第3話 『死神使い』

文字数 9,936文字

夕暮れ時。 私は病室に立っていた。 目線の先には――。「ユウ。 いらっしゃい」
彼、ショウが居た。
「ショウ……」
私はしばしの静寂の後、手に持っていた袋を思い出し、ショウに差し出す。
「ん、なんだ?」
ショウが袋を開けると、中から出てきたのは医学書だった。
「おお! これ欲しかったんだ! ありがとうユウ!」
「でしょ!? これ探してたやつだよね! 図解式で分かりやすいやつ!」
「うんうん! これだよ!」
ショウはとても嬉しそうに表紙を眺めると、ペラペラとページをめくりだした。
 パラパラパラ……。
「これ高かっただろ?」
「ちょっと奮発しちゃった! でも全然大丈夫! ショウが喜んでくれたからね!」
「ありがとな! でも、どうしてだ? 今日別に俺の誕生日じゃないはずだけど?」
「それはショウが……あれれ〜? 誰がプレゼントだなんて言ったの〜?」
「え、あそうか悪ぃ! いくらだった?」
「ふふふ、うそうそ! プレゼントだよ!」
「え、マジで?」
「一人で寂しいと思ってね」
「ははは、ありがとう」
私はショウの傍に腰掛ける。
「俺、これ読んで頑張るよ! 一生大切にする!」
「うん!」
「医者になった後もずっと持ってるよ! 患者さんを診察してる時も持ってるし、通勤の時だって、夜寝る時だって、ずっと肌身離さず持ってる!」
「うん」
夕陽の光が、ショウの顔をキラキラと照らしている。 そんなショウの顔は、笑顔で満ち溢れていた。
「なあ、ユウ?」
「ん、なに?」
「あの時はさ、ごめんな」
「あの時って?」
「ほらあの時だよ。 信号、点滅してただろ?」
「信号? ……あ」
「そんなに急いでなかったのに、俺ちょっと気が立っててさ。 別に怒ってたわけじゃないんだぜ? ただ早くお前を学園に連れて行ってやりたかったんだよ。 だって、久々の学園だったもんな」
「……」
「また学園に行くって言ってくれた時はすげえ嬉しくてさ。 早く、行かせてやりたかったんだよ」
「いや、いいよ。 大丈夫」
「でも、どうしてあの時俺すたすた行っちゃったんだろうな。 別に俺が――」
「ショウ」
「別に俺が早く行ってもしょうがなかったのにな」
ショウは私の静止を聞いてくれずに話を続ける。
「お前はまだ怖かったんだよな。 足、すくんでたんだろ? もうちょっとお前のこと見てれば、あの時手を繋いで、大丈夫だよって言いながら、一緒の歩幅で歩いて行けたのにな」
「ショウ、もういいって! やめよ?」
「ちゃんと見てれば、お前が道路で立ち尽くしてたのも、信号が黄色になって車が飛ばして来るのも、気づいてやれたのにな」
「ショウ!」
さっきまで外で聞こえていた木々の葉の音や小鳥のさえずりがピシャリと止まる。 まるで私の声に驚いているかのように。
「あの、何を言いたいのか分からないけど! 悪いのは道の真ん中で突っ立ってた私だし、信号とか車を見てなかったのも私だし、ショウは何も悪くない! だからショウ! ここから出よ!? そんなことより他にもいっぱい話したいことあるし、ほら、私次は怖がらずに学園に行くよ!? でもそれにはショウが一緒についてきくれなきゃ無理だから、ね! ここから出よ! ショウはお医者さんになるんだよね! なら入院してる場合じゃないよ! 早くここを出て、一杯一杯勉強して、大学入って、病院に就職して、沢山たくさんの患者さんたち診てあげて、数え切れないほどの命を救ってあげよ!?」
気づくと、私は目に大粒の涙を溜めていた。
「無理だよ」
突然、ショウは無表情で言った。
「だって、俺もう死んじゃったから」




 天井、壁から木材の軋む音が聞こえる。 目を軽く開けてみる。 霞んでぼやけた目に木造の天井が映る。
「……夢」
そう呟いてみる。 そうすると、今まで見ていた現実が夢になると思ったからだ。
そう、もしかしたら全部ぜんぶ夢なのかもしれない。 それはちょっとした期待。
辛すぎる現実をちょっとだけ和らげてくれる、期待。
今日までとても辛かった。 生きるのが、考えるのが、この世界は私に苦悩を与えるために出来ていた。 だから、それに見合う対価として、私はそれを欲する。
本当に、それさえあれば後は何もいらない。 だから今までのことが全部夢だったんだよって、誰かに言ってほしい。 今すぐに。 いや、少しだけなら待ってもいい。 だから夢にしてほしい。
