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文字数 1,954文字

 音楽室に入るなり先輩がいつものように窓を開けると、風は先輩の髪の毛を遊ぶ。その光景にうっとりしていたら、先輩は下唇を軽く噛みながらあたしの方を見た。

「この前のことだよね?」
「はい。あたし、先輩のお返事聞いてないです」

 ──あと、先輩の恋愛対象と、あたしで遊ぼうとしているのかも。でもそれは後回しだ。

「……はあ。梅ちゃんの好きってどういう意味なの?」
「え? それは……そのままの意味です」
「……女子校ではよくあることだけど、先輩への憧れとか親しみの気持ちを恋愛感情だと勘違いしているだけ。冷静になれば、そんなことなかったって分かる。私、そういうのに付きあってられないの」

 先輩は薄い壁を作ってあたしを入らせないようしている。風で靡く髪の毛を押さえながら、凍るような息を吐く。
 あたしは足りない頭で先輩の言ったことを考える。つまり──あたしは先輩を好きだと思い込んでいるだけ、と言いたいんだろうか。

 思い込んでいるだけならどれほど楽だろう。あたしだって最初はそう思った。だけどやっぱり違ったから、あたしは先輩に伝えたというのに。

「あたしは本気です。すごく悩みもしました」
「じゃあ悩む時間が足りないよ。まだ正解に行き着いてないんだ」
「……正解? 何ですか正解って。あたしが先輩を好きじゃないってことが正解? あたしの中に生まれた、初めて生まれた気持ちは、不正解ってこと?」

 ──そんな風には言ってほしくなかった。

 どうしてあたしの心の動きを否定されなくてはならないのだろう。あたしの心はあたしのものだ。先輩のことは大好きだけど、先輩のものではないはずなのに。分かってほしいなんて、受け入れてほしいなんてことは先輩の心が決めるものだけど、でもあたしを否定していいのはあたしだけだ。

「……ごめん、これ以上付き合ってられない」
「じゃあ、ひとつ教えてください。先輩は女の人が好きなんですか」
「そんなこと知ってどうするの?」
「知りたいからです」
「……そう。好きだよ、女の人が。ただし私は本気の恋愛対象という意味で。ただの憧れなんかじゃない……梅ちゃんと違ってね」

 桜田先輩の言い方はあたしの心にぐいぐいと杭をねじ込んでくるようだ。先輩のいう正解とやらを何本も、何本も。憧れと恋愛感情を混同しているものと決めつけて、それを真っ直ぐに正すように。いつもの先輩じゃないみたいだ。桜色の唇に笑みを携えて優しく接してくれる先輩しか知らないあたしには耐えがたい。

「……じゃあ、不正解なあたしのことは嫌いですか?」

 あたしは先輩の気持ちを確かめるようにゆっくりと言葉を並べる。
 先輩はわざとらしい溜息だけを置いてから音楽室を出て行く。あたしはそれを捕まえようとしたけど、先輩は勢いよく振り払った。

「もう、付き合ってられないの……」

 喉の奥をぎゅっと絞られているような先輩の声が廊下に響いた。生まれて初めての音を聞いた赤ん坊みたいに、あたしはぼんやりと立ち尽くしてしまう。その間に先輩は立ち去ってしまった。

 ──付き合ってられないってどういうこと。嫌いってことなの?

 はっきり拒否してもらえた方が分かりやすいのに。嫌いって言ってくれたら今日だけ泣けば済むのに。どうしてそう分かりにくい言葉を使うんだろう。あたしはバカだから、少しの可能性を信じてしまいそうになってしまう。

 結局ピアノの練習をせずにそのまま帰った。バスに乗っても道を歩いても、頭の中には先輩のか弱い声ばかりが残っている。先輩の言う『不正解』ばかりを口にするあたしにはもう付き合ってられないということなんだろう。

 でも、先輩が言う『正解』とやらもあたしには見当もつかない。先輩の口ぶりはあたしが先輩を好きにならないことが正解だと言っているようだった。

 ──遠回しに断られたのかなあ。

 歩くペースがダウンしていって、砂利がローファーを擦る音がやたら際立つ。そこにあたしの情けない溜息が乗っかり、夏の青空でさえ太刀打ちできないほどの辛気臭さが一気に漂った。
 それを打ち破るかのような「おーい」という呑気な声がする──央ちゃんだった。あたしの雰囲気を察したのか、央ちゃんは一度財布の中身を見てからあたしの方へ駆け寄ってきた。本当にパフェを奢ってくれるつもりらしい。

「梅……その、今はお腹と時間に余裕あるか?」
「お腹も時間も大丈夫だけど、まだパフェは保留。ちょっと分からないことになっちゃった」

 央ちゃんはフクロウみたいに頭を右側に傾ける。おちょぼ口を更にすぼめている様が見慣れたものとはいえ可笑しい。

「何笑ってんだよ。ていうか、分からないことってどういうこと? ちょっと詳しく」
「央ちゃん、その言い方野良のおばちゃんにそっくりだね」
「そんなことないよ。俺はその……梅が心配だから!」
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