7−7

文字数 2,009文字

 ──普通の男の子と女の子のようにお日様の下で手を繋いではいけない。

 ひばりさんが前にそんなことを言っていた。明確な理由が分からなかったけど、皮肉にもこんなところで答えを得てしまった。
 ひばりさんはこうなることを分かっていたんだ、と。

「やめなよ!」

 梨沙子が教室に入ってくるなりそう叫ぶ。教室の生徒がびくりと身体を震わせて、あたしから梨沙子へ視線を移した。梨沙子は向けられる銃口に臆することなく、あたしの前に立った。

「この画像、消して」
「え?」
「消してよ、今、あたしの目の前で」

 梨沙子は教室中に響くように言い放つ。周りにいた子達も携帯を操作し始めた。

「梅に根掘り葉掘り話を聞こうとするなんて、マジでただのおばさんじゃん!」

 梨沙子の声が空気をびりびりと伝い、教室中はしんと静まり返った。
 行こう、と梨沙子はあたしの手を引いて教室から逃がしてくれた。あの濁った教室の空気を吸うことにあたしは耐えられなくなっていて、梨沙子もそれを分かってくれたようだった。

「……梨沙子、ごめんね」
「どうして梅が謝るの」
「あたし、気持ち悪いよね。レズだもん」

 梨沙子はあたしの手を握ったままだったけど、更にそこへもう片方の手を添える。少し早歩きでここまで来たせいなのか少しだけ熱い。

「何も知らないで気持ち悪いとか言ってごめん。梅のこと否定するようなこと、言ってごめん」
「仕方ないよ、だって知らなかったんだもん」

 夏頃、梨沙子と喧嘩をした日のことを思い出す。時間が経って柔くなった棘がまた硬くなってきたようだ。だけど、その分だけあたしの心も硬度を増して、棘の先っぽの細いところくらいは跳ね返せるようになっている。だからあたしは梨沙子の『ごめん』をすっと受け入れられた。

「……あたし、あの子達がやったことムカついた。このメールも」

 梨沙子は携帯電話を取り出して、あの写真がついたメールを表示させる。メールには「この右の子知ってる?」と書かれていて、梨沙子を含めて四人に転送されているようだった。

 発信元は知らない人だった。梨沙子曰く、バスケ部の二年生の先輩だという。そしてその先輩にそれを送ったのは、三年生らしい。その三年生があたし達の写真を勝手に撮ったんだろうと梨沙子は言った。

「……どうして梅がこんなことされなきゃいけないのって、ムカついた。でも、あたしも同じようなことしたんだって気づいたらもっとムカついた」
「同じようなこと?」
「……女の人が好きってだけで、雑に扱ってもいいってどこかで思ってた。普通じゃない人は、あたしよりも下なんだって」

 梨沙子の言葉は棘っていうものじゃない。鋭いナイフを胸の真ん中に深く突き立てられた気分だ。

「でも……普通じゃないって何なんだろう。誰かを好きになるなんて、ありふれてることなのにさ。そう、思ったら……どうして雑に扱えるんだって、あたしはそんなに偉いのかって……」

 梨沙子は唇を結んでぐっと涙を堪えようとしている。口角だけが頑張って上がろうとしていて、震えるそこを見ているとあたしまで同じ顔になりそうだった。
 そう言って梨沙子はそのメールをあたしの目の前で削除した。

「ねえ梅、桜田先輩大丈夫なのかな」
「……ちょっと気になる。今から行ってもいいかな」
「ホームルーム始まっちゃうから急ごう」

 てっきりひとりで行かなければいけないと思ったのに、梨沙子はあたしの隣を歩いてくれる。足音がたったひとつ増えただけなのに、どうしてこうも心強いんだろう。

 ひばりさんのクラスを覗くと、数人の生徒がひばりさんを囲んでいた。座ったままじっと机の一点を眺めるひばりさんと、威圧的に立って見下ろす人達。状況は先ほどのあたしと似ているはずなのに、何か引っかかる。ひばりさんの周りはもっと悪意に満ちていた。

 あたしはそっとその悪意に向かって足を進める。その紺色の背中に近づいていくと、物騒な言葉があたしの耳を鋭く刺した。

「疫病神のくせに、また(さか)ってるんだね」
「どういう意味ですか、それ」

 その言葉は脳内の怒りを司るところを刺激するには十分なほどだった。その意味を考えることもなく、あたしはその先輩に牙を剥く。

 こんな言葉を浴びせられるひばりさんをどうしてこのクラスメイトは平気な顔で放っておけるんだろう。あたしは周りをぐるりと見回してみるけど、目が合った三年生は皆同じように下を向くばかりだ。

「知らないんだあ、桜田さんって疫病神だよ。こいつの元カノ、こいつと付きあって自殺してんだよ」
「……え?」
「あんたもそのうち死ぬんじゃないの」

 悪意を紡ぐ、赤い唇。ひばりさんと似ているけど、あたしが好きなその色とはまったく違う。こんなにも憎らしく、汚らわしいそれをあたしは黙って見ていられなかった。
 気づくとガタガタと机同士がぶつかり合う音がして、その後はよく覚えていない。最後に記憶に残っているのは、真っ青になったひばりさんの顔だった。
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