(4)

文字数 3,420文字

 信じがたい光景に躰中の血が凍りつき、咽喉(のど)がカラカラに渇いて、声をあげることすらできなかった。
 目の前で展開される残虐な殺戮の場面は、恐怖と同様に、どこか現実とは切り離された、造り物めいた感覚を翼に与えた。
 翼にとっての非現実的光景は、この世界において、まぎれもない現実だった。

 恐怖は、たしかに翼の中にあった。いつ自分が撃たれてもおかしくはない状況にいるのだという自覚もあった。だが、もうひとりの自分が、冷静な眼ですべてを観察していた。

 圧倒的大勢を誇っているのは、新たに現出したグループ。彼らは、見事なチームワークと無駄のない動きで確実に敵対する少年たちを追いつめ、仕留めていった。
 彼らを統率する人間が、必ずどこかにいるはずだった。翼の視線は、無意識のうちにその姿を捜して、彷徨(さまよ)っていた。

「チッ、ナメやがって」

 不意に聞こえた低い呟きに、翼は反射的に振り返った。その目が、自分を盾にしていた大柄な少年の姿をとらえた。
 彼は、手にした丸いなにかを口許に運ぶと、そこから突き出た細い金具を(くわ)えて、一気に引き抜いたところだった。
 凶悪な顔つきで金具を吐き捨てた少年が、その場で大きく振りかぶる。そして、手にしたゴルフボール大の丸い物体を、戦闘がもっとも激化している方角に向けて力いっぱい投げつけた。
 放物線を描いて宙を舞ったそれが、みるみる遠ざかって視界から消えていく。

 訪れたのは、永遠にも思える長いひととき。そして――

 物体の落下地点を中心に、突如、目映い閃光が炸裂し、一瞬の間の後に凄まじい爆裂を巻き起こして、あたり一帯を呑みこんだ。
 爆発に巻きこまれた少年たちが、敵、味方の区別なく、いっせいに弾き飛ばされる。爆心に近い場所にいた不運な被害者たちは、無惨な肉片となって飛び散り、路上に叩きつけられた。
 悲鳴や苦痛を訴える呻き声が、そこら中に満ち溢れた。

 千切れ飛んだ被害者の身体の一部は、爆風に乗って翼のすぐ目の前まで落ちてきた。
 足もとに落ちた血まみれの左耳をまえに、翼はこみあげる吐き気を必死にこらえなければならなかった。

 無差別大量殺戮に手を染めた加害少年が、勝ち誇ったように哄笑する。高らかに(わら)いながら、彼は新たな手榴弾を着衣のポケットから取り出すと、ふたたびそのピンを抜こうと金具に手を添えた。
 頭で考えるより先に、躰が勝手に動いていた。
 翼は少年に飛びつくと、手榴弾を手にする右腕にがむしゃらにしがみついた。恐怖や危険を、顧みる余裕さえなかった。

「放せ、このヤロウッ! ぶっ殺すぞっ!!」

 殺気立った少年が、激しく身を(よじ)って咆哮する。そして、自分にしがみつく邪魔な部外者を力ずくでもぎ離すなり、したたかに殴りつけた。
 加減のない拳をまともにくらった翼は、勢いよく吹っ飛んで、すぐわきの柱に背中から叩きつけられた。

 憎々しげに舌打ちした少年は、足もとに(うずくま)小賢(こざか)しい介入者の髪を掴んで引き起こしかけ、思いなおしたように突き飛ばした。

 弱りきった獲物の始末など、後回しでいい。重要なほうを優先してカタをつけるのだ。

 爆発の被害が及ばなかった場所で、なおも殺し合いをつづける仲間たちに向けた双眸(そうぼう)に、残虐な光が浮かんだ。興奮のためか、狂人じみた笑みを刷くその口からは、絶えずハアハアと荒い息が漏れていた。

「どいつもこいつも、ぶち殺してやる。地獄に堕ちやがれっ」

 低い呟きとともに、少年はみずからの口許に手榴弾を持っていった。やめろっ! 翼は夢中で叫ぼうとした。しかし、殴られた痛みと背中を強打した衝撃で、声を発することさえままならなかった。
 ピンを咥えるため、少年はわずかに首を傾ける。その動きが、そこでぴたりと止まった。

 訪れたのは、不自然に長い間。

 動きを止めた少年は、その場でじっと硬直したまま、血走った両眼をカッと見開いていた。その頭から、突如、大量のどす黒い血液と脳漿(のうしょう)が飛び散った。
 固まった体勢のまま、少年の躰が鈍い音を立てて横倒しに地面に沈んだ。その顔の周辺に、溢れるような血溜まりがひろがっていった。

