(1)
文字数 4,348文字
事態は、《セレスト・ブルー》幹部の登場によって、思いがけない方向へと転がっていった。
「――いかんせん、うちのボスは敵が多すぎるんだわ」
外見と中身の乖離 が甚だしい奇妙な黒人は、近くに停めてあった車へと翼たちを促した。案内に従って、おとなしくそのあとにつづいていた翼とレオは、目の前に現れた車の想定外の仕様に思わずギョッとした。
純白に塗装された車体のボンネットにピンクの巨大なハートを象 り、さらにその上に立体的な赤いリボンを乗せたデコラティブなクーペ。地上を訪れた初日にそれなりの数の改造車を目にした翼だが、さすがにこの方向でのカスタマイズは予測できなかった。
ショートケーキのような外観同様、乙女規格のその車に、完全に規格外のふたりと成人男子1名が乗りこむには、かなりの努力と苦難、忍耐が強いられたが、所有者当人はじつに慣れたもので、気にするそぶりもなくスムースに車を発進させた。
車に乗りこむ時点で、ディックはとうに姿を消していた。いつもなら、その辺でいくらでも見かける他の少年たちまでが、すっかり影をひそめ、静まりかえっている。路上から完全に気配を消してしまった彼らの極端なまでの反応が、翼の目には人当たりのいい、朗らかな人物と映るデリンジャーの、裏の姿を映し出しているように思えた。
彼が見た目どおりの、ちょっと風変わりで愛想のいい、ただのおしゃべり好きな好人物であるなら、あのグループのナンバー・スリーの座と相応の特権を、恣 にできるはずもないのだ。あんな至近で会話を立ち聞かれていたにもかかわらず、彼のほうで意図的に会話に割りこんでくるまで、レオはその存在に気づかなかった。そんなことは、これまでにただの一度もなかったことだった。相棒のボディガードとしての実力は、自負するだけあって、超一級といってもいいほどの腕前だったのだ。
並みの人間に、あんな真似がやすやすとしてのけられるとは到底思えなかった。
10分程度のドライブの後、デリンジャーは気軽に車を路上に乗り捨て、移動手段を徒歩に切り替えた。
降り立ったのは、スラム北西の港湾北第7ブロック。自分たちだけでは到底踏みこむことのできなかった、深奥 の領域だった。
「なにしろ、ある日突然、この界隈に現れたと思ったら、瞬く間にこの辺一帯で幅利かせてた奴ら伸して、トップにのぼりつめちゃった人じゃない?」
翼たちを案内しながら、金髪の黒人は気軽な口調でおしゃべりに興じた。
「ちょっと凡人とはかけ離れすぎてて、あの人の存在はスラムでもかなり特殊なの。だから仲間内以外には、たとえ傘下の連中にでも、セレスト の拠点は秘密ってことにしてるわけ。じゃないと、中途半端に腕に自信のある、虚栄心やら自尊心ばっか強いバカタレどもが、『《ルシファー》殺 った』って名声欲しさに、いきなりなに仕掛けてくるかわかんないから」
《旧世界 》には、外界に通じる4つの出入口が存在する。外壁の四隅にあたる北東、南東、南西、北西それぞれに、ギリシャ神話の四風神、『エウロス』『ノトス』『ゼフュロス』『ボレアス』を配したゲートがそれである。そのうちのひとつ、北西ゲート《北風門 》が存在する場所こそが、この港湾北第7ブロックであり、入手した事前情報でも、もっとも取材の難航が予想され、危険視された場所であった。
その最大危険区域に、翼たちはいま、正面から進入していた。俄 には信じがたい展開に、翼は軽い興奮と緊張をおぼえた。
「まあ、ボスさえ倒せば、あとはあの人がここまで築き上げてきたすべてが一挙に自分のものんなって、いわゆる『王座』ってヤツが手に入ると思いこんでるわけだから、連中がムキになって狙うのもわからなくはないんだけど。もともとは自分たちのテリトリーだったわけだし? 実際にはそんな単純なコトじゃないってことが、あのおバカさんたちには、ちっともわかってないのよ。それでボスもいちいち相手してらんないって面倒くさがっちゃって隠遁生活決めこんでるんで、配下 たちもそれに従ってるってわけ」
「ある日突然現れたって言ってたけど、彼は、それまでどこにいたんだろう? 彼も僕らとおなじ、地下都市 の出身なのかな?」
金髪の黒人の言葉に耳を傾けつつ、翼は周囲の観察にも余念がない。場所が場所であることから、レコーダーの使用は控え、その双方についてメモを取りながら質問した。
「さあ、そこまでは知らないわ。あの人、自分のことはいっさい話さないから」
「自分から話さないかぎり、余計な詮索はしない――がスラム でのルール、かな?」
