八、大変! 娘が、娘が……血まみれで!!

文字数 1,484文字

(Kはお嬢さんのことをどう思っているんだ……?)

 私は煩悶にのたうちながらKを見ました。Kは自室の机の前で書物に目を落として平然としています。こんな焦燥に駆られてやきもきしているのは私ばかりのように思えてきます。そう思うと次第に私の中に怒りが込み上げてきました。


(Kなら……Kなら大丈夫と思ったから、僕はあいつを連れてきたのに! くそっ、取り澄ましやがって! 何が道だ……!! あいつはいつもそうだ。口の先では超人か聖人のようなことを口走りながら、その実、単なる人間なんだ。誰よりも人間らしい人間なんだ。そのくせ、人間らしからぬように振る舞うんだ! 騙された。僕はまた騙された! 騙された!! ……いや。あいつは、どうなんだ? Kは僕がお嬢さんを愛していることに気付いていないのか? それなら思い切ってKに僕の気持ちを打ち明けるべきなのか?? いや、でも、それは……いや……)
「先生」
「はっ」
「先生、どうした、大丈夫か?」
 苦悩の沼に沈んでいた私は、Kの言葉で唐突に沼から引き上げられました。
「だ、大丈夫だ。なんでも、ない……」

「そうか……。それならいいが。奥さんがな……」


 顔を上げると、不安げな顔付きで奥さんがこちらを見ていました。「あのね」と奥さんが口を開きました。
「最近、近所で暴漢騒ぎが相次いでるのよ」
「暴漢?」
「ええ、物盗りや強姦魔というわけでもなくってね。突然、噛み付かれたり、引っ掻かれたり……」

(……不可解な話だな。

 そのような凶行を働く者も時にはいるだろう。しかし、相次いでいる……とは……?)
 私はその点に引っかかるものを感じていましたが、「ともかく」と隣でKが言いました。

「ともかく、何があろうと奥さんとお嬢さんは僕が守りますよ」


「やっぱり男手があると心強いわね」

 力強く請け負ったKに奥さんは安堵の色を見せました。ですが、私は平静を装いながらも、Kの言葉を露骨な点数稼ぎと感じて、腹の底ではカッカと熱いものを滾らせていたのです。何が「僕が守りますよ」だ。いざとなったら自分だって二人を守るに決まっている。Kにばかり良い格好をさせる気などない……。


 そんな自負に駆られながらも、しかし、私ははたと気付きもしたのです。


(もしも……もしも僕が、お嬢さんを巡ってKと争うことになったら……)

 そう思ってKの姿を見つめました。細身ながらも引き締まったKの筋肉と、彼の涼やかで鋭い眼差しを。


 ごくり、と私は息を飲みました。


(僕は……勝てるのか? あの「K」に勝てるのか……??)

 仮に私がKにお嬢さんへの想いを伝えたとして、です。Kが私への恩義を感じて引き下がってくれるなら重畳ですが、もしも彼が我欲を優先したならば……あくまでお嬢さんを手に入れるべく、私との凄絶なレースに挑まんとするならば……親友は……Kは……恐るべき敵となって私の前に立ちはだかるに違いありません。私は暗澹たる未来をそこに見てしまったのです。


 ですが、深く沈んだ私の思念は、次の瞬間に再び現実へと引き戻されました。


 玄関から響いた、耳をつんざく女の悲鳴によって。


 奥さんが卒倒しかねぬ勢いで叫んだのです。
「大変! 娘が、娘が……血まみれで!!」
「!」
「!」

 果たして、私がKと共に玄関へと駆けつけますと、目の前に現れたのは、顔の半ばを赤黒い血に染めたお嬢さんの姿だったのです。


「何があったの!?」
 奥さんが金切り声で叫びます。
「突然、男の人に……噛み付かれて……」
 お嬢さんは必死になってそれだけを告げました。
「K、医者を頼む! 僕は駐在へ行く!」
 私とKはすぐさま走り出しました!
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登場人物紹介

■先生
帝大の学生。叔父に裏切られ、逃げるように故郷を捨ててきた過去を持つ。下宿先のお嬢さんに恋心を抱いている。だが、同郷の幼馴染である親友Kを下宿先に招いたことから悲劇の三角関係が始まってしまう上に、突如としてゾンビ・アポカリプスが訪れたので、ゾンビと三角関係の二重苦に苦しむこととなる。実は柳生新陰流の使い手であり、様々な兵法を用いてゾンビ難局を乗り越えていく。

■K
帝大の学生。実父や養父を偽って進学先を変えたために勘当されてしまい、今は内職と学問の両立に苦しんでいる。そんな姿を見かねて先生が下宿先へと彼を招いたことから悲劇が始まる上にゾンビ・アポカリプスが突如として訪れたので、先生と共に房州へと旅立つこととなる。

■お嬢さん
先生とKの下宿先のお嬢さん。叔父に裏切られ荒んでいた先生の心を癒やしたことから、先生に恋心を寄せられる。Kとの仲も満更ではなさそうだが、お嬢さんの気持ちは未だ不明である。ゾンビ・アポカリプス初期にゾンビに噛まれてしまい、半ゾンビ状態に陥る。好物の茄子を食べた時だけ、一時的に正気に戻る。

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