「夢か……」
もう一度呟いてみる。 私が夢と認識すること、それはつまり夢。 私が幸せだと認識すること、それはつまり幸せ。 ショウが生きていて、また私の所に現れてくれる。 私は望む。 死を……夢と変えることを。
「覚めたみたいだな?」
足下から声が聞こえた。 私はまどろみから抜け出す。 耳の辺りが濡れて冷たくなっている。 それが居心地が悪い事だと気付き、私はゆっくりと掛け布団を剥ぎ仰向けになった上半身を起こした。 部屋の中は太陽の光が降り注ぎ天然の灯りに満ち溢れている。 
目の前の窓辺の前にはその光を全身に受け、椅子に腰掛けた女が座っていた。
「おはよう。 夢見は悪そうだったけど、よく眠れたようだな」
「あれ、あなたは……」
ああ……思い出した。 それこそ夢みたいな出来事。 突然訳の分からない集団に襲われたかと思ったらジェットコースターみたいなバイクに乗ってなんとか、逃げたのか?
「夢じゃ……ない?」
「残念だけど夢じゃない。 でも私が来てくれてお前はよかったはずだ」
クロウ……そう、目の前の女はクロウと名乗っていた。
「あのあと、何があったの? ここはどこ?」
クロウはノースリーブ姿でタバコを吸っていた。 下は下着しか履いていない。
「バイクで逃走中、この区域に防衛線を張った。 お前が意識を失ったあと、その防衛線の中に入ったんだ。 警備は厳重だ。 他の死神は近づけないだろう。 ここは昨日言った隠れ家だ。 山の中だから人の目にも付かない」
確かに、鳥のさえずりや木々の揺れる音からして山中にある小屋という感じだ。 しかしあのヤバい状況から生きて逃げおおせたとは中々に信じがたい。
「ところで……」
私はクロウの事を直視できずにいた。
「下だけでも服、着てくれない? 目のやり場に困る」
女同士でもやはり初対面に近い人のほぼ裸をまともに見れる神経は私にはない。
「上着が雨で濡れててな。 しょうがないだろ? もう少しで乾くから待ってろ」
隠れ家って言っておいて予備の服を用意してないのかこいつは。
「それに、それはお前も同じだろう。 そんな堂々と上をはだけさせて」
「は?」
私は自分の首から下を見てみる。 無い。 何も着てないし履いてない。
「きゃああああ!?」
すぐさまさっき剥いだ掛け布団を胸に引き寄せる。
「ど、どうして何も着てないの私!」
「昨日の大雨を覚えてないのかお前は。 服の中までずぶ濡れだったから風邪を引かないようにしてやっただけだ。 心配するな。 お前の服も干してあるから、もうじき乾く」
「下着は良いでしょ下着は!」
「無茶言うな。 それだったら今も乾いてない。 良いじゃないか、女同士なんだから」
「そういう問題じゃ……」
布団に顔を埋める私の耳に、テレビのアナウンサーの声が聞こえてくる。 顔を上げると、クロウの座っている目の前にテーブルがあり、その上にポータブルテレビが乗っていた。 音はそこから鳴っていた。
《速報です。 昨晩都内の笹宮公園で発生した男性の死亡事件ですが、先ほど行われた警察の会見によると、男性の身元は都内在住の無職、 山村透さん二十六歳であることが判明しました》
「!?」
私はガバリと体を起こし、掛け布団が離れないようにバスタオルみたいに体に巻きながらテレビへと近づく。 クロウは少し体をずらして私の方へテレビ画面を向けてくれた。
私の目線はテレビ画面に釘付けになった。
《山村透さんは刃物で全身を複数箇所刺されており、現場で死亡が確認されたとのことです。 事件が発覚したのは、都内で自衛隊による雨降らし作戦による大雨の前で――》
 その後も、アナウンサーは淡々と事件を説明し続けた。雨の中での証拠保全が困難となった事や、最近都内で起こっている連続殺人事件の関連等だ。 だが遺体の詳しい状況はこれまでの事件と同じく報道はしない。 きっと警察が公開していないのだろう。 
 だがそれもSNSや週刊誌等で拡散されていく事だろう。
「随分熱心だな。 そんなにこの事件が気になる?」
横にいるクロウを見る。クロウは私の顔を凝視していた。 私は視線を逸らし、同時にテレビから離れる。
「この被害者……ショウを殺した人」
「ショウを?」
