五、精神的に向上心のないものは馬鹿だ。

文字数 1,226文字

「K、養家との件は変わらないか?」

 Kの部屋を訪ねた私は問いかけました。
「変わらない」

 Kの返答はいつもと同じく淡々としたものでした。


「仕送りは止められた。実家からも勘当された」

 痩けた頬を見せながら、彼は無感動的にそう言いました。その声音には怒りも悲しみもなく、自棄ですらありませんでした。


 なぜ彼がそのような苦境に陥ったのか。実はKは養家と実家を騙し討ちにしていたのです。


 実家から追放同然に養子に出されたKは、医者である養父から医学を修めるべく言い含められました。ですが、彼は黙って歴史学科へと進んだのです。そして、その虚偽を自分からバラした結果が今のこの状況なのです。


 私は重ねて尋ねました。


「学資はどうしてるんだ?」
「内職をしている」
「君のことだ。勉学も疎かにはしていないのだろう?」
「無論だ」

「K、やはり両立は無理だ。君の身体は弱っているように見える。……少し休むべきだ」


 ですが、Kはスッと掌を私の顔の前に出して私の発言を封じると、鉄槌を下すかの如くに言い切りました。

 Kのこの態度に私が複雑な表情を見せたことは言うまでもありません。ですが、Kは我関せずな素振りで続けるのです。

「僕はただ学問をしたいわけではない。僕は道を究めたいのだ」
 Kにはこういうところがあったのです。彼はひどく剛情だったのです。
「この逆境こそが僕を強くするだろう」

 そうして、まるで苦行僧か何かのように、自分の逆境を有難がるのです。まるで逆境と艱苦を繰り返し味わえば、その功徳により、精神的な成長が得られ、彼の言う「道」へ近付くのだと、そのような考えに固執していたのです。Kの実家が代々守り伝えてきた精神性が、彼にこのような剛情を植えつけたのかもしれません。


 ですが、Kが口でなんと言おうとも、私には彼が強くなっているようには見えませんでした。彼は単に逆境に疲弊し、摩耗していたのです。精神的にも健全とは程遠く、どんどんと感傷的(センチメンタル)になって来たように思えました。まるで、自分だけが世の中の不幸を一人で背負って立っているような、そんなことを口走る時さえあるのです。


(――やっぱり、ここに引っ張ってきて正解だったな……。)

 私は、自分の処方の正しさを改めて確信しました。


 逆境を有難がるKの口ぶりとは裏腹に、私のKを見る視線には心配の念しかありません。彼をなんとか救わなければならない。その一念で、私は彼に同居を無理矢理に呑み込ませたのです。奥さんとお嬢さんがKの心を救ってくれることを願って……。


「時に先生」

 Kが私を見て、逆に質問を投げ掛けてきました。


「あの二人に……君自身は国許の事件をどこまで話した?」
「……あらかた話したさ。叔父に裏切られ、全てを奪われたことも――国許にはもはや父と母の墓しかないことも――」

 もっとも全てじゃあないが、と私は付け加えました。


 私の国許での一件は、女人に全てを語り聞かせるにはあまりに戦慄的な事件だったからです。


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登場人物紹介

■先生
帝大の学生。叔父に裏切られ、逃げるように故郷を捨ててきた過去を持つ。下宿先のお嬢さんに恋心を抱いている。だが、同郷の幼馴染である親友Kを下宿先に招いたことから悲劇の三角関係が始まってしまう上に、突如としてゾンビ・アポカリプスが訪れたので、ゾンビと三角関係の二重苦に苦しむこととなる。実は柳生新陰流の使い手であり、様々な兵法を用いてゾンビ難局を乗り越えていく。

■K
帝大の学生。実父や養父を偽って進学先を変えたために勘当されてしまい、今は内職と学問の両立に苦しんでいる。そんな姿を見かねて先生が下宿先へと彼を招いたことから悲劇が始まる上にゾンビ・アポカリプスが突如として訪れたので、先生と共に房州へと旅立つこととなる。

■お嬢さん
先生とKの下宿先のお嬢さん。叔父に裏切られ荒んでいた先生の心を癒やしたことから、先生に恋心を寄せられる。Kとの仲も満更ではなさそうだが、お嬢さんの気持ちは未だ不明である。ゾンビ・アポカリプス初期にゾンビに噛まれてしまい、半ゾンビ状態に陥る。好物の茄子を食べた時だけ、一時的に正気に戻る。

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