一、私はその人を常に先生と呼んでいた

文字数 1,861文字

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。

私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時、私はまだ駆け出しのゾンビハンターであった。

 夏になると、私は毎日海へゾンビ狩りに出掛けた。この時期になるとゾンビは生前の習慣を思い出して海水浴に来たり、まれに外国から海を渡って上陸してくるゾンビもいる。


 その日も、棘付き肩パッドを纏った私がチェーンソーを携え磯へと下りると、この辺にこれほどのゾンビがまだいたのかと思うほど、腐乱した男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように腐った頭でごちゃごちゃしている事もあった。そのゾンビたちの中に知った顔を一人も持たない私は気楽そのもので、賑やかに蠢くゾンビの群れに手当たり次第に回転刃を振り下ろしたり、ゾンビの腐った腸をそこいらに撒き散らして愉快であった。
「ヒャッハー! 一匹一円!!」

 ゾンビを一匹狩るごとに役所から一円の報酬が出る。およそ十年前に発生したゾンビアポカリプスを乗り越えた副作用で社会のインフレは進み、一円札も私が子供だった時分の価値は到底持たないのであるが、それでも夏の浜辺は書き入れ時には違いなかった。同業者のハンターたちに負けじと、私は先を争ってゾンビの砕けた首級を集めていった。ゾンビの個体数が増えればそれだけ危険も増すが、収入増大の魅力には勝てなかった。


 だが――、


「ウギャアアアアッ!」
 波際の方からゾンビハンターの悲痛な断末魔が轟いた。欲に駆られた駆け出しが返り討ちに遭ったのか知らん、と思い、そちらを振り返った私は、目の前の光景に途端に顔を青ざめさせることになる。
「大変だ!」
「西洋人のゾンビだ!」
「ヤバイ!」

 そこにいたのは――、巨大な白人のゾンビであった。

 亜米利加大陸から渡ってきたであろうゾンビの身体は海水を吸って二〇メートル超にまで膨らみ、異様なる巨躯を私の前に晒していた。

「はわわわ……」

 海中に足先を浸していたハンターたちが我先にと浜へ向けて逃げ出していくが、白人ゾンビの巨大な腕が彼らの背後からぬうっと迫り、ハンターを鷲掴んでは口の方へと運んでいく。


「アギャーッ!」


 胸から上を無惨に食い千切られたハンターたちが赤い血を噴水のように噴き上げて、臓物もボタボタと海水の中へと沈んでいく。白人ゾンビは食べかけのハンターを握ったまま、その巨躯を動かし、生きた肉を追いかけた。


「逃げろ! 敵いっこねえ!」
「あんなの無理だァ!!」

 私を浜辺へ残してベテランのハンターたちが次々と遁走していく。迫り来る白人ゾンビの巨大な影が私の身体を包み込んだが、それでも私は踵を返して逃げ出すことができなかった。二〇メートル級の白人ゾンビ……初めて見るそのおぞましさに、私の全身は激しく震え、両足は地に縫い付けられたかの如くに動かず、瞬きも忘れ、呼吸も過呼吸寸前。目の前で牙を剥く怪物に震え続けるばかりであった。


「だ、だめだ……死……」

 だが、私の心中を絶望が支配した次の瞬間である。

 私の頭上をもう一つの小さな黒影が舞ったのは――。
「…………!」

 その小さな黒影は、今や旧時代の遺物ともいうべき得物を……そう、日本刀をただ一振り握り締めて宙を舞い、醜怪巨大なる怪物へと飛び掛かったのだ。 


 尋常ならざる跳躍力を見せた黒影は、振りかぶった日本刀を白人巨大ゾンビの頭頂目掛けて振り下ろすと、並ならぬ膂力を発揮して腐った肉へと刃を押し込み、ずばりずばりとゾンビを縦に裂いていった。そうして真二つに断たれて崩れ落ちたゾンビの肉塊の中へと、黒影はずしりと着地した。その姿は麻の胴着も袴も全身が垢にまみれたむさ苦しいものだったが、逞しく膨らんだ両腕の筋肉と鬼神めいた厳つい顔面、そしてその顔を半ばまで覆う黒ずんだ包帯が、男が歴戦の戦士であることを雄弁に物語っていた。
「…………」

 その人が、すなわち先生であった。


「どうぞ、私めを弟子に」

 先生の姿を確とこの目に捉えた瞬間に、私は彼の前に土下座していた。命を救われた恩義に加え、巨大白人ゾンビを一刀両断した手並みに私は惚れ込んだのである。


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登場人物紹介

■先生
帝大の学生。叔父に裏切られ、逃げるように故郷を捨ててきた過去を持つ。下宿先のお嬢さんに恋心を抱いている。だが、同郷の幼馴染である親友Kを下宿先に招いたことから悲劇の三角関係が始まってしまう上に、突如としてゾンビ・アポカリプスが訪れたので、ゾンビと三角関係の二重苦に苦しむこととなる。実は柳生新陰流の使い手であり、様々な兵法を用いてゾンビ難局を乗り越えていく。

■K
帝大の学生。実父や養父を偽って進学先を変えたために勘当されてしまい、今は内職と学問の両立に苦しんでいる。そんな姿を見かねて先生が下宿先へと彼を招いたことから悲劇が始まる上にゾンビ・アポカリプスが突如として訪れたので、先生と共に房州へと旅立つこととなる。

■お嬢さん
先生とKの下宿先のお嬢さん。叔父に裏切られ荒んでいた先生の心を癒やしたことから、先生に恋心を寄せられる。Kとの仲も満更ではなさそうだが、お嬢さんの気持ちは未だ不明である。ゾンビ・アポカリプス初期にゾンビに噛まれてしまい、半ゾンビ状態に陥る。好物の茄子を食べた時だけ、一時的に正気に戻る。

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