第1話 『連続死神殺人事件』

文字数 11,243文字

聞こえている?
もしかしたら意識はとうに回復しているのかもしれないけど、私にはそれが分かりません。
私は今あなたの隣に居ます。 もし聞こえていたならこのまま話します。
あなたは半年前に事故で意識を失いました。 症状は、脳挫傷による意識障害。 並びに脊椎損傷による全身麻痺。
このままあなたが意識を取り戻しても、あなたの体が動く事はないでしょう。 現代の医学ではこれを治す事は極めて困難。 そして、あなたの意識が回復する事も絶望的。 このままあなたは寝たきりで、仮に意識が戻ったとしても動く事もできず言葉も上手く発せないまま一生を終える事でしょう。 とても残念な結果ですが、これがあなたの今です。
でも、嘆かないで。 私はあなたを救う唯一の方法を知っています。 私はあなたを助けに来たんです。 それは私にしかできません。 あなたをこの地獄から救い出す。 それが今日私がここに来た理由。 すぐに楽になりますから、怖がらないで。 全部私に任せて。

一つだけ、私はあなたを救います。 そして一つだけ、私の願いも聞いてください。

ああ、自己紹介が遅れました。 私は、死神です。



【二一XX年 十二月二十二日 午後八時】

《続いてのニュースです。 今晩予報されていた百年に一度と言われている大雪注意報ですが、今朝に自衛隊の自然災害対策部隊による雨降らし作戦が決行されました。 これは上層への雪雲の氷を溶かす成分を配合した薬品を直接雲の中で爆発させて拡散する事により、雪が降る前に強制的に雨を降らせるす事によって災害のリスクを減らすという対策です。 午後八時現在、首都圏では大雨による道路の氾濫が警戒されています。 外出は極力避け、やむ負えず外出される方は河川や浸水している場所には近づかないよう注意しください。 大雨はこの後明け方まで降り続ける見込みです。 ……続いてのニュースをお伝えします。 現在国の警戒レベル4の準備体制ですが、本日の昼に行われた緊急記者会見で是枝明宏防衛大臣は更なる警戒体制となるレベル3への引き上げを本日より行うと発表しました。 各地検問所の設営も進められ、防衛型アンドロイドの配置も同時に行われるという事です。 これにより――》
「和美くん、ラジオ切ってくれるかな?」
「はい」
同時に車が止まる。 気づくとちょうど目的地に着いた所だった。

赤……赤……赤……。

風に吹かれ、季節外れの大雨が容赦なく車両のフロントガラスを打ちつける。 雨のせいか、周りの景色は回転灯のせいで乱反射していた。

「いつもご苦労さま」
私は隣で運転してくれている和美くんにひとことお礼を言うと、車から降りる。 大雨が全身を打つ。 傘を差す間もなく私はがずぶ濡れになる。
「シエラさん! 濡れちゃいますよ!」
 和美くんが運転席から慌てて飛び出して傘を私の頭上に差してくれたがもう遅い。
「大丈夫。 それより現場に案内して」
 手遅れである事は理解しているが、和美くんは私へ差した傘を下げずに案内しながら説明する。
「現場は笹宮公園です。 公園内の土管遊具の付近で仰向けになっている遺体を子供たちが発見しました」
和美くんは自分に雨が当たりながらも一生懸命に私に傘を差しながら案内してくれる。