 かろうじて悲鳴を呑みこんだ翼は、迫り上がる恐怖に平常心を奪われかけ、遺体からあわてて顔を背け、視線を引き剥がした。

 これはいったいなんなのだ。自分はなぜこんな場所で、こんな恐ろしい目に遭っているというのか。

 吹き出す冷や汗と全身の(ふる)えが止まらない。躰が竦み上がり、心臓が破れそうなほどの動悸が激しく左胸を叩いて鼓膜の奥で大音量に鳴り響いている。
 崩壊しそうになる理性をなんとか己の(うち)に押し(とど)めようと、翼は視線を泳がせた。意識を逸らせるなにかを見つけなければ、とても正気を保ちつづける自信がなかった。

 狂気と正気の狭間(はざま)で、翼は(すが)れるなにかを見つけ出そうと、切迫した思いに駆られた。あてもなく彷徨(さまよ)っていたその目が、不意にある一点で静止した。

 視線を彷徨わせたことで、翼は自分のいまいる場所が、幹線道路わきにある建築関係の資材置き場だったことをはじめて認識した。その、大量に置かれた建築資材の一角、積み上げられた鉄材の上。

 一度流れかけた視線が、吸い寄せられるように引き戻された。そしてそのまま、そこから動かすことができなくなった。

 鉄材の上から、ひとりの人物が冷ややかにこちらを見下ろしていた。

 黄金に輝く見事な髪。冷たく冴えわたった青紫(スカイ・ブルー)の瞳。均整のとれた肢体と彫刻めいた美貌。

 翼の裡に沸き起こっていた恐慌は、その存在に目を奪われた瞬間に跡形もなく消え去っていた。

 ひと目で、〈それ〉とわかった。
 彼こそが帝王(ボス)なのだ、と。

 生きている人間の頭を顔色ひとつ変えず撃ち抜いた、冷酷な、悪魔のように美しい少年。

 その存在が発する(つよ)い光は、あきらかに他の少年たちとは異なった、圧倒的な力を秘めていた。
 自分もまた殺されるかもしれないという思いは、心のどこかにあった。けれども翼は、彼から目を離すことができなかった。

 なんという存在感。なんという、耀き――

 目を、逸らすことなどできなかった。そうするにはあまりにもその光は勁く、目映すぎた。

 銃口を向け、冷ややかに翼を見下ろす瞳には、なんの感情の色も浮かばない。おそらく照準を当て、引き金を絞るその瞬間にも、透明に澄んだガラスのような瞳に殺気が閃くことはないのだろう。
 無抵抗の小虫1匹潰すのに、そんなものは必要ない。
 恐怖は、不思議と感じなかった。抱いた感情は、むしろ恐懼(きょうく)に近かったかもしれない。
 すべてをひれ伏させずにはおかないような、完璧な王者の風格。
 ただのストリート・キッズのボスというには、彼はあまりにも、自分の認識する範疇の『少年』とはかけ離れすぎていた。

 選ばれし者。

 こんな人間が、本当に存在するのだ。
 翼は、ただひたすらそんな思いに圧倒され、その存在に魅せられて、声もなく氷のような瞳を見つめかえしていた。永遠に時が止まったような気さえした。だが、実際にふたりの視線が絡んだ時間は、さして長いものではなかった。

 鮮やかな青紫の瞳が、不意に翼から逸らされる。耳を(そばだ)てるようにわずかに首をかしげた彼は、次の瞬間、鋭い指笛を鳴らした。ほぼ決着がつきつつも、さらに徹底した掃討戦をつづけていた仲間の少年たちが、その音にいっせいに反応する。そんな彼らに向かってさっと合図をすると、彼は鉄材の上から身軽く飛び降りて、近くに停めてあった青いバイクに(またが)った。
 青い車体は周囲を威嚇するように一度強く噴かすと、翼のすぐわきをかすめて路上へと飛び出していった。仲間の少年たちが次々とそのあとにつづく。それは、あっというまの出来事だった。

 ひとり取り残された翼は、その場に座りこんだまま呆然とするばかりだった。
 なにが起こったのか、まるで理解できなかった。けれどもその心には、強烈な印象が刻みこまれていた。

 すれ違った刹那、勁い眼差しが翼を射貫いたような、そんな気がした。
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