「そうそう。よくわかってるじゃないの」
「一応それなりに。ここ数日で、そこそこ学習したもので」
「あらまあ」
苦笑する青年に、金髪の黒人はおどけたように目を瞠った。
「なかなか『充実』した取材活動だったみたいね。よく今日まで無事でいられたこと」
意味深な含み笑いを漏らして、デリンジャーは傍らのレオを一瞥する。そして、にこやかに翼に向きなおった。
「ここにいる連中はみんな、大なり小なりスネに傷持つ身だから、強引にプライバシーに首つっこむようなことはタブー。お互い、いっさい干渉しないっていうのが暗黙の了解で、必要最低限のあたしたちなりのマナーなの」
「知らなすぎたことが原因で、かえって不都合が生じる、なんてことはない?」
「ないない、あるわけないわよ。むしろ余計なこと知ってるほうが、よっぽど危険よお」
マッチョな大男は、こわいこわいとなよやかに片手を振って大笑いした。
「それでも充分な統制がとれてるってことは、それだけ管理の目が行き届いてる証拠なんだね。きっと」
「あら、管理だなんて随分ソフトにきたわね。ほんとは独裁とか恐怖政治とか、どれだけの圧力をかけてるのかって訊きたかったんじゃないの? 管理の目を行き届かせてるのは、犯罪者崩れの連中をも慄え上がらせる、悪名高きスラムの魔王様ですものね」
ズバリ切りこまれて、翼はわずかに返答に窮した。手もとのメモに落ちた視線が、そこには書かれていない答えを見出そうとするように一点を注視する。
「はじめはそう思う部分があったのも事実なんだけど、でもたぶん、そんな単純なことじゃない。そんな気がする。それで済む話なら、力さえあれば、だれでもよかったはずだから」
真剣に考えこみながら、青年はぽつりぽつりと思いを口にした。
「たしかにみんな、彼を異常なくらいに恐れてる部分もあるんだけど、でも、それ以上に強く渇仰 するようなところがあって。特別な存在というか、この世界の象徴というか……なんだろう、生きるための希望、みたいなものなのかな。まだわからないことが多すぎるし、全然考えがまとまってないから、うまく言えないんだけど。なんていうか、社会を捨ててスラムを選んだ人たちに共通する想いが《ルシファー》に集約されてる気がして、それで彼と、どうしても話がしてみたくて……」
たどたどしく言葉を紡ぐ青年の様子を、金髪の黒人はじっと見ていた。その口許に、ひそかに満足げな笑みが浮かぶ。
「新見ちゃん、あんたってほんとにいい子ね。超ラブリー」
「は……、あ、えっ?」
「んもうっ、なんて可愛いのかしらっ。食べちゃいたいくらいあたし好みっ!」
言った途端、素早く伸びてきたたくましい腕の中に、翼は身構えるまもなくガバッと抱き竦められていた。
「このままペットにして、1日中撫でまわしていたいわぁ。どう? あたしのとこに来ない? 一生大事にして、贅沢させてあげるわよォ」
幅広で、分厚い胸板の上に頭を押しつけられ、翼は窒息寸前でジタバタともがいた。頼みの綱の相棒はといえば、身の危険を感じて必死に目配せをしても、周囲の撮影にかまけるふりで知らん顔をしている。その横顔が、少しは痛い目を見ろと言わんばかりに、青年の無謀を無言で非難していた。制止の声を完全に振りきっての強行に対する戒 めといったところだろう。
「けっ、結構です。遠慮しときます。僕、これでも一応、一家の主なんで」
「あぁら、いいじゃない。この際関係ないわよ、そんな一家の主なんて。一家のある――え?」
翼の頭を揉みくちゃにしていた手が止まり、腕の力がゆるむ。翼はその隙を狙って、いつもの彼からは想像もできない敏捷さで安全圏まで脱出した。
「――一家の主って、新見ちゃん、あんたまさか、結婚してんの?」
「はあ、そのまさかです。ついでに子供もひとり……」
「子供ですってっ!? ちょっとっ、あんた歳いくつよっ」
「23ですけど」
奇妙な物体でも見るような、奇異な光を湛えた双眸でデリンジャーは青年を見返した。その両手が、不意にきつく拳を握りしめる。直後、大きく振り仰いだ金髪の黒人は、天に轟 けと言わんばかりに野太い咆哮を放った。
「いやーっ!! なにそれ、信じらんないっ。いったいどーゆうことなの!? なんだってこんな、ベビーフェイスのお子様ランチに女房子供がいるのよォォォッ! しかもまだ23。ピッチピチじゃないのっ! あたしなんか、あたしなんか、もうとっくに結婚適齢期に両足つっこんで、じきに片足引っこ抜かなきゃいけない歳だってのに、まだ独身。ひどいわ、あんまりだわ、むごすぎるわっ! 神様って、すっごい不公平よ。もう絶望的よーっ!」