「名前も、年齢も同じだから、多分同じ人。 半年前に、車でショウのことを轢いたんだ。 それからショウは意識不明で、傷が治ったとしても脊椎損傷の全身麻痺状態で、おまけに脳に重大な損傷を負ってしまったから意識の回復は絶望的だった。 そして昨日、ショウは死んだ。 こいつが殺したんだ」
「へえ、面白い偶然。 でも、そいつは今まで逮捕されなかったの?」
「轢き逃げされたの。 車のナンバーも、こいつの顔もはっきり覚えてる。 でも、警察が調べても、何も証拠が無いって! 現行犯だったなら良かったけど、こいつが逃げたせいで、こいつが轢き逃げしたっていう証拠が見つからなくて!」
私は寝床に腰掛けると顔を覆った。
「バチが当たったんだよ。 こいつは人じゃない。 それこそ、死神が罰を……。 そうか、やっと死んだか、こいつ。 しかも苦しんで死んだみたい。 よかった……」
「ざまあみろ?」
クロウが私の感情をひとことで説明してくれる。
「一応弁明するけど、死神は生者を殺すことはない。 死神の役割は、死んだ人間の魂を現世に留まらせないように冥界へと案内をすることだ」
「じゃあ、昨日のは? あの襲ってきた奴ら」
「それは、神の血。 私がお前に打った神の血によっていわゆる危篤状態になっているから。 ほら、よく言うだろ? 臨死体験で花畑が見えたり、自分の体を眺めたりとか。 今のお前は自覚がないかもしれないが、そういう状況。 私はそれを『リンボー』と呼んでいる。 この国の言葉なら『辺獄』だな。 死んでいるが、生きてもいる状態。 死神はその辺獄でのみ、その者に干渉できる」
「そうか、ごめん。 あなた死神だったね」
死神がこの山村透を殺した……というのはただの例え話だったのだが、彼女には例えが悪かったようだ。
「死神じゃない。 強いて言うなら、死神使いだ。 死んだ人間の魂を自由に使役化できる」
「そっか……」
クロウはタバコを消す。
「死が間近に迫っている人間には黒いモヤが見える事がある」
「モヤ?」
「時に辺獄と波長が合う人間がいる。 その時の体調や、体質によって可視化される。 それは死神たちのオーラだ。 例えば、病院で意識もなくなりもうじき死が確定した状態の人間がいるとする。 死神はそんな人間の匂いを察知して駆けつけ、その人間の魂と交渉を開始する。 『あなたはもう死にます。 死後円滑に冥界へ案内するので、暴れないでください』みたいな感じでね。 大体の魂はそれで納得してくれるけどね。 でも例えば事故とかで突然死んだ場合、魂は死を受け入れたくなくて再び生を得ようともがいて暴れたり逃走しようとする。 暴れた場合や逃げた場合は実行部隊が編成されて強制的に冥界へと移送されるんだ」
「それが昨日の?」
移送とかそんな生やさしいものじゃなかった。 それこそもう一度殺す勢いだ。
「ああ、文字通りだ。 もう一度殺そうとする。 そうすると、魂は一切の抵抗ができなくなる。 まあ、大体の魂は一人だし、普通は対死神で勝てる者なんかいない。 でも昨日は……ふふふ」
クロウは不敵に笑う。 自分なら対抗することができると言わんばかりだ。
「あなたの目的は何なの? 昨日はタナトスがどうのとか言ってたけど」
「この世界は、うん。 全ての世界は四層に分けられる。 一つに、昨日までお前がいた『現界(ヴィータ)』、二つに今お前がいる『辺獄(リンボー)』、三つに『煉獄(パーガトリー)』、そして四つに『冥界(アンダーワールド)』だ。
現界から辺獄へと来た魂は、その後死神と共に煉獄を通り、冥界であるアンダーワールドへと行く。 そこで冥界の最高神であるハデスの審判により、現界への転生か、第五の世界へと至るかが決定される。 五番目の世界がどんな世界なのかは神にも分からない」
クロウはそこまで言うと、再び新しいタバコを加えて火をつけた。
「ここからちょっと長くなる。 お前も吸うか?」
差し出されたタバコに私は嫌悪感を抱きながら拒否する。
「タバコ、去年健康増進政策で、法律で違法薬物になったんだけど? 見つかったら逮捕されるようになったの知ってる? あとタバコを他人に勧めたり、未成年に勧めるのも違法。 受動喫煙の可能性もあるから人前で吸うのもアウト!」
「日本ではだろ。 こんなの、そこらの発展途上国ではむしろ流通が盛んになってる。 死が身近になったからな。 タバコで戦争が起こる時代だ。 『この国』もじき――」
