笑顔を集める  

文字数 814文字


 早朝のリフト乗り場は、スキー場の宿泊客だけで閑散としていた。
 僕の前にふた組のカップルがいる。
 その前のおばさんが一人でリフト待ちに立った。
 急いでいる僕は、カップルたちにことわっておばさんの隣に飛び乗った。

 僕は怒っていた。
 六年生の息子が、柔軟体操をしないで勝手にリフトに乗ってしまったのだ。
 七、八組前にいるはずだ。
 絶対に捕まえてやる。
「スキー板、落としちゃうわよ」
 隣のおばさんに声を掛けられた。

 僕はストックをスキー板にバンバンと打ち付けていたようだ。
「スキー板を落としたので、飛び降りた人がいたわ。よっぽどお気に入りのスキー板だったのね」
 心配になった僕はスキー靴を近づけて、金具が外れていないことを確認した。
「リフトも止まっちゃってね。あたし、このビデオカメラを持っていたから撮ったの。ズームで大きくして。するとその人、笑って手を振ったのよ。そんな場合じゃないのにさ」
 ビデオおばさんは、僕にレンズを向けた。
「ほら、笑った」
「えっ、笑いましたか? 僕」
「苦笑いってとこだけどね。ビデオカメラを向けると、けっこう笑ってくれるの。不思議よね」
「そのビデオカメラで、笑顔を集めているんですか?」
「あたし、そんなお気楽じゃないわよ。これで、子供や孫にくっ付いているの。カメラを回していると、どこにでも付いていけるでしょ。これが無いと居場所もないのよ」
 ビデオおばさんは寂しそうに笑った。
「今日も置いてきぼりよ。朝食が済むと、すっと消えちゃってね。慣れてはいるけどさ。そんな時に、笑顔を貰うと少しは元気になるってものよ」

 リフトの終点が近づいた。
 ストックを振り上げている小さい姿が見える。
「あそこで、手を振っているのが僕の息子です」
 ビデオおばさんは、僕がストックで指した方にビデオカメラを向けた。
「もうひとつ、元気をもらっちゃったわ」
 僕が横から覗き込むと、ビデオカメラのフレームには大きく息子の笑顔が映っていた。

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