(2)

文字数 2,631文字

「とにかく、あたりまえのことだが、地上にはいまも風は吹いていて、ドームで覆われているこの場所でも、それを感じることができるというわけだ」
「ということは、この《旧世界》は、外界と完全に遮断されているわけではないんですね?」
「地下都市で生まれ育った我々の感覚からすれば、至極当然の疑問になるわけだが、実際はもっと寛容で、そのくせ容赦がない」
「というと?」
「君も知ってのとおり、《旧世界》には4つの出入口(ゲート)が存在する。セントラル・シティの南東部に設けられた《南風門(ノトス)》を筆頭に、《西風門(ゼフュロス)》、《北風門(ボレアス)》、《東風門(エウロス)》。外界に繋がるそれらの出入口は、通常厳重に封鎖されていると思われがちだが、実際には封鎖どころか扉そのものが存在しない」
「そう、なんですか……?」

 翼は目を瞠った。

「外壁の厚みのぶんだけトンネル状に通路が造られ、そのまま外界へと繋がっている。そのトンネル通過時に、ナノ単位での異物除去から滅菌処理まで行われるのはもちろんのこと、外部に向かう者に対しては、半日程度は持続効果のある防護措置が施される……んだったかな、マリン?」
「そうです。ゲートの距離は外壁の厚みとおなじく48メートル。《旧世界》入出時のいずれの場合も、最初の5メートルで生体反応の有無がチェックされ、人以外の生物は特殊なシールドによってその先への進行が阻止される仕組みとなっています。通過可能と判断された場合には、その進行方向に応じてさまざまな処理が自動的に施されるシステムが作動します。外界から《旧世界》へ戻る際には、外界に繋がるものはそこで徹底的に排除、浄化され、逆に出ていくときには、紫外線防止やウィルスカットなどの保護膜が施されます。ですが、それらの処理が通行者に体感されることはありません」

 解説書でも読み上げるような完璧な回答に、シュナウザーは満足げに頷いた。

「そんなわけで、《旧世界》内には、それらのゲートから流れてきた、浄化済みの〈風〉が吹いている。さらにそのうえで、清浄装置は24時間作動してるし、吹きこむ風量もある程度は調節されているけれどね」
「そうだったんですか」
「旧い西暦が廃されて、《メガロポリス》での標準時間に合わせた《新国家歴》が導入されるようになって450年。いま現在の地上は、一般に我々が想像しているほどひどく汚染されているわけではない。ただし、現時点においてもやはり、人が住むに適した環境とは言いがたいものではあるけれどね」
「でも、だからといって、外界に放り出された途端、死んでしまうほどひどくはないわけですね?」
「そのとおり。現に、学者たちが調査のために外へ出ていくことだって年数回はあるわけだからね。こんなことを聞けば君たちは驚くかもしれないが、外界への出入りは、だれもが自由だよ。認証確認すら必要がない。自動扉をくぐるような気軽さだ」
「え、でも……」
「そう。しかし、それでも皆、《旧世界》に留まって外へ出ていこうとはしない。君たちが取材している少年たちでさえ、《旧世界》内のスラム地区を根城にしている。外へ出ていけば、少なくとも役人(われわれ)の手が届くことはないにもかかわらず、だ」

 思わせぶりに言葉を切って、シュナウザーは赤ワインを飲み干し、グラスを弄んだ。

「なにか、理由があるんでしょうか? 外に出ていけないような危険があるとか」
「危険……。まあ、危険といってしまえば、まさしくそうなんだろうな」

 独語めいた呟きを漏らすと、シュナウザーは微苦笑を浮かべてグラスを指で弾き、わきへ押しやった。ほぼ同時に、ソムリエが恭しい所作で紅い液体を()ぎ足して下がる。短い沈黙の後、シュナウザーは口を開いた。

「つまりね、我々の躰も、そして心も、完全に《メガロポリス》に適応してしまったというわけだよ。この場合の《メガロポリス》というのは、この《旧世界》をも含めた社会構造をいうわけだが」
「どういうことでしょう」
「わからないかい? 考えてもみたまえ。我々人類は、もうずっと永いこと安全に守られ、すべてが完備された、限られた空間の中で生活することに慣れきってしまった。そしてそれが、我々にとっての当然の『世界』になってしまった。
『外』は脅威だよ。我々を護ってくれるなにものもない。そしてその逆に、我々の『世界』にはないすべてがある」
「……だから、だれも出ていかないっていうんですか?」

 そんなばかなことがあるだろうか。

 翼は納得することができなかった。
 いくら《メガロポリス》というひとつの特殊化された環境下で安寧が得られたからといって、かつて人類がその繁栄を誇り、謳歌したはずの世界に後込(しりご)みし、あまつさえ、完全に切り離して排することなどできようはずもない。そう思うのは、間違いなのだろうか。
 けれども、社会から逸脱したといわれる少年たちが、スラムに留まって外界へ出ていかないこともまた、動かしがたい事実なのだ。そして翼自身、このような席で気軽に話題にのぼるほど、《旧世界》と外界の出入りが自由で、一般に解放されていることを知らなかった。

『翼、俺ね、いつか地上に行ってみたいんだ。ドームの外に出て、そして本物の空が見てみたい。この大地(ほし)は、とてつもない可能性を秘めたすばらしい生命力に満ち溢れてる。おまえも、そう思わないか?』

 幼馴染みの言葉が脳裡に甦る。

「はじめに言った、寛容でいながら容赦がないという意味はそこにある」
 シュナウザーは言葉を重ねた。
「さあ、自由を与えようと扉を開いておきながら、そのじつ、その先に本当の自由を見いだすことがいまの我々にはできない。結局、留まる以外の選択肢しか与えられていないことになるんだ。
 (にわか)には信じがたいことだろうし、後ろ向きで、病的な考えだと君は思うだろうね。だが、新見くん、そう思うならば、君も一度、ドームの外へ行ってみるといい。広漠(こうばく)たる虚無のひろがり。それが現在の地上の、真実の姿だ。果てしなくひろがる廃墟と虚空に包まれてしまうと、どうしようもない無力感に襲われるものだよ。まして、青く美しい、生気に満ち溢れていたひとつの惑星をそんなふうにしてしまったのは、まさに我々人類なのだから」

 まさに、我々人類なのだから――

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み