十、一つだけ、可能性がある。
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それでもこの時はまだ最悪ではありませんでした。
事態は更なる悪化を遂げたからです。
あの頃は、まだ暴漢も路上を徘徊する姿を稀に見かける程度でした。それが数日が経過した今や、路上はゾンビで溢れているのです。血まみれのゾンビが、汚らしい腸を引きずるゾンビが、ほとんど丸裸の子供のゾンビが――、ヨタヨタと無目的に路上を彷徨っていました。
と唸るような悶え声を出し続けていました。顔は死人のような土気色に変わり、左目の傷も一向に塞がらず、包帯は黒い膿で汚れていました。この数日でお嬢さんも…変わり果てた姿となってしまったのです。
お嬢さんが口にするのは相変わらず茄子だけです。ごく短時間、正気を取り戻すこともありましたが、ほとんどの時間はああしてうなされており、ややもすると私たちに噛み付こうとしてきます。医学に明るくない私にも、お嬢さんが外のゾンビたちとほとんど同じ状態であることは明らかでした。
お嬢さんの危機を前にしても、私には苦悩するしかありませんでした。大好きなお嬢さんを、愛しいお嬢さんを救う手立てが、自分には何も見つからないのです。列島を覆う伝染病の猛威に呑まれたうら若き乙女の、苦しみ、死に絶える姿を見守るしかない自分が情けなく、涙が溢れてきました。お嬢さんを救う手段があるならば――、それがどんなか細い蜘蛛の糸でも自分は絶対に掴んでみせるのに……そう想って私は静かに泣きました。
ですが、その想いは、
私の隣で苦しむKもまた同じだったのです。彼は惑いながらも、遂にはこう言ったのです。
と……。
ああ。もしも私がこの家にKを招かなかったなら――、もしこの場にKがいなかったなら――、これから先、私とKにあんな残酷な運命が待ち受けることはなかったでしょう。ですが、私もKもその時は恐るべき結末を考えもしなかったのです。ただ、私たちは絶望を前に一筋の希望を見出したかっただけなのです。
私は意気込んでKの真意を尋ねました。Kは躊躇いながらも答えました。
私はもう一度、窓の外から外界を見ました。路上を徘徊するゾンビたちは生者の姿を見ると一斉に襲ってくるのです。郊外への脱出を試みた家族にゾンビが群がり、惨たらしく引き裂く様を私は何度も目にしていました。あのゾンビの群れを掻き分け、お嬢さんを連れて房州まで行くなど、自殺行為にも等しく思えます。ですが……
恐るべき男――、K。敵に回せば勝ち目はないと思ったK。けれど、仲間にすればこれほど心強い男はいません。自分とKの二人ならば。この困難なミッションも乗り越えられるのではないか? そんな一縷の希望を私は抱いたのです。
そんな時でした。
奥さんの悲痛な声が、再び玄関口から響いてきたのは。