19)財政健全化思想は中世時代の遺物

文字数 1,562文字

(じいちゃん)

 財政健全化や財政規律という言葉を聞けば、多くの人は「健全」「規律」という言葉のイメージに酔って、何か良いことのように感じるようじゃ。しかし言葉のイメージに騙されて物事を判断するのは危険じゃ。言葉のイメージを操ることは、洗脳の基本的な手法じゃ。それにまんまと乗ることになる。

 そもそも、財政健全化は本当に必要なのじゃろうか?

(ねこ)

 政府が借金を増やすのは良くないから、財政健全化は大切なんだにゃ。

(じいちゃん)

 多くの人は、マスコミの報道を毎日聞かされているため、政府の借金を増やすのは良くないから、財政の健全化が必要だと「深く考えること無く」思い込んでしまう。しかし、深く考えてみると、財政健全化という考え方は、中世時代の遺物ではないかと思われるのじゃ。

(ねこ)

 へ、どういうことにゃ?

(じいちゃん)

 すでに話したとおり、昔のおカネは金貨や銀貨のようなコイン(金属貨幣)じゃった。金貨や銀貨は金や銀がなければ発行することができない。だから、政府がおカネを発行して財源にしようと考えても、おのずと限界があったのじゃ。

 ということは、政府が財政支出を行おうとすれば、財源の大部分は通貨の発行ではなく、税金によって賄うしかなかったのじゃ。もし税収よりも多くの歳出を行おうとすれば、必然的に、政府が金貸しから借金をしなければならなくなる。これでは、たちまち、借金で首が回らなくなってしまうのじゃ。

 だから、昔の政府は、財政支出を税収の範囲にとどめる必要があった。これを均衡財政(プライマリーバランス)という。

 つまり、おカネを自由に発行できなかった中世時代には、均衡財政は必要不可欠であり、財政を均衡させなければ政府は破綻してしまったのじゃよ。だから均衡財政は大切で、財政健全化も大切じゃった。

(ねこ)

 昔はおカネが必要なだけ十分に発行できなかったから、財政健全化、均衡財政(プライマリーバランス)以外に選択肢はなかったんだにゃ。

(じいちゃん)

 その通りじゃ。ところが、中世時代の後期に銀行が登場し、やがて政府が国立銀行を運営するようになった。すでに話したとおり、銀行は金や銀のような貴金属がなくても、紙で銀行券というおカネを作り出すことができるようになった。つまり、やろうと思えば(実際にはやらないが)いくらでもおカネを発行できるようになった。

 制度的に言えば、管理通貨制度によって、政府の中央銀行が、政府の発行する国債を買い入れることによって通貨を発行するようになった。おカネを発行するうえで、金貨や銀貨のような制約はなくなったのじゃよ。

 ということは、おカネを発行して財源にすることが可能になったのじゃ。だから、必ずしも税収の範囲内で歳出をとどめる必要もなくなり、均衡財政の必要性は消失したのじゃよ。

 にもかかわらず、未だに均衡財政を必死に守ろうとするのは、中世時代の思想から抜け出せない、古くて柔軟性に欠ける考え方であることがわかるのじゃ。

(ねこ)

 う~ん、でも、おカネを発行して財源にすると、世の中がおカネだらけになって、インフレがひどくなるんじゃないかにゃ。

(じいちゃん)

 まさにその通りじゃ。おカネを刷りすぎればインフレがひどくなるのが問題じゃ。というこことは、インフレがひどくならない範囲でおカネを発行して財政支出を行っても、何の問題もないということじゃ。それ以外に反対する理由がないのじゃ。

 健全化だの、規律だのという言葉に騙されて、盲目的に均衡財政を守る必要はないということなのじゃ。

 もちろん税収は必要じゃ。じゃが、税収で財源が足りないのであれば、インフレがひどくならない限り、おカネを発行して財源に加えることができる。そうした柔軟な発想こそが、日本経済の復活のために求められておるのじゃよ。
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