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文字数 3,130文字

旧世界(ガイア)》は、外界との遮断を企図した特殊な構造の巨大ドームに覆われている。

 厚さ48メートルの二重構造の外壁が、南北約15キロメートル、東西約20キロメートルの範囲にわたって方形に街を囲み、その上部を、白銀の天井が窮窿(きゅうりゅう)をなして覆っていた。
 天井の高さは、天頂部で250メートル、外壁と交わる部分で75メートルと、地下都市のそれに比してかなり低い位置に設けられており、地下空間で天井部を支えるために多用されている柱も、構造上、不要であるとの理由から、内部には1本も存在していない。そのため、地上唯一のこの都市の景観は、地下都市に馴染んだ者の目に、平坦で殺風景と映るのがつねであった。

 地下の《首都(キャピタル)》に直通する空港は、このドームの南東部に位置していた。《旧世界》における自治の要となる行政機関は、この空港を中心に集まり、さらにその周辺に、官舎であるマンションや高級ホテルが建ち並んで官庁街を形成している。都市開発が進み、《メガロポリス》連邦政府の認可を得て業務に従事する人々が集まるこれらの区画を、《セントラル・シティ》と呼んだ。

 この《旧世界》もまた、地下における他の連邦都市同様、《メガロポリス》の管理下に置かれている。しかし、都市の存在目的が特殊であり、居住地としての認可もされていないことから、通常、人々が《メガロポリス》と言う場合には、地下の連邦都市群のみを指し、この地上の都市は、『ガイア』、あるいはその形状から『ドーム』と呼び分けるなどして、自分たちの生活空間とは区別するのが通例となっていた。

《旧世界》に、一般の居住区は存在しない。その禁を犯して存在する場所こそが、今回の翼たちの取材現場である。

《スラム》と俗称されるその地区は、セントラル・シティと対極の北西部に位置する。
 明確な区切りはないものの、地上における古い地名、『港湾区』とその周辺を指した区域がそれにあたり、中心地からはずれ、ドームの外壁に近づくほどに、その荒廃は顕著で、犯罪も凶悪化していった。

 そのスラムで、翼たちが取材を開始して、まもなく1週間が過ぎようとしていた。


 新設のビルが建ち並ぶ近代的な街並みのセントラル・シティとは異なり、周辺地域では、人類が地上に()りしころの建造物が、当時のままに残されている。老朽化による崩落事故を防ぐため、専用薬剤による外壁保護と、ある程度の補強、そして耐震措置は施してあるものの、専門家による実査対象となることから、基本的には手つかずの状態で保存されているとのことであった。
 治安の悪化により行政の手が行き届かなくなったスラム地区も、例外なく昔の光景が維持されているのは、このためである。

《メガロポリス》最大の都市《首都》で生まれ育った翼にとって、数世紀以上も昔の建築物が荒廃にまかせて建ち並ぶ光景は、寂寥とした印象が拭えないものだった。それでも数日が経過するころにはその景観にも慣れ、むしろ、そこに住まう者たちにとっては、その不画一な地理こそが、みずからを守るのに適した構造であることもわかってきた。

 現場に足を運ぶことで、はじめて見えてくるもの、肌で感じられるものはたしかにある。しかし、翼たちに立ち入ることができたのは、スラムのごく末端、はずれの地域に限られていた。その先へ足を進めようとすると、必ずそれを阻む者が現れる。部外者のスラム内部への侵入を、少年たちは決して許すことはなかった。
 あらかじめ予測してきたことではあったが、このままでは彼らが実際にアジトを築く奥の領域にまで活動範囲をひろげることは難しく、状況的にも、ほぼ不可能と思われた。

 根気が試される中、それでも数日かけて港湾区南東部付近を歩きまわるうち、そのあたりを溜まり場にしている、比較的警戒心や厭世(えんせい)傾向の少ない少年たちから話を聞くことができるようになった。むろん、そこに至るまでには、幾度となく危険な状況に直面したことは言うまでもない。しかし、幸いにも翼には、頼りになる相棒がついていた。そして彼らの周りで発生した荒ごとは、すべてこの相棒が一手に引き受けてくれた。(ほとん)ど圏外に近い場所とはいいながらも、翼が安心してスラムを歩きまわり、無傷で取材をつづけることができたのは、ひとえにこの頼りになる相棒の存在あればこそと言えた。

 会社が翼につけてくれたカメラマンは、写真のプロであるばかりでなく、このうえなく優秀なボディガードでもあった。事前に話には聞いていたものの、頭で理解するのと、実際にその腕前を目の当たりにするのとでは雲泥の違いがあった。

 絡んでくる破落戸(ごろつき)どもを地面に沈めるのは朝飯前。彼らを締め上げて取材協力する旨の言質をとるのも余裕綽々(しゃくしゃく)。とてもカタギとは思えない物慣れた態度が、こてんぱんに伸した直後の少年たちの戦意をたちまち失わせ、平伏させた。
 無鉄砲な少年たちの闇雲な攻撃に対するとき、レオの反撃には、つねに充分な余裕が窺えた。結果、激しい乱闘の末、決着がついたときに少年たちが負っている怪我は、最小限におさえられていた。

 その腕っぷしのよさと優れた身体能力、剛胆な精神力に、翼は毎度舌を巻く。そして、この相棒が撮る写真についても、非常に高く評価していた。

 洗練された高性能の撮影機器が世に氾濫する中で、彼女が好んで愛用しているのは、いささか時代遅れの、古臭い型の静止画専用カメラだった。重量感たっぷりで持ち運びに便利とは到底言いがたく、機能も必要最低限にとどめられている。無骨で大きく、野暮ったいデザインのそれは、しかし、職人気質(かたぎ)の相棒によって日々丁寧に手入れされ、使いこまれていた。
 レトロな機材は、だからこそ彼女のような写真家が持つに相応しい。旧型ならではの魅力を最大限に引き出し、なおかつ、見る側に強烈に訴えかける作品を創り出す。技量のみで勝負する信念とそれを貫く姿勢が、選んだカメラに如実に表れていた。
 切り取られた刹那の中に、素朴なあたたかみと心を(えぐ)り出す真実とが共存する何気な1枚。そこには、レンズをとおして被写体と向き合う、撮影者の真摯な想いが映し出されていた。

 自分もそんな、表層に見えているものの奥にひそむ真実を見極め、あるがままを伝えていける人間になりたい。相棒の助けを借り、スラム生活者との対話を進めるにしたがい、翼の中でその思いは強まり、それはやがて、信念へと変わっていった。

『社会から逸脱した』と、ひと言で表現するのは簡単である。だが、その逸脱にも、さまざまな種類や事情、理由が内在する。


《セレスト・ブルー》のルシファー。

 やはり、どうしても彼に会わなければならなかった。
 少年たちの心の聖域に位置づけられる〈彼〉は、もはやこの取材において、決して欠くことのできない、要とも言うべき存在となっていた。

 彼に少しでも近づくために、自分はこの先、どうすべきなのか。

 何気なく視線を落とした先で、左手首に嵌めた通信端末が目に留まる。それは、地上を訪れた初日、グループ抗争に巻きこまれた翼の腕からはずれ、騒乱の彼方に消えたはずのものだった。
 騒ぎの翌日、病室を訪れた警察を介して、遺失物の届け出はしておいた。持参した手荷物も含め、紛失したものが手もとに戻ることはおそらくないだろう。事件担当の警察官にあらためて言われるまでもなく、翼自身も、あの状況でなくしたものが見つかることはまずあるまいと諦めていた。それが――
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