第3話 夏の影

文字数 1,376文字

 1学期の終業式が終わった後に、湖音は友だちの雪乃ちゃんに朝顔の鉢を入れたスーパーのレジ袋の片方を下げてもらって校門を出た。
 夏休みの観察日記の宿題だ。
 クラスメイトたちは、面談日に来た親が持って帰っていた。
 湖音は正子さんに持って帰ってと頼むことが出来なかった。習字セットと絵の具セットは、昨日までに持ち帰っている。
「一緒に帰ろうよ」
 同じクラスの咲(さき)ちゃんと宇奈(うな)ちゃんが追いついてきた。
 夏の陽が光を降らして足元の小さな4つの影が、大きなひとつの濃いかたまりになる。
 雪乃ちゃんと咲ちゃんが、曲がり角でバイバイして影が半分になった。
「ママに頼んで、湖音の家まで送ってあげるよ」
 宇奈ちゃんのママは、道路の反対側にあるコンビニの駐車場まで車で迎えに来ている。
 湖音はレジ袋に入れた朝顔の鉢を両手で抱えて「朝顔さんとお喋りしながら帰るからいいの」と断った。
 レジ袋から突き出た支柱に巻き付いたツルとつぼみの影が、間抜けな怪獣のようだ。
「怪獣さんは何色ですか?」
 湖音は影に尋ねた。何色の朝顔が咲くのか、ずうっと気になっていたのだ。
「そんなの、すぐ判るわよ」
 宇奈ちゃんがつぼみをひとつ摘み取って皮を剥がした。びっくりした湖音は何も言えない。
「赤色の朝顔よ」
 得意そうに色を見せた。
「朝顔が、可哀そうだよ」 
「可哀そうっておかしいよ。だって宇奈のママは、お花をハサミでチョッキンして飾っているよ。それに、吉山先生だって、判らないことは自分で調べなさいって言ってるもん」
 首を傾げている宇奈ちゃんに、湖音は詰め寄って強い口調で言った。
「少し待てば朝顔さんが教えてくれるのに、つぼみを取ってまで色を調べることはないよ!」
「どうして、湖音が怒るのか分かんない」
 宇奈ちゃんはそう言うと、横断歩道の手前で道路を渡ってコンビニの駐車場に走って行った。

 湖音が堤防の途中まで帰ったところで、正子さんの姿を見つけた。
 迎えに来てくれた。
 嬉しくなった湖音は大きく手を振る。正子さんも応えて手を振った。気が付くと、湖音は鉢を 両手で抱えて駆け出していた。
 正子さんの近くまで走った時に、つまずいてバランスを崩した。その拍子に朝顔の鉢を放り出してしまった。鉢の入ったレジ袋は、道のふちでバウンドしてから堤防の途中まで転がった。
「怪我はしてないかい」
 正子さんが、両手を地面についた湖音に駆け寄った。
 湖音は起き上がって、堤防を駆け下りた。レジ袋を拾いあげると、中から朝顔の鉢を取り出した。鉢から土ごとはみ出た朝顔のツルは、所々折れ曲がっている。
 宇奈ちゃんよりひどいことをしてしまった。
 呆然としている湖音の手から正子さんは、傷ついた朝顔を持ち上げた。根を鉢に戻して、傷んだ葉を摘み始めた。
「悪くなったところは、取ってしまわないと枯れてしまうからね」
 湖音は唇を噛みしめた。雫が頬から顎へと伝わる。摘み取ったつぼみの傍に落ちて、黒いしみができた。スニーカーの先で、湖音はそれに土を被せて消そうとした。しかし、スニーカーの上に次々と雫が降ってきた。
「初めてだね。泣いてる湖音を見るのは」
 正子さんの両手を肩に感じた湖音は、しゃくりあげながら腰に抱きついた。
「どうして、パパは会いにきてくれないの」
「困ったね」
 湖音が泣き止むまで、小さな影を大きな影が包んだ。
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