勇ましくまくしたててヨヨヨと涙するマッチョな大男に、翼とレオは鼻白んだ。
「デ、デリンジャーはいくつなの?」
「花も恥じらう28歳よっ」
わざとらしくどこからか取り出した、白いレースのハンカチで涙を拭くふりをしながら、デリンジャーはチラリと恨みがましい視線を翼に向けた。
「じ、じゃあ、えーと、彼とはちょうど、10歳違うんだ。自分よりずっと年下のボスに従うのって、抵抗ない?」
苦しまぎれに振った話題ではあったが、実際、気になる部分でもあった。生命を狙うほどの敵意が集中するその一方で、それ以上の熱狂をもって多くの少年たちを魅了し、絶対の服従を誓わせるカリスマ的存在。
翼の質問に、デリンジャーはそれまでのトーンをあっさりあらためた。そして、なにごとかを答えようとしたとき、
「デリンジャー、見かけない連中を連れているようですが?」
建ち並ぶ廃屋のビル群の中で、ひときわ目立つ、大きな建物の入り口に人影が現れた。
「――いかんせん、うちのボスは敵が多すぎるんだわ」
外見と中身の
純白に塗装された車体のボンネットにピンクの巨大なハートを
ショートケーキのような外観同様、乙女規格のその車に、完全に規格外のふたりと成人男子1名が乗りこむには、かなりの努力と苦難、忍耐が強いられたが、所有者当人はじつに慣れたもので、気にするそぶりもなくスムースに車を発進させた。
車に乗りこむ時点で、ディックはとうに姿を消していた。いつもなら、その辺でいくらでも見かける他の少年たちまでが、すっかり影をひそめ、静まりかえっている。路上から完全に気配を消してしまった彼らの極端なまでの反応が、翼の目には人当たりのいい、朗らかな人物と映るデリンジャーの、裏の姿を映し出しているように思えた。
彼が見た目どおりの、ちょっと風変わりで愛想のいい、ただのおしゃべり好きな好人物であるなら、あのグループのナンバー・スリーの座と相応の特権を、
並みの人間に、あんな真似がやすやすとしてのけられるとは到底思えなかった。
10分程度のドライブの後、デリンジャーは気軽に車を路上に乗り捨て、移動手段を徒歩に切り替えた。
降り立ったのは、スラム北西の港湾北第7ブロック。自分たちだけでは到底踏みこむことのできなかった、
「なにしろ、ある日突然、この界隈に現れたと思ったら、瞬く間にこの辺一帯で幅利かせてた奴ら伸して、トップにのぼりつめちゃった人じゃない?」
翼たちを案内しながら、金髪の黒人は気軽な口調でおしゃべりに興じた。
「ちょっと凡人とはかけ離れすぎてて、あの人の存在はスラムでもかなり特殊なの。だから仲間内以外には、たとえ傘下の連中にでも、
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その最大危険区域に、翼たちはいま、正面から進入していた。
「まあ、ボスさえ倒せば、あとはあの人がここまで築き上げてきたすべてが一挙に自分のものんなって、いわゆる『王座』ってヤツが手に入ると思いこんでるわけだから、連中がムキになって狙うのもわからなくはないんだけど。もともとは自分たちのテリトリーだったわけだし? 実際にはそんな単純なコトじゃないってことが、あのおバカさんたちには、ちっともわかってないのよ。それでボスもいちいち相手してらんないって面倒くさがっちゃって隠遁生活決めこんでるんで、
「ある日突然現れたって言ってたけど、彼は、それまでどこにいたんだろう? 彼も僕らとおなじ、
金髪の黒人の言葉に耳を傾けつつ、翼は周囲の観察にも余念がない。場所が場所であることから、レコーダーの使用は控え、その双方についてメモを取りながら質問した。
「さあ、そこまでは知らないわ。あの人、自分のことはいっさい話さないから」
「自分から話さないかぎり、余計な詮索はしない――が
「そうそう。よくわかってるじゃないの」
「一応それなりに。ここ数日で、そこそこ学習したもので」
「あらまあ」
苦笑する青年に、金髪の黒人はおどけたように目を瞠った。
「なかなか『充実』した取材活動だったみたいね。よく今日まで無事でいられたこと」
意味深な含み笑いを漏らして、デリンジャーは傍らのレオを一瞥する。そして、にこやかに翼に向きなおった。
「ここにいる連中はみんな、大なり小なりスネに傷持つ身だから、強引にプライバシーに首つっこむようなことはタブー。お互い、いっさい干渉しないっていうのが暗黙の了解で、必要最低限のあたしたちなりのマナーなの」