 公園の入口からそれほど遠くない場所に、雨がっぱを着た警官達が現場保全に努めていた。 私はその辺にいる警官に声をかける。
「失礼。 警視庁霊視課のシエラです。 現場の状況を伺いたいんですが?」
警官は振り返ると、ギロっとした目で私の顔を見た。
「警視庁の試験機関だろ? そんな自信たっぷりに自己紹介しなくていいぞ」
「おや? 君塚さんじゃないですか」
その警官は顔見知りの警視庁捜査一課の刑事、君塚だった。
自信たっぷりに言ったつもりはないが、百戦錬磨の刑事は霊視捜査という手法をあまり快く思っていないから無理もないだろう。 まあ、私はこの刑事がどういう態度で来ようとどうでもいい。
「差し支えなければ今回の事件のことを聞かせてくれませんか?」
「ああ、いいだろう。 お前らに協力しなければまた署長にドヤされるからな」
嫌味ったらしく君塚は説明を始める。
「遺体が発見されたのは夕方。 公園で遊んでる子供たちによってだ。 相当なトラウマになっちまったな。 今回の被害者は主に胸部を中心にメッタ刺しにされてる。 目玉も抉られてるが、肝心のメッセージは見当たらなかった。 死神殺人を模倣する者か、撹乱殺人の可能性がある」
「身元は?」
「免許証から都内在住の山村透である事が確認できた」
私は遺体が横たわっていたと思われる地面へと目を向ける。 地面には遺体の状況を示す数字の書かれた旗が刺さっていた。

私は……しばらく霊視を続けるが、手応えはないという風に和美くんに伝えた。
「現場に残留思念なし。 これはデスマスターが絡んでいるね」




    【病院 午後四時】

走る。 走る。
私は病院の廊下を走っている。 廊下は走るな。 そう学校では教えてくれた。 でもそんな教えも今の私の頭の中にはない。 だって、だって。
今日は特別な日だから。
 目当ての病室の前に来る。 いつもあったはずの病室の表札は取り除かれていた。 私は病室の扉を勢いよく開ける。 中に居たのは、彼のお母さんだった。 お母さんは肩で息をしている私の方へ振り向くと、途切れそうなほどか細い声で私に言った。
「ユウちゃん、ごめんね……ショウ、逝っちゃったよ」
 ……そのあとは、あまり覚えていない。 頭では分かっていた事なのに、ショウのお母さんの言葉を聞いた瞬間、一気に私の周りを取り巻く現実というものが音もなく崩れていく。 現実じゃないなら、夢なら良いのに。 でもそのどちらでもないのなら、今の私の周りを取り巻くこの世界は、なんと表現すればいいのか。