クロウは一息煙を吸い込み吐き出した。 臭い。 私のしかめっ面を無視して、クロウは語り始めた。

――さて、冥界にはハデスがいる。 それは分かるな? ハデスはこの世界が始まり、今世紀初頭まで迷える魂たちに審判を下してきた。 だが、いつしかハデスはその役割を放棄し始めた。 そして今、冥界にハデスはいない。 煉獄へと身を潜めてる。 現界にいる死神使いとコンタクトを取りながらな。 だから今代わりに冥界にてハデスの代わりをしているのは、タナトスだ。 タナトスはハデスに次ぐ最高神の一人。 生と死の役割を担っている。 死神たちの長たる存在だ。ハデスとタナトス。 その二人が冥界を統べていた。 だが今やハデスは自らの使命を放棄し、現界へと干渉を開始し始めている。 それはこの世界のタブーであり、この世界を混沌(カオス)へと陥れる許されない行為だ。 危機感を感じたタナトスはすぐにハデスの抹殺命令を死神たちに下した。 だが今もハデスは捕捉されていない。
冥界の神は秩序を保つため、現界はもちろん、その繋がりが強い辺獄への干渉も自分ではできない。 行けるのはせいぜい煉獄までだ。 それは自分の使命に刻まれている。
だが、半世紀前の事だ。
現界の一人の人間が、どういうわけかハデスの力を使い、死神を集めているという情報が入ってきた。 そいつは現界各地で戦争を助長し、戦争によって死んだ犠牲者たちの魂を死神化し、タナトスの率いる死神たちをことごとく散らしていったんだ。 勢力は着実に増してきている。 早く手を打たなければいけないがタナトス自らが現界に行くことはできない。 そこで、私が選ばれた。 私は……既に一度死んだ。
あれは……五〜六年前、私はそこで煉獄を見た。 でも生き返った。 そう、普通の人間には無理な事だ。 辺獄に行くだけでも生き返ることは難しいのに、私は煉獄まで行きながらも生き返ることができたんだ。 世界には、一度死んだ後も生き返る事例がある。 心肺停止。 まあ、それが明確な死だな。 心停止を起こすと数分以内なら蘇生で生き返れる可能性はある。 だが、十分以上経過すると絶望的だ。 私の場合は、一時間ものあいだ心臓が停止していたらしい。 私の魂はその間に煉獄へと到達していた。 そこにタナトスが現れた。 お前はまだ生き返る可能性がある。 だから頼みを聞いてほしい、と。 その時の私は生を願った。 生き返ったのはタナトスの力ではなかったかもしれないと今は思うけど、でもこの力のお陰で多くのことを知る事ができた。 世界のこと、ハデスのことを。 タナトスは私の体を媒介にし、この現界へと干渉することができたんだ。
そしてきっとハデスも同じ方法で干渉しているに違いない。そう、この現界に必ずいる、私と同じ死神の代理人を使ってな。 その代理人がどういう理由でハデスに協力しているか知らないけど、このまま思うようにはさせない。 私にも、奴には借りがある――。



 クロウは咥えていたタバコにもう火がついていない事に気づき、灰皿に捨てた。
「神の力。 この体には神の力が宿っている。 死者の魂の使役化と、現界の者による物理的な衝撃を一切受け付けない不死身の体と、そして歳を取らないことだ。 もちろん病気にもならないから、自ら死を選ばない限り私が現界の影響で死ぬことはない。 でも辺獄から先の者たちは私に干渉する事ができる。 それと元の力の源が死ぬと私も死ぬ事になる。 まあ要は、タナトスが死ねば私も死ぬわけだ。 そしてそれはタナトスからしても同じ。 私が死ねば、タナトスも死ぬ」
「へえ……それはそれは……じゃあ、責任重大だね」
「話、信じてないだろ」
詳しく語ってくれて申し訳ないが、すぐにそれを信用できるほど悟りを開いていない。
「昨日の事があったとはいえ、すぐにそんな話を信じろって言われても、ちょっと難しいかも……。 もう少し時間を――」
「時間はない」
クロウはピシャリと私の言葉を遮ると、静かに言った。
「まあいい……。 でもユウ、お前に打った注射の効果は確実に効いてきてるぞ」
注射……ああ、昨日のか。 それで私も今辺獄にいるって言ってたな。 でも、そんなこと言われても、いまいちピンとこない。 体の調子はいつもと変わらない。 突然死んだりするんだろうか?
