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文字数 3,548文字

 少年たちが退却してほどなく現場に到着したのは、内務省の高官、アドルフ・シュナウザーだった。

 血相を変えて車から降りたエリート官僚は、あたりの惨状に息を呑んだ。しかし、すぐさま冷静さを取り戻すと、いったん車内にとって返し、秘書を介して各機関に事後処理の手配と指示を出した。
 状況を見るかぎり、最悪の事態もあり得るかもしれない。警備捜査官らの到着を待たずして、みずから翼の捜索にあたりながら、シュナウザーは覚悟を決めた。だが、幸いにもそれは杞憂に終わった。

「新見くんっ!」

 シュナウザーが翼を見つけるのと、呼ばれた翼が正気づくのがほぼ同時だった。青年は、背後の柱に凭れるように座りこんでいた。
 翼をとらえたシュナウザーの顔に、安堵の色が浮かんだ。

「新見くん、無事かっ。よかった」
「シュナウザー局長……」

 駆け寄る相手を、翼は茫洋とした瞳で見返した。シュナウザーはその反応を、いまだひどいショックから立ち直ることができないためと解釈した。安全な場所に移動させることが先決と判断した彼は、怪我の具合をひととおりチェックし、ほっと息をついた。

「よかった。ひどく殴られたようだが、骨折したり撃たれたりはしていないようだね。ほかに痛むところは?」
「背中と左手首が少し。あ、でも、そんなにたいしたことは――」
「頭を強く打ったりは?」
「たぶん、大丈夫だと……」

 全身の打ち身はもちろんのこと、頭にも数カ所コブができているような気がしたが、車に乗せられて以降の記憶は曖昧で、はっきりとした確信を持つことができなかった。
 当惑気味に答える翼に、シュナウザーは端整な顔を曇らせ、心底すまなさそうに謝罪した。

「本当に申し訳ないことをしてしまった。私が約束の時間に遅れたばかりにこんな目に遭わせてしまって」
「あ、いえ、そんな。僕なら大丈夫ですから」

 翼はあわてて首を振った。そのシュナウザーの視線が、不意にすぐ近くに転がっていた屍体の上で止まった。
 血走った目を見開いたまま、深紅の池の中に頭をつっこんで倒れ伏す少年。なにか思うところがあるのか、シュナウザーはしばしその屍体を感情の読み取れぬ表情で凝視していた。が、やがて顔を上げると、もとの人好きのする顔つきに戻って翼に向きなおった。

「ともかく、いつまでもこんなところにいては危険だ。病院で手当てをしてもらわなくてはならないし、場所を移動しよう」
「えっ、いえ、そんな大騒ぎするような怪我はしてませんから、ほんとに大丈夫です」
「なにを言ってるんだ。殴られた上に背中まで痛めているのなら、検査して治療を受けたほうがいい。あまり甘く見てはいけないよ。小さな怪我が、命取りになることだってあるんだから。さあ、肩を貸そう。車まで歩けるかな」

 シュナウザーに(たす)け起こされた翼は、躰を動かした途端、全身を貫いた痛みに、思わず顔を蹙めて小さく呻いた。その躰を、シュナウザーが気遣うように支える。上背のある自身の躰で庇うようにして車まで移動したのは、通りの様子を極力翼の目に触れさせぬようにという配慮からだろう。惨状は、それでも嫌というほど目についた。

「こういうことは、《旧世界(こちら)》では日常茶飯事なんですか?」

 翼の質問に、シュナウザーは苦々しげな表情を浮かべた。

「まあ、ここまで大きなものはそう頻繁に起きているわけではないけど、小競り合い程度のものであれば、決して少なくはないだろうね」
「抗争は、ほぼ常態化してる、ということですね」
「長年にわたってここの治安を任されている身としては、現状はまことにもってお恥ずかしいかぎりなんだが、なかなか思うとおりに取り締まることができなくてね」
「数が多すぎて、ということですか?」
「それもひとつにはある。少年たちのグループは、少なく見積もっても、大小合わせておよそ5、60はあると推定される」
「そんなに……」
「そう。そしてそのひとつひとつのグループに彼らを統率するリーダー格の少年がいて、自分たちの縄張りを護りながら、独自のルールに従って生活している。当然、反目し合うグループ同士の抗争もあるわけだが、今回君が巻きこまれた騒ぎに関していうならば、(こと)に規模も被害も甚大なものだったといっていいだろう。あとで警察の事情聴取を受けてもらうことになると思うが、おそらくぶつかり合ったのは、そういったグループの中でも一、二を争う勢力同士だったと見て、まず間違いない」
「なんていうグループか、わかりますか?」
「はっきりしたことは、いまの段階では断定できないが、大体の見当はつくね。あの見事な戦いの手並み、チームワーク、短時間での引き上げぶり。あれだけの徹底した指揮系統を持つグループは、そうそうあるもんじゃない」