       【午後八時十五分】

気づくと私は橋の上にいた。 大粒の雨たちが、私を現実の世界へ引き戻そうと打ちつけてくる。 傘を差すのも億劫だったので、私の体はもうずぶ濡れだ。 現実を感じれば感じるほど、私の視点は遠い場所を求めるかのように橋の欄干の先へ……先へと動いていく。 橋の下は真っ暗な空間が広がっているが、不思議と焦点はその暗闇の先へと合っていく。 私はポケットからスマホを取り出す。 防水だけど、こんな雨の中で緊急でもないのにわざわざスマホを見る人はあまりいないだろう。 私はスマホの中に入っていたショウとの写真を表示する。 彼……徳川ショウは私の恋人だ。 最後に撮った写真は、半年以上前。 彼はとても笑顔で、カメラに向かって微笑んでくれていた。 そして、半年前。 彼は事故に遭い。 半年間生死をさ迷った。 そして今日の朝。 息を引き取った。
「ショウ……」
彼の名を呼ぶが、きっと彼がいたとしても雨音でかき消され声は届かないだろう。
目が慣れてきたのか、下を見ると川が氾濫しているのを確認できる。 このまま欄干から身を乗り出せばきっと助からないだろう。 でもそれが私の望む事だ。
 昨日までの現実は、今の現実に当てはまらない。
そして今の現実は、私を心穏やかにしてくれた。
「待っててね。 もう、すぐにそっちに行くからね」
私は欄干に跨り、そこに座る。 最期の時、彼と一緒に……。 私はショウの画像が表示されたスマホを胸に抱きしめる。 下の川からは心無しか、ショウの声が聞こえる気がした。 他の人にはきっと川の音か雨音しか聞こえないだろう。 でも私には確かに聞こえている。 ショウの声が。 きっと迎えにきてくれたんだ。 だって約束したから。 私は彼の前で覚悟したから。 もう迷いはないよ。
目を瞑る。 私は確かに彼を感じている。 もう何も怖くないし、なにも悲しくない。
だってまたすぐに、会えるんだから。 私はその身を川へと――。
「あなた……倉本ユウ?」
 突然後ろから何者かの腕が伸びてきて私の肩を羽交い締めにしてきた。
突然の出来事に私はパニックになり叫び声をあげる。
「感傷に浸っているところ悪いけど、今あなたを死なせるわけにはいかない」
「……だ、誰ですか!?」
とりあえず、後ろの存在は人間である事は確かだ。 場所が場所だけに心臓が止まりそうになったのは仕方ない。 いくらこの後死ぬとしても怖いものは怖い。
「ひゃあッッッ!?」
羽交い締めにしていた腕に力が入り、私の体は後ろへと投げ飛ばされる。 欄干から遠ざけられ、私はまた橋の歩道へと戻された。
「いてて……な、何するんですか――」
私は首を押さえながら、私を投げ飛ばした張本人を見る。 橋の青い外灯に照らされたそいつは喪服のようなスーツを着込み、私と同じく全身雨でずぶ濡れだ。 右目には眼帯をつけているが、それを前髪で隠すようにおろされている。 唯一露出している赤い瞳の左目からは生気を一切感じない。 まるで人形の目――気味が悪い。
「私の問いに答えてもらいたいな。 あんた倉元ユウ?」
最初に私に問いかけてきた質問をする。 声質からして――女?
「そうですけど……なら何ですか? 私を止めるつもりですか? 余計なお世話です」
親切にこの行為を止めてくれたつもりだろうか。 罪悪感は感じたが、私の覚悟は揺るがないのだ。 ここで止められては困る。
「ありがとうユウ。 それでいい」
女は少し私に歩みながら語りかけてくる。
「別にお前が死んだところで私は悲しまないし、困る事もない。 でもどうせ死ぬんならちょっと人の役に立ってみたくない?」
「私が誰の役に立つんですか? 私なんか誰の役にも立たないし、立つつもりもありません。 私には、もうそんな力も気力ないんです」
「誰の役にもか……じゃあ自分のためには?」
「もう分かっていると思いますけど、私は自分のために死にます」
だからもう何も邪魔しないで。
「ユウ、お前の目的は分かっている。 ショウに会う事でしょ?」
 ――え?
「徳川ショウ、お前の恋人」
「ショウを知ってるの? あなた、誰?」
「やっと、自己紹介をさせてくれる気になったみたいだな」
女はバレエダンサーのお辞儀のような仕草をすると、一呼吸置いて口を開いた。
「私の名前はクロウ。 職業は殺し屋」
「殺し屋……?」
日常では聞かない単語に私は聞き返した。
「そう、殺し屋。 人を殺すのが職業。 で、ユウ。 お前を殺しに来た」
クロウと名乗る女はそう言うと、懐から注射器を取り出した。 中身はドロドロとした真っ赤な液体が入っている。
「これ、あなたに打たせて? 大丈夫。 楽に死ねるから。 でも打ってから死ぬまでの間、ちょっとだけ私に協力して欲しいんだよね」
「ま、待ってください! その注射器はなんですか!? それに、あなたショウと何の関係があるんですか!? 全部教えてくれるまで私は何もしませんよ!」
彼女は少し項垂れる。
「まあ、そう調子良くはいかないか……いや、何回目だろうなって思ってね」
彼女は注射器を指さす。
「これは私の血。 私には、神であるタナトスの血が流れている。 タナトスと私は表裏一体の一蓮托生。 タナトスが死ねば、私は死ぬ。 逆もまた然り。 普通の生物がこの血液を体内に吸収すると、そいつは死ぬことになる、わかる? この注射器で死ねるの」