「徐々に体力が削られていく。 心配するな。 痛みはない。 でも確実に動けなくなってくるはずだ。 その前に、お前には少し私に協力してほしい」
「協力って、具体的には?」
「死神は死期が迫った人間の所へ来ることはさっき言ったな? それを利用する。 ハデスの死神たちは確実にハデスの代理人たる死神使いが召喚してるんだ。 奴らの出現する場所、地域にはそいつも必ずいる。 やっと、後少しで追い詰められる所に来てる。 だからユウにはその囮になってもらいたい。 心配するな。 可能な限り守ってやるから」
「殺し屋がボディガードに? でもちょっと違うか」
結局は死ぬ。 守られた先の結果は特に変わらない。 私はふと思った。
「もしかして、最近都内で起きてる連続殺人……あなた?」
「コメントは控える」
答えも同然の返しだ。 きっと、クロウに違いない。
「お前の望みはショウに合う事だろ? もし協力してくれたら、彼に会わせてやる」
……!
「それ、嘘じゃない? 本当に?」
「本当だ。 嘘は嫌いだからな」
信じて、いいのか。 でも、さっきの話を信じないで、この話を信じる根拠は? 妙に冷静に分析する私が不思議だったが、でも確認せずにはいられない。
「証拠……そう、あなたの中にショウがいるなら、証拠を見せて? あなたは彼と話ができるんでしょ? なら、何か彼と私にしか知らない事を言ってみてよ?」
もしそれが出来たなら信じよう。 例えさっきの話が嘘でも、それが信じられるのなら私は動く。 動ける。
「そうだな。 いま、話してみよう」
クロウは目を瞑った。 何か、話しているのだろうか? ……しばらくして少し辛そうな表情になったあと、彼女は目をゆっくりと開けて言う。
「あれは小学校の頃だった。 いつも遊んでいた公園で、いつもの友達が先に帰ってしまった。 だから土管遊具の所で一人で遊んでたんだ」
そう話しだしたクロウの口調は、先ほどまでと変わっていた。
「その時、一人の女の子と出会った。 彼女の名前は倉本ユウ」
私は胸をぎゅっと締め付けられたような感覚に陥り、鼓動も早くなる。
「彼女の横には子猫がいた。 母猫がいないからと、数日前から餌をやりに来ているらしい。 その日から、私とユウは学校終わりに子猫の世話のため、一緒に公園へと通う日が続いた。 何日も何日も子猫の世話をして……そしてある日――」
私の中で何か黒い感情が蠢く。 それを認識するたび鼓動は脈打ち、汗が流れてくる。 でも体は氷のようにキンと冷えている感覚がする。
「ある日の夕方……公園に来たら、いつも一目散に私たちの元に駆け寄ってくる子猫は見当たらない。 不思議に思って探した。 一生懸命探した。 そして、土管の中を覗いたユウは、悲鳴をあげた。 私も、一緒に土管の中を、見た。 子猫が――いた」
息が……苦しい。 ああ、聞くんじゃなかった。 できる事ならもう話を終わらせてほしい。 でも私の口は動かず体も動かせず、ただ彼女の声を聞いているしかなかった。
「子猫は……酷い状態だった。 でも生きていたんだ。 息も絶え絶えだったけど、私たちに助けを求めるように、こっちを向いて鳴いてた。 周りには子猫の……」
クロウは口を手で覆い、目には涙を浮かべている。 しかし必死に声を絞り出す。
「あとでわかった事だが、その公園では動物が虐待されて殺された事があったらしい。 何匹も殺されたらしい。 犯人はその後に殺人未遂を犯して逮捕されたらしく、それがニュースになってた。 その子猫のお母さんもきっと、そうなんだろうな。 俺は……いや私は泣きながらユウに言った……『楽にさせてあげよう?』って。 ユウも泣きながら、頷いてくれた。 そのあと、私とユウは、一緒に、子猫の首に、手を……掛けて、ごめんね……ごめんねって言いながら――」
