第7話 北林谷栄さんの朗読(三)

文字数 3,168文字

 次に、長靴をはいた猫は政治的手腕を駆使し、この国の王様に接近します。具体的には、うさぎとかを捕まえて、王様に献上するのです。その時、必ずこう言うのを忘れません。

 カラバ侯爵さまからの贈り物でございます。

 北林谷栄さんは、こう続けます。

 カラバ侯爵、なぁんて立派な名前ですけどね、本当は……

 本当はダメ男です! 
 とは言わなかったですが、実際のところは粉挽きの三番目の息子にすぎません。このあたりは、朗読者が聞き手にそっと教えてくれている秘密なわけです。
 子供は秘密が大好きです。わたしは、朗読者が自分に心を許し、秘密を共有してくれているような気になって、わくわくしたものでした。

 ある日、王様がお姫様を連れて、この近くを通るという情報を猫は掴みます。
 猫は、ちょうど王様が通りかかる時間に、裸で川に浸かっているように三番目の息子に命令します。
 息子はまたぶつぶつ言うんですが、結局――

 猫がそう言うもんですから……

 仕方なく、言われた通りにします。
 
 やがて、王様とお姫様を載せた馬車が川の近くへやってきます。この時、猫は一世一代の名演技を見せるのです。馬車の前に飛び出して、こう叫びます。 

 た、た、助けて下さい! 助けて下さい!
 カラバ侯爵さまが川で溺れていらっしゃいますぅー

 これ、今の言葉で言うと、じわじわくる台詞なんですよね。

 川で溺れていらっしゃいます。
 面白い日本語でしょう?
 ちょっと例を出します。

 今日、川の近くを通りかかったら、社長が溺れていらっしゃった。

 この人、社長のこと助けてないですよね! 完全にスルーしてますよね(笑)

 まあ、王様としては、いつも贈り物をくれるカラバ侯爵が「溺れていらっしゃる」ものですから、すぐに家来を(つか)わして助けてくれます。

 猫はカラバ侯爵――じゃなくて、粉挽きの三番目の息子の着物を先に隠しておくんです。そうして王様に、泥棒がカラバ侯爵の服を盗んでいってしまったと告げるのですが、そのくだりの北林谷栄さんの声をわたしはよく覚えています。

 着物は()られる、主人は溺れる、もう本当に困ってたところなんでございます。ニャーゴ。

「着物は盗られる、主人は溺れる」という部分が対句になっているんですね。当時はもちろんそんなことはわからなかったのですが、こういう巧みな修辞法のおかげで、今だに覚えているわけです。
 あと、「ニャーゴ」の部分は、北林谷栄さんはあまり可愛い感じには読まないんです。低い声でクールに読みます。猫は、一貫してかっこいいんです。

 王様はすぐに一揃いの服を用意して、三番目の息子に着せます。

 お姫様は、もう一目でカラバ侯爵が好きになってしまいました。

 それまでの言動が残念だったので、とてもそういうイメージはなかったんですが、この三番目の息子、どうやらイケメンだったらしいんです(笑)
 
 北林谷栄さんは、「もう一目で」の「もう」をかなり短く、はやく、そして後に続く「一目で」の部分を強く読みます。それによって、「お姫さま一目惚れ」の感じがよく伝わってくるのです。

 それにしても……

 こんなやつを一目で好きになっちゃうなんて、お姫様もあんまり賢そうじゃないな、と幼稚園生のわたしは思ったものでした。

 猫の方は、休んでいる暇はありません。馬車の先回りをすると、畑で働いているお百姓たちに、こう言います。

 王様が、この土地は誰のものか、とお尋ねになったら、カラバ侯爵さまのものでございますと答えてください。そうすれば、あとできっといいことがありますよ。

 出ました! 「あとできっといいことがありますよ」の名台詞!
 ペローの原作では、この場面は、猫がお百姓たちを脅すことになっているらしいのですが、わたしが聴いたレコードでは、上記のようになっていました。
 