「タナトスって……神って、何のこと言ってるの?」
「タナトスっていうのは冥界にいる死神の最高神のこと。 タナトスの目的は、冥界のもう一人の死神であるハデスの抹殺。 この現世には私と同じようにハデスの使いがいる。 私と同じように表向きは人間だけど、冥界の神の血を持った存在がね。 私の目的はそいつを見つけて殺すこと。 お前にはそのハデスの使いを探すための囮になってほしい」
――ああ、私もだけどこんな所に一人で居る時点でまともじゃない。 この人、どうかしてる。 そんなのは分かってる。 でも、彼女の口からショウの名が出たことだけが、私が彼女の妄言を途中で遮らない唯一の理由だった。
「それで、あなたはなんでショウの事を知ってるの?」
「ああ、今のお前にはその事しか頭にないからな。 それを先に言えば良かったなあ。 どうせ、信じてないだろ?」
彼女は生気のない目で少しムッとした表情を見せた。
「私の中には、ショウがいる」
意味不明。
「どういう意味、ですか?」
「私には死者の魂を吸収し、その魂を自分の中に留まらせる事ができる。 それだけじゃない。 その吸収した魂を死神と化し自由に使役もできる。 タナトスの力を使ってな」
「ショウの魂が、あなたの中に居るってこと?」
「そうだって言ってるでしょ」
馬鹿馬鹿しい。 でも、どうしてそんな事をする必要がある?
「お前に協力して欲しい。 でも人の為に無償でしかも命と引き換えに協力してくれる人間はどうやらこの世にはほとんどいないみたいだ。 だから、まあこう言っちゃ聞こえは悪いけど、ショウのことをダシに使わせてもらった。 ほら、ショウに会いたいだろ? 会わせてやるよ。 私の願いを叶えてくれたらね」
ここに来るまでの記憶を思い出すと精神衰弱しているのが自分でもよくわかる。 きっとそれこそ現実逃避が進行した脳には彼女の言葉はとても魅力的に感じるかもしれない。 そう、普通の人なら。 でもだからこそ、少なくとも私には、彼女の言葉に現実味が感じられず、一切信用することができないでいた。 希望も何も、この世界にはない。 
だからそんな非現実的だけど、きっとあってほしいと願った世界もない。 死の先でしか、私は希望を見出すことはできないだろう。 だからきっとこの人が言うことは全部嘘なんだと思った。 私に希望を持たせて、死を思い留まらせようという嘘なんだ。 きっとショウの知人は知人なんだろう。 なんでショウのことを知っているのかはもうどうでもいい問題だ。 問題は、この人が私のことを死なせないようにしているということ。
「もういいですよ。 そんなお話しなくても、私にはもう何も希望はありません。 私に希望があるとしたら、それはきっと橋の下です。 私はそこに行きます」
「じゃあ橋の下、覗いてみれば?」
私は立ち上がると、言われた通り橋の下を覗く。 きっと、もう彼女は私を引き止める気は無くなっただろう。 このまま、もう飛び降りてしまおう。 私は欄干へ手をかけ、下を見た。 河川はさっきよりも増水しており、荒ぶる水面がより近くに見える。 水しぶきがここまで飛んできそうな勢いだ。 ……いや、違う?
それは水しぶきだと思っていた。 さもなければ増水で流れてきた流木かゴミか。
だがそれは確かに、意思のある存在だった。 なぜならそれ等は……『ヒトガタ』だったからだ。 それ等は必死の形相で手をいっぱいに空へ、この橋へ――いや、私へ?
私を掴むように手を伸ばして、助けを求めるかのように……。
私は欄干から手を離してその場に尻餅をついた。
「どう? 橋の下に希望はあった?」
悪そうにニヤニヤしながら彼女――クロウは訊いてきた。
「――アイツら、なに!?」
「奴らは見てわかる通りこの世の者ではない。 辺獄を彷徨う残留思念だ。 雨の日や、水辺にはワラワラとウジのように集まってくる。 生への執着が凄まじい奴らだ。 生きている人間や、お前のように今まさに死のうとしている者の所へと引き寄せられるように集まってくる。 今飛び込むって事は、そいつらの仲間になるってことだな」
「あれ、幽霊!? あんなにはっきり……」
幽霊……。 信じているかいないかは微妙なところだ。 なぜなら私はあんなモノ達を今までの人生で一回でも見た事なんて無いから。 背筋が凍る。 寒気が止まらない。
「ここは自殺者の多い橋だ。 ここで死んだ人間の地縛霊もあの中に居る。 だがほとんどは浮遊している残留思念だ。 大方、お前みたいなのが来たから周りの残留思念も引き寄せられてきたんだろう。どう? 下のお祭り騒ぎに加わってみたい?」
私はなにも答えられず彼女の顔を見る。
「そこに希望はある?」
私は首をゆっくり左右に振る。
ショウに会いたかった。 ただそれだけなのに、今の現実は私を絶望へと引き戻す。
「じゃあ、私が希望へ導いてあげる。 いい? 私の言うとりにするんだ。 そうすれば、ショウにも会える」
「ショウに……会える? どうやって?」
「それは――」
「おやおやお嬢さん達、こんな雨の日に散歩ですか? 随分おてんばなお嬢さん達だ」
突然、彼女の後ろから男の人の声が聞こえた。
青い光に照らされて現れたのは、警官のような服を着た三人組の男達だった。

