3−4

文字数 1,218文字

 桜田先輩とあたしの家はまったくの逆方向にある。
 あたしが乗るバス停は先輩が乗るバス停から見て、大きな道路を挟んで向かい側になる。ベンチに座って扇子で首元を仰ぐ先輩は実に優雅だ。車が通らなければ互いの姿が見えるので、その瞬間を狙ってあたしは先輩に向かって手を振った。そうすると先輩が手を振り返してくれる。距離があるのではっきりは分からないけど、どうやら笑みを浮かべてくれているようだ。

 夏空をバックに、バス停のベンチに座る桜田先輩。その光景だけで一枚のポストカードのようで、あたしはそれを携帯電話のカメラで撮ってみた。撮影ボタンを押した後に少しのタイムラグがあるせいか、写真の端っこに軽トラックの頭が少しだけ映り込んでいる。

 ──くそー、台無しだ。

 あたしが勝手に写真を撮っていることに気づくなり先輩は扇子を鞄のポケットに突っ込んで、腕をクロスさせて胸元でバツを作った。顔の前に手を持ってきて、撮影禁止をジャスチャーで訴えてくる。その様子も可愛いから撮っちゃおう。
 先輩も仕返しと言わんばかりに携帯電話を構えたけれど、その瞬間に先輩が乗るバスが到着してしまう。

 先輩はバスに乗るなり、携帯電話を操作してからにやりと白い歯を見せてきた。どうやら汗だくのあたしをその携帯電話の中に収めてしまったらしい。先輩の携帯電話が急に爆発でもしない限り、あたしはその中に残ってしまうのか。
 そう思うと胸の辺りで魚でもぐるぐると泳いでいるような、奇妙な感触を覚えてしまう。こら待て、と言いながらもあたしはその魚を捕まえて動きを止めてしまうことはできなかった。

 帰宅すると小夜がピアノの練習をしていた。サイレントピアノなので音が出ることはないけど、その指の運びや小夜の目つきからあまり楽しそうには見えなかった。小夜は大きなピアノコンクールに向けて必死こいて練習をしているわけだから、楽しくないのは当然といえば当然だけども。

 小夜はすごく頑張り屋だ。将来は音大へ進んで世界を駆け回るピアニストになることを目標にしている。そして勉強だって頑張っている。小学生の頃からそんな感じだった。

 なんというか、小夜はいつも走り続けているイメージだ。小夜のバックにはいつも『天国と地獄』が聞こえてしまう。運動会でよく流れているあれだ。なんだか身体が自然と駆り立てられるというか、走らなければいけない衝動に駆られるというか。だから小夜はいつもああなんだろうと密かに思っている(勿論本人には言わないけど)。

 今は県外に出ているお姉ちゃんはまったく音楽に興味がなくて、我が道を進んでいる。お姉ちゃんの目の前の道は真っ直ぐだ。それに対してあたしはこの通りで、寄り道ばかりをして呑気に歩んでいる。

 それの何が悪いということはない。それぞれが行きたいところを目指せばいいんだと思う。どんな道を進んだって、ゴールテープを切ればそれでいいんじゃないか。勿論、人の道にそれるのはまずいけど。
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