 もちろん、暴力的な原作より、わたしはレコード版の方がずっと好きです。

 あとできっといいことがありますよ。

 素敵な言葉だと思いませんか。

「王様が、この土地は誰のものか、とお尋ねになったら」の台詞についてですが、「この土地は誰のものか」という部分を、猫は王様になり切って、重々しく言います。その後で、「カラバ侯爵さまのものでございます」のところは、お百姓になり切って「へへー」とばかりにへりくだって読むんです。そういうところが、すごく面白かったです。

 しかも、あくまで「猫が王様の声真似をしている、お百姓の声真似としている」というスタンスは崩しません。基本はあくまで猫の声なんですね。
 そういうところがまた、なんとも言えないユーモラスな味わいを醸し出していました。

 王様は猫の予想通り、途中で馬車を停めて、お百姓たちに「この土地は誰のものか」と尋ねます。お百姓たちは異口同音に、猫に教わった通り答えます。
 その後、北林谷栄さんはお姫様に言及します。

 お姫様は前よりもっとカラバ侯爵が好きになってしまいました。

「なに、この底の浅い女!」
 当時のわたしはそこまではっきり言語化はできていなかったと思いますが、お姫様に対し好感を抱いていなかったのは事実です。

 最後はご存知の通り、魔物の住むお城の場面です。
 魔物が「何をしにきた」と問うと、猫は逆に、「あなた様がどんなものにでも化けられるというのは本当でございますか」と尋ねます。

 魔物はライオンに化けます。すごい迫力です。猫も内心は、魔物が怖いんです。ひげがびりびり震えるくらい。それがよく伝わってきます。それでも猫は勇気を出して、こう言います。

 でも、そのぉ、ちっぽけな鼠なんかには、まさかおなりになったりしませんよね? ニャーゴ。

 言われた魔物はむっとして、どうだとばかりに鼠に化けてみせます。
 その瞬間、猫はぱっと鼠を捕まえて食べてしまうのです。お見事!

 こうして、魔物のお城は猫の――いえ、カラバ侯爵のお城になったのでした。

 王様の馬車がタイミングよく到着します。

 猫は出迎えて、誇らかに、高らかに言うのです。

 ――「カラバ侯爵さまのお城へようこそ!」

 どうしてわたしは、このお話があんなに好きだったのでしょう。
 わたしにとって、この猫は人間としての理想像だったのだと思います(猫ですけど!)

 猫はふだん、怠けています。これだけの能力がありながら、粉挽きの父親が死ぬまで、その才能の片鱗も窺わせることはありませんでした。

 粉挽きの父親が死んで自分が三番目の息子の遺産になってしまい、あやうく食べられそうになって初めて、猫は仕事を始めます。

 先ず三番目の息子に長靴を作らせ、それをはいて二本足で立ち上がります。違うモードに切り替わったのです。
 そして水も洩らさぬ巧みな計画を立てると、類い稀な智慧と実行力で、ひとつひとつ、着実にパーツを嵌め込んでいきます。

 全てのパーツが嵌まるべきところに嵌まり、一枚の見事な絵として完成した後、猫はどうするでしょうか。
 なんと、元のぐうたら猫に戻ってしまいます。
 時々、遊びみたいに鼠を捕るほかは、もう何もしません。

 やる時は大きな仕事を決然としてやる。
 でも、仕事を成し遂げた後は、必要以上に名利を求めない。さっと身を引いて、あとは悠々と人生を送る。

 なんというかっこよさ!

 こうした生き方を表すのにぴったりの中国語があります。

 瀟灑(シャオ・サー・)一生(イー・シェン)

 幼いわたしの心に、こうした理想像、あるいは価値観を刻みつけてしまったのが、あのかっこいい北林谷栄さんの声の魔力だったように、わたしは思うのです。

 宮沢賢治ではありませんが、「サウイフモノニワタシハナリタイ」のか、あるいはそういうタイプに惹かれてしまうのかは、自分でも定かならぬところがありますが……。

 とにかく、以来わたしの人生は、少々おかしな方へ曲がり始めたような気が、しないでもないのです(笑)
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