第8話 熊倉一雄さんの朗読

文字数 2,742文字

 熊倉一雄さんが朗読していたのは、「三匹のやぎとトロール」でした。

 熊倉一雄さん。
 舞台の代表作としては、井上ひさしの戯曲第一作『日本人のへそ』などになるかと思われますが、一般的に有名なものとしては、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌が挙げられます。「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー、朝は寝床でぐうぐうぐう」というあれですね。
 他には、NHKで放送していた海外ドラマ『名探偵ポワロ』のポワロの声は、当たり役であると同時に代表作でした。

 渥美清さんの声というのは高く澄んでいて、このエッセイで紹介した「うさぎどん きつねどん」でも、言葉のひとつひとつが、まるで清水をくぐってきたかのように、非常にクリアに聴こえたのを覚えています。
 それに対し、熊倉一雄さんの声はちょっとだみ声なのですが、独特の可愛らしさ、愛嬌があって、そこが子供向けの朗読にとても合っていたのだと思います。

 さて、話はレコードの「三匹のやぎとトロール」に戻ります。
 さっき調べてみたら、最近の絵本などでは魔物の名前が「トロル」と表記されているものが多いようですが、わたしの聴いた熊倉さんの朗読では、「トロ

」と長音化していたと記憶しています。

 このお話はとても単純です。
 三匹のやぎがおいしい草をお腹いっぱい食べるために、丘へ行こうとするのですが、途中の橋の下にトロルという魔物が()んでいるんです。

 橋は一匹ずつしか渡れないようになっているので、三匹のやぎが順番に橋を渡っていきます。物語としては、それだけです。

 最初に、身体の一番小さいやぎが橋を渡ります。
 果たしてトロールが出てきます。
 正確な台詞は忘れてしまったのですが、この(しょう)やぎは、後から自分より身体の大きな(ちゅう)やぎが来るから、そいつを食べた方がいいと言うんです。

(えっ、自分さえ食べられなければ、友達が食べられちゃってもいいの?)
 当時のわたしとしては、小やぎのしれっとした態度にびっくりしてしまいました。

 次に橋を渡るのは、中やぎです。
 またトロールが出てきます。
 中やぎは中やぎで平然と、「後からもっと身体の大きなやぎがくるから、そいつを食べた方がいい」と言います。
 トロールは(どうも魔物にしては人が好すぎるような気がしないでもないのですが)、言われた通り、三番目のやぎがやってくるのを待つことにします。

 さあ、いよいよ(おお)やぎの登場です。
 このレコードで一番印象的なのは、大やぎがうたう歌なのです。

 トロール出てこい、さあ出てこい!
 お前の目玉を突きさすぞ!
 ぶっすり突き刺し、えぐりぬく
 するどい角も、ふたぁつある!

 こうして書いてみると、かなり過激な歌詞ですが、熊倉さんの、ユーモラスで愛嬌ある声のおかげで、残酷な感じは見事に払拭されていました。わたしの耳には、魔物に立ち向かう勇気に充ち満ちた、ただひたすら痛快な歌として響いていたのです。
 この歌は何番かあり、「お前の目玉」だけではなく、「お前の頭」というバージョンがあった気がするので、わたしのもうひとつのエッセイ『台灣懶惰日記~其の貳~』の方にはそちらを書いておきました。

 大やぎは自らうたった歌の通り、見事トロールをやっつけて、無事丘の上に着きます。
 そして丘の上で、三匹はおいしい草をお腹いっぱい食べるのです。
 このレコードには、朗読内容が文字起こしされている冊子がついており、そこには挿絵も描かれていました。
 丘の上で草を()む三匹が、なんともおいしそうな表情をしていたのを覚えています。

 ただ――

 当時のわたしとしては、この物語には釈然としないものが残りました。

(小やぎと中やぎって、ちょっとちゃっかりしすぎじゃないの?)

 大やぎを信頼していると言えば、聞こえはいいかもしれませんが、もし万一大やぎが食べられてしまったら、どうするつもりだったのでしょう。

 力を合わせて魔物を倒そうというのではなく、危険極まる仕事を大やぎに丸投げし、自分たちは涼しい顔で先に丘へ行って、おいしい草を食べちゃっているなんて!

 しかも、大やぎがようやく丘に到着した時、二匹はこの英雄に対し、特に感謝の言葉を捧げるわけでもないのです。このあたりの台詞はよく覚えてはいないのですが、「おーい、遅かったじゃないか」「先に始めさせてもらってたよ」みたいな感じなんですよ、この二匹は。

(なにそれ!)

 心の狭さでは人後に落ちない(?)わたしとしては、どうしても

した感じが残ってしまうのでした。

 でも、好きか嫌いかと言われれば、わたしはやっぱりこの物語が好きでした。だから最後まで残った数枚のレコードの中のひとつだったのです。

 それこそ熊倉一雄さんの朗読の力、特にあの歌の力だったと思います。

 英雄というのはね、見返りを求めるものじゃないんだ。
 勇気というのはね、別に悲壮なものじゃないんだ。

 実際にはそんな言葉は入っていないのですが、わたしが熊倉一雄さんの朗読を通して受け取ったメッセージは、たぶんそういうことだったのではないかと思います。

 大やぎもきっと、小やぎと中やぎのちゃっかりぶりはよくわかっているのです。でも、彼は少しも怒りません。見返りなんて、最初から必要としていないからです。
 また、「この二匹は俺が守ってやらなければ!」というような悲壮感もありません。からっとして、明るいのです。
 幼稚園生のわたしが好きだったのは、大やぎの明るさだったのかもしれません。

 この明るさは、いったいどこからくるのでしょうか。もしかしたら、こういうことではないかと思うのです。

 運命を、信じる。

 いくらやぎの中では身体が大きいと言っても、やっぱりやぎはやぎでしかありません。文字通りの草食系です。肉食系の魔物の方が身体だってずっと大きいし、顔だってひどく恐ろしげです。

 でも、運命を信じる。なんとか、なる。きっと、大丈夫。その楽天性は決して蛮勇(ばんゆう)と軽んじられるべきものではなく、人生に対するひとつの聡明な態度だと言える気がするのです。

 もちろん、当時のわたしが「人生に対する態度」なんて難しい問題を考えていたわけではありません。それでも、回転するLPレコードから吹き寄せてくる、明るく爽やかな風のようなものは確かに感じ取っていました。
 子供というのは、最初はこんなふうに、ただ感覚的に〈何か〉を吸収しているものなのかもしれません。その〈何か〉は時間をかけて少しずつ、その人にとっての大切な言葉となっていくのでしょう。

 トロール出てこい、さあ出てこい!

 わたしたちの人生には多くの橋が架かっていて、その下には、いつもトロールが隠れています。
 でも、それを必要以上に恐れる必要は、たぶんないのです。

 ――なんとかなるんですよ、きっと!
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