 翼の脳裡に、冷徹な光を放つ青い瞳が甦る。

「教えてください。なんていうグループですか? そのグループのリーダーの名前は?」

 意気込んで尋ねた翼に、エリート官僚の紳士然とした涼しげな表情がかすかに曇った。

「彼らにスポットを当てるつもりなら、やめたほうがいい。君に太刀打ちできるような、ひと筋縄でいく連中じゃない」
「でも……」
「いや、よすんだ。これは忠告なんかじゃない。君の身柄を預かる者としての命令だ。あの連中には関わるな」

 思いもしなかったその厳しい口調に、翼は声を失った。自分は、そういう少年たちのグループをこそ取材にきたのだ。しかし、喉もとまで出かかった言葉を言わせないだけのなにかが、シュナウザーの厳然たる態度の中にあった。

「まあ、もっとも」

 シュナウザーは、ふと口調をやわらげてつづけた。

「君にその名を教えたからといって、君にはどうすることもできないだろうがね」
「え?」
「連中は――というより、彼らのボスは狡猾だよ。ボスの座に就いて、まだほんの2、3年だが、瞬く間に王座にのしあがってしまった。数多くあるグループのうちの、およそ3分の2までがすでに彼の支配下に置かれている。そして、その他の少年たちにとっても、彼の存在は脅威以外のなにものでもなくなりつつある」

 翼を攫った少年の頭を撃ち抜いた、氷のように冷酷な無表情。そして、シュナウザーの到着をいち早く察知し、配下の少年たちをいっせいに引き上げさせた統率力。

「彼が現れてからというもの、少年たちの取り締まりが難しくなってしまった。彼はおそろしく頭がいい。そしてその取り巻きたちもね。なぜあれほどの人材がと、いっそ惜しくなるくらいに」

 そう語るシュナウザーの口調は、なぜか愉しげですらあった。

「我々がどんなに手を尽くしても、連中は必ずその裏をかいてくる。痕跡すら残さない。そして彼自身がおもてに出てくることも(ほとん)どない。彼の居場所を突き止めることは至難の(わざ)だよ、新見くん。自分から名乗り上げてでもこないかぎり、まず見つからない。仮に見つけることができたとしても、彼に取材のアポイントを取りつけることはおろか、直接言葉を交わすことだって難しい──いや、完全に不可能だろうね」
「そんな……」
「彼は、我々大人を憎んでいる。彼の信頼を勝ちとることは、手負いの野生動物を3日で手懐けるより遙かに難しい。そう断言できるよ」

 みずからの言葉に確信をこめるように、エリート官僚は頷いた。

「1カ月なんて長いようであっというまだ。悪いことは言わない。別のグループに交渉して取材を進めるんだね」

 シュナウザーの助言に、翼は返す言葉もなく項垂(うなだ)れた。
 たしかに、そのとおりなのかもしれない。限られた取材期間をフルに活かすためには、無駄な労力は使わないほうがいい。それはわかりすぎるほどよくわかる。でも、と翼は思うのだ。理性で納得するそのすぐそばから別の感情が突き上げてくる。

 でも、それでもあのとき、翼は出逢ってしまったのだ。

 翼をまっすぐにとらえた鮮烈な青い瞳が焼きついて離れない。きっと、ほかのだれも、あの少年ほどには翼の心を強く揺さぶるものはないだろう。

「――セレスト・ブルー」

 耳もとに響いた低い呟きに、翼は顔を上げた。

「《セレスト・ブルー》のルシファー。私が黙っていたところで、取材をしていけば早晩知れる名だ。教えておこう。彼と直接接触することはかなわなくても、ある程度の情報は集められるはずだ」

 セレスト・ブルー……。

 神(いま)す、至高の空の……堕天使―――


 もしかなうなら、もう一度彼に逢いたい。

 翼は強く願った。

 もう一度だけ……。
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