては公方様のため。斎藤家も織田家も我が(あるじ)たる公方様に対して忠義を尽くして欲しいのです。特に信秀様の上洛には大御所様も公方様も殊のほかお喜びでありました。出来れば時期を見て再度の上洛をお願いしたくあります」

「親父殿。ワレを京に上洛させぬか?」

 信長殿が突然変なことを言い出した。

「突然何をいうか吉法師(きっぽうし)よ」(信長の幼名(ようみょう)です)

「親父殿は今川に(そな)えるため難しかろうが、ワレが尾張の産物や銭に年貢を抱えて上洛すれば公方様は喜ぶであろう。さすれば幕府も良い条件を示してくれようぞ」

「うつけのお主を上洛させては我が家が滅びるわ!」

 安心してください。もはや室町幕府には遠い尾張の織田弾正忠家を滅ぼす力など既にありませんですぞ(涙)。

「礼儀はわきまえるゆえそこまで心配されるな親父殿。うつけの真似事も(しま)いにしてもよい」

「うぬのうつけが如き所業を止めるというのか?」

「くどい! そういったわ」

「な、なんと……」

 ありゃ、横で平手の爺さんが泣き出したよ。
 泣くほど嬉しいのかよ。
 それに信秀殿も何気に顔がほころんでおるぞ。

「私からも三郎殿の上洛はお願いしたくあります。昨年の当主殿の上洛に加え嫡男までもが上洛し公方様に拝謁(はいえつ)()うとなれば、弾正忠家はまさに幕府への忠義厚き御家と誰もが認めることと相成りましょう。さすれば三郎殿の推挙も、弾正忠家の家格の上昇も容易となりましょう」

「兵部大輔殿と一緒に上洛するのであれば、そこまで心配することもなかろうに」

「はい。土岐家に斎藤家と、斯波家に織田弾正忠家の和睦を成すため、その条件案を大御所様、公方様に上申するため一度私は京へ戻りまする。大切な嫡男殿ではあると思いますが、一緒に上洛することをお許し願えますか?」

「大殿、この爺からもお願いいたしまする。若殿を信じては貰えませんでしょうか?」――平手の爺さんまでもが信秀殿にお願いする。

「お主までもがそう言うか……相分かった。兵部大輔殿、三郎のことよろしくお願い奉る」

 うん。何やら勢いで織田信長がこんなにも早く上洛することになってしまったぞ。
 今さらながらここまで歴史を変えて良いものか心配になってしまう。
 それに本当にいいのかな? 「織田信長」なんて(やから)(のちの天下人です)を公方様の所に連れて行ったりして……
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登場人物紹介

細川藤孝:主人公


従五位下兵部大輔に叙位任官され

作中では兵部大輔や与一郎と呼ばれることも多い


戦国武将としては最高級の教養人と知られ

肥後熊本藩52万石の藩祖となる


現代では歴史マニアであったおっさんが転生している

ヒロインの義藤さまに拾われ、義藤さまを助けるために

室町幕府を再興しようとしている


室町幕府の奉公衆である淡路守護細川家に養子入りしている

義父は細川晴広、実父は三淵晴員

足利義藤:ヒロイン


いわゆる足利義輝で、室町幕府の第13代征夷大将軍なのだが

なぜか可愛い女の子である

(なぜ女の子なのかはそのうち本編で明かされる)


拾った細川藤孝を気に入り側に置いている

細川藤孝には「食いしん坊将軍」と呼ばれ

美味しい物を貢がれて餌付けされている


作中では義藤さまや公方様、大樹と呼ばれる


ちなみに胸は貧乳である

米田求政:家臣


肥後熊本藩の家老米田家の祖となる人

米田はコメダと読む

通称は源三郎


史実よりも早く細川藤孝に仕え

傅役の立場にあり主人公からは

源三郎の兄貴と親しみを持って呼ばれる


現代でも売られている伝統の胃腸薬「三光丸」を作る

米田一族の出身で医薬に造詣が深い


淡路細川家では新兵を鍛える鬼軍曹役でもある

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