六、茄子がお好きなのですね
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国許での事件は私にとってはあまりに衝撃的でした。思い返すだけで嫌な気持ちになったくらいです。だから、私も当初は奥さんにもお嬢さんにもそのことを話すつもりはありませんでした。それが結局、大方のところを話してしまったのは、ひとえに私がお嬢さんに恋をしていたからに違いありません。
私が国許でのことを話すと、お嬢さんは我が事のように泣いてくれました。奥さんもこれからは私を一層身内として扱うから安心して欲しいと請け負ってくれました。国許でのことを思い返すのは私にとっても苦痛でしたが、結果として、二人との仲がさらに深まったことを感じて、私はむしろ過去を伝えたことに満足な思いを抱きました。特に奥さんが私を身内として見てくれるようになったことに私は励まされたのです。何に励まされたのかというと、やはりお嬢さんとの関係についてです。
過去を伝えてからしばらくしたある日、お嬢さんが篭いっぱいの茄子を両手に抱えて家に帰ってきたことがありました。苦労して運んできたお嬢さんの手から、私は荷物を引き受けながら、
若いお嬢さんも快活に答えて笑いました。
そんなお嬢さんの素敵な笑顔を目にして、私は何度も胸の中に湧き上がってきたあの想いを、その時もまた抱いたものです。と――。
私は自由な身体と立場でした。学校を通い続けるかどうかも、どこへ住むかも、誰と結婚するかも、誰にも相談する必要はなかったのです。私がお嬢さんと一緒になれば、名実共に身内となります。奥さんもきっと賛成してくれたでしょう。
ですが、私はその想いを抱くたびに躊躇し、結局、そのことを実行するには至りませんでした。私の中にはまだ叔父に裏切られた悲痛な過去の記憶が根を張っていたのです。あの親切な奥さんですら自分を裏切るのではないか、お嬢さんをタネに自分を都合よく転がす気ではないかと、腹の底で疑っていたのです――。
そうして私が逡巡している間に、Kの問題が持ち上がり、お嬢さんへの秘めた思いを打ち明けられぬまま、私とKとの同居生活が始まったのです。Kを招く前に、なぜ私はお嬢さんとの事を奥さんに談判しなかったのでしょうか。今となっては悔やんでも悔やみきれません。
Kが家に来てからしばらく経ったある日、そのお嬢さんが困り顔で私に話しかけてきました。相談事は、無論、Kのことです。お嬢さんがKの部屋を訪れた時のことを話し出しました。
とお嬢さんが言うと、Kは即座に「要りません」と言います。
不思議に思ったお嬢さんがと重ねて問うと、Kは、
などと真顔で言うのです。
なんたる剛情さでしょうか。
お嬢さんたちとの触れ合いがKの心を溶かすと期待していた私ですが、こんな具合で自室に引き篭もられては手の施しようがありません。
と私は決意しました。この時はまさかあんな事になるなどと思いもしなかったのです。結果を先取りして言えば、私の出した処方薬は効きすぎたのです。