「やめてえええええええ!」
何かのタガが外れたかのように、私は絶叫する。
「いい! もうわかったから! もう言わないでッ!」
頭を抱え、顔を布団へと埋める。
「信じる、から……ショウ……ああ……あなた、そこにいたんだ……ああ……」
「はあ……はあ……」
クロウを見ると、彼女もまた息を荒げながら、私を見ていた。
「信じた? へへ、お前たちって、けっこうヘビーな思い出共有してるんだね……」
共有も何も、そんな思い出はショウや私にしてみれば忘れたい過去だ。 でも、今それをショウが私に伝えたって事は、何か意味がある事なのだと思った。 
お陰様で気分は最々大最悪だけど。
「分かった。 あなたに協力する。 その代わり約束して。 必ずショウに会わせるって。 彼に伝えたいこと、沢山ある」
「ああ、約束しよう。 全てが終わったらショウに合わせてやる――」


 突然部屋の中で音楽が流れる。 私のスマホの着信音だ。


「私のスマホ……どこ?」
クロウは部屋の隅にある台の上に置かれた私のスマホを手に持つと差し出してくれた。
着信名は……ショウのお母さんからだった。 私はスマホを受話モードにした。
「もしもし?」
《ユウちゃん!? 今どこにいるの!? お母さんから電話があって、全然家に帰らないし電話しても出ないって心配してたよ!?》
ああ、そうか……。 履歴を見ると、確かに着信がいくつも掛かってきていた。
理由は言えない。 だから少し誤魔化しながら訳を話した。
《そう……ユウちゃん、今は辛いかもしれないけど、ショウの天国への旅立ちを祈ってあげてね。 大丈夫、きっとユウちゃんのこと、あの子の事だから天国からも見守っててくれるから! それにユウちゃんは何も悪くないのよ? あの子がもし生きてたら、きっとそう言ってるはず! だからね、お母さんも心配してるから家に帰ってあげてね?》
「わかりました……あの、心配かけてごめんなさい」
《ううん、いいのよ。 あ、あとね。 通夜、お葬式は密やかに親族だけでする予定だけど、ユウちゃんは来ても大丈夫だからね。 ユウちゃんも、ショウの最後の顔が見たいでしょ? 辛いかもしれないけど、お葬式は故人へ向けて、またいつかあの世で会いましょうって挨拶する儀式でもあるの。 だから、少し動けるようになったらおばさん家に来てね。 ショウも待ってるからね?》
「はい……ありがとうございます」
《今日の夕方十八時からお通夜するからね。 あ、あと。 香典は不要だからね! ユウちゃん、大丈夫だから、また来たらお話しましょうね!》
ショウのお母さんはだいぶ掠れた声だったが、私を元気づけてくれるように無理して明るい感じの声で話してくれた。 きっと、私が変な気を起こさないようにしてくれているのだろう。 再び、目から涙が溢れる。 
その後ふたことみこと会話を交わして電話を切った。
「ショウのお母さん、何だって?」
「今日の十八時、お通夜だってさ」
「そうか」
「お通夜……行くよ」
「ああ、それでお前の気が済むなら好きにしろ」
 クロウはそう言って、部屋に掛けてあった自分のスーツを手にする。 昨日着ていたスーツだ。 乾いたのだろうか。 同時に私の服も投げてくれた。
クロウはスーツを着る。 
ファサっと舞い上がったスーツからは……鉄の匂いがした。
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