4−2

文字数 1,700文字

 あたしの頭の中でポクポクと木魚みたいな音がして、その重みに頭を傾けた。それを見た梨沙子は腕を組んでお母さんみたいな溜息をつく。

「火のないところに煙は出ないって言うじゃん。嘘にしろ本当にしろ、少なくともまともな人じゃないと思うよ」
「そんなことないよ、桜田先輩は優しいよ」
「今は優しいだけかもだよ。それに変な噂がある人と付き合ってると、梅まで変な噂立てられちゃう。気をつけなよ」
「梨沙子、ひどいよ。先輩のこと何も知らないのに」
「なんなの? せっかく情報聞いてきてあげたのに!」

 全部間違った情報かもしれない。だけど、あたしよりも『情報』を持っている梨沙子は偉いのだ。知らないあたしは梨沙子から見て、『下』の存在だ。

 どうして持っている人は偉いなんて、そんな構図が勝手にできあがってしまうんだろう。偉い人はどうして下の気持ちを握りつぶしていいんだろう。

 周りがあたし達の様子を窺い始めるけど、決して介入はしない。興味本位で聞き耳を立てているだけで、それを感じ取るとお腹の中がぎゅうとつねられているようだった。

 あたしは弁当箱を片づけてさっさと音楽室へ向かった。本当ならば音楽室では飲食禁止だけど、今日は許してほしい。食べかけのおかずをひとつひとつ箸でつまんで口に運ぶ。今日はあたしが大好きな鶏の唐揚げが三つも入っている。きっとお母さんが昨日の夕食のときのことを気にして入れてくれたんだろう。

 あたしが喜びながら食べる姿を想像してお弁当箱に詰めてくれたのかもしれない。だけどあたしは今たったひとりで、外の雨みたいな気持ちでそれをつついている。お母さんの顔を思い浮かべると、ひどく申し訳なくなった。

 少し固くなった唐揚げを口に含むと、旨味がじゅわりと口の中に広がる。お母さんの唐揚げは出汁醤油を使っているから、お肉と醤油の風味の中にも強いお出汁の香りがする。いつも通り、変わりなく、お母さんの唐揚げは美味しかった。

 最近のあたしは誰かと喧嘩してばかりだ。昨日まで央ちゃんともぎこちないままだったし、今日は梨沙子と。頭に血が上りやすくなっているんだろうか。

 梨沙子はあたしのことを心配してくれた、ただそれだけだ。だけど桜田先輩のことをあんな風に言ってほしくなかった。
 とはいえ、あたしも桜田先輩のことをよく知っているわけではないということに気づく。名前とクラスと、部活と、カメラが好きだってことくらい。

 先輩に会って確かめたい。だけど、何ひとつとしていい噂がない。こんな風に生徒の間で言われていると知ったら、先輩はどう思うだろう。もしあたしなら、塞ぎ込んで学校へ行けなくなってしまうかも。

 ──ああ、考えたって答えは出ない。

 嘘か本当か分からないことを考えてもどうしようもない。気分を紛らわすためにあたしはピアノに向かう。

 小夜が必死こいて練習しているメンデルスゾーン。小夜が弾いているときに楽譜をちらっと見ただけだからあまり覚えてはいないけど試しに弾いてみたら、やっぱり撃沈した。指の運びも上手くいかないし、リズムもめちゃくちゃ、そりゃあ小夜があたしを下に見るはずだ。

 ──ムカつく。全部。

 小夜がピアノを独占しているのも、梨沙子が桜田先輩のことを好き勝手言うのも、いい加減な噂も、そして、勝手にイライラしているあたしにも。
 鍵盤を叩く人差し指に力が入って、乱暴な音がする。だけど気にしている余裕なんてない。
 あたしが叫びだしたいものをピアノに代わりに吐かせた。

「……梅ちゃん?」

 割れそうな音の中にすっと入ってきた、聞き覚えのある声。あたしはふっと正気に戻って振り返る。

「桜田先輩……」
「どうしたの? ひどい演奏」
「……あ、はは。ひどい、ですよね。あたし練習してなくて下手くそで……」

 先ほどまであたしの感情を代わりに吐かせていたピアノから逆襲を受けているようだ。静かになったピアノは、お前がさっきぶつけた分だぞと言わんばかりにあたしの心臓を打ち鳴らす。
 そんな音を身体で響かせていると、なぜか顔もうまく作れなかった。あたしの顔からは長いこと油を差していない機械みたいな音がする。ぎこちない音と、汚い表情。
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