「知らなすぎたことが原因で、かえって不都合が生じる、なんてことはない?」
「ないない、あるわけないわよ。むしろ余計なこと知ってるほうが、よっぽど危険よお」
マッチョな大男は、こわいこわいとなよやかに片手を振って大笑いした。
「それでも充分な統制がとれてるってことは、それだけ管理の目が行き届いてる証拠なんだね。きっと」
「あら、管理だなんて随分ソフトにきたわね。ほんとは独裁とか恐怖政治とか、どれだけの圧力をかけてるのかって訊きたかったんじゃないの? 管理の目を行き届かせてるのは、犯罪者崩れの連中をも慄え上がらせる、悪名高きスラムの魔王様ですものね」
ズバリ切りこまれて、翼はわずかに返答に窮した。手もとのメモに落ちた視線が、そこには書かれていない答えを見出そうとするように一点を注視する。
「はじめはそう思う部分があったのも事実なんだけど、でもたぶん、そんな単純なことじゃない。そんな気がする。それで済む話なら、力さえあれば、だれでもよかったはずだから」
真剣に考えこみながら、青年はぽつりぽつりと思いを口にした。
「たしかにみんな、彼を異常なくらいに恐れてる部分もあるんだけど、でも、それ以上に強く
たどたどしく言葉を紡ぐ青年の様子を、金髪の黒人はじっと見ていた。その口許に、ひそかに満足げな笑みが浮かぶ。
「新見ちゃん、あんたってほんとにいい子ね。超ラブリー」
「は……、あ、えっ?」
「んもうっ、なんて可愛いのかしらっ。食べちゃいたいくらいあたし好みっ!」
言った途端、素早く伸びてきたたくましい腕の中に、翼は身構えるまもなくガバッと抱き竦められていた。
「このままペットにして、1日中撫でまわしていたいわぁ。どう? あたしのとこに来ない? 一生大事にして、贅沢させてあげるわよォ」
幅広で、分厚い胸板の上に頭を押しつけられ、翼は窒息寸前でジタバタともがいた。頼みの綱の相棒はといえば、身の危険を感じて必死に目配せをしても、周囲の撮影にかまけるふりで知らん顔をしている。その横顔が、少しは痛い目を見ろと言わんばかりに、青年の無謀を無言で非難していた。制止の声を完全に振りきっての強行に対する
「けっ、結構です。遠慮しときます。僕、これでも一応、一家の主なんで」
「あぁら、いいじゃない。この際関係ないわよ、そんな一家の主なんて。一家のある――え?」
翼の頭を揉みくちゃにしていた手が止まり、腕の力がゆるむ。翼はその隙を狙って、いつもの彼からは想像もできない敏捷さで安全圏まで脱出した。
「――一家の主って、新見ちゃん、あんたまさか、結婚してんの?」
「はあ、そのまさかです。ついでに子供もひとり……」
「子供ですってっ!? ちょっとっ、あんた歳いくつよっ」
「23ですけど」
奇妙な物体でも見るような、奇異な光を湛えた双眸でデリンジャーは青年を見返した。その両手が、不意にきつく拳を握りしめる。直後、大きく振り仰いだ金髪の黒人は、天に
「いやーっ!! なにそれ、信じらんないっ。いったいどーゆうことなの!? なんだってこんな、ベビーフェイスのお子様ランチに女房子供がいるのよォォォッ! しかもまだ23。ピッチピチじゃないのっ! あたしなんか、あたしなんか、もうとっくに結婚適齢期に両足つっこんで、じきに片足引っこ抜かなきゃいけない歳だってのに、まだ独身。ひどいわ、あんまりだわ、むごすぎるわっ! 神様って、すっごい不公平よ。もう絶望的よーっ!」
勇ましくまくしたててヨヨヨと涙するマッチョな大男に、翼とレオは鼻白んだ。
「デ、デリンジャーはいくつなの?」
「花も恥じらう28歳よっ」
わざとらしくどこからか取り出した、白いレースのハンカチで涙を拭くふりをしながら、デリンジャーはチラリと恨みがましい視線を翼に向けた。
「じ、じゃあ、えーと、彼とはちょうど、10歳違うんだ。自分よりずっと年下のボスに従うのって、抵抗ない?」
苦しまぎれに振った話題ではあったが、実際、気になる部分でもあった。生命を狙うほどの敵意が集中するその一方で、それ以上の熱狂をもって多くの少年たちを魅了し、絶対の服従を誓わせるカリスマ的存在。
翼の質問に、デリンジャーはそれまでのトーンをあっさりあらためた。そして、なにごとかを答えようとしたとき、
「デリンジャー、見かけない連中を連れているようですが?」
建ち並ぶ廃屋のビル群の中で、ひときわ目立つ、大きな建物の入り口に人影が現れた。