「ほら、こっちに来なさい。 安心できる場所まで送り届けてあげるから」
声色は柔らかかったが、言っている事は一方的でこちらの意思を伝える隙はない。
 そして私は異様な事に気づいた。 男達の右目から血のようなものが滴り落ちている。
「――!?」
全身にゾワッと鳥肌が立つ。 そして生ぬるい悪寒が背筋を駆け抜けた。 男達の右目が……右目が……潰れてる! それだけじゃない。 今気づいたが、警官の格好をしているが全身の服に粉塵がかかったかのように白みがかっている。 そしてニタリと気持ち悪く笑うその顔からは温かさがまるで感じない。 生気が全くなく、まさに死相だ。
「生憎だが間に合っている。 とっとと失せろ」
彼女は男達に吐き捨てる。 男達の一人はその言葉を聞くと彼女へと歩み寄り、距離を詰めた。 そして腰に着けた――拳銃!? それを引き抜く。
「しょうがないなあ。 じゃあちょっと痛いけど、我慢してくれよ」
満面の笑みで、拳銃を彼女の眉間に突き付ける。 
――殺される。 そう思った時私はふと、男達の方へ体を向けている彼女の後ろ手に刃物のようなものを握っている事に気づいた。 ナイフにしては少し長く刀にしては短い。 鉈……? 形状は違うが、その表現がしっくりくる。 そして……彼女はその刃を一気に振り――ぶしゃ! 男の、拳銃を構えていた右手の肘から先が橋の下へと吹っ飛ぶ。
男は獣のような叫び声をあげ、地面に膝をつく。 彼女はその隙をつき、男の鎖骨と鎖骨の間へ刃を真っ直ぐに突き立てた。 そして一気に刃を引き抜くと、男を足で押して倒す。 倒れた男は、ピクリとも動かなかった。 後ろの男二人はなにが起きたかわからず呆然と立ち尽くしている。 そして先に動いたのは彼女の方だった。 残りの男たちに一気に詰め寄り、持っていた刃物で瞬時に斬りかかる。 男たちは応戦しようという意思は感じたが、それを私が認識するよりも早く事は済んだ。 何故なら声もあげさせずに彼女は二人を倒してしまったからだ。
 後に残ったのはさっきまでと何も変わらない打ちつける雨とクロウという女と私。 そして唯一の違いは、地面に倒れた三人の人間か区別のつかない物体の骸。
彼女はゆっくりと私に振りかえる。
「忠告はしたよ? でもあっちから襲いかかってきたからな、仕方ないよな?」
何の確認? 目撃者としての確認? 正当防衛? いや、そもそも今どういう状況――。
「大丈夫? ヤバい顔してるけど?」
まあ、きっとそりゃヤバい顔はしてるよ。 鏡がなくてもわかるよ。
「この人たち……何なの? に、人間?」
声が震えているよ。 よく喋れたよ。 自分を讃えたいよ。
 バンッ! 突然横たわる男達の体が破裂して白い光に吸い込まれた。
「びいッッッ!?」
 私は変な声をあげて、男達の倒れていた地面を凝視する。 その破裂を最後に、男達の体は跡形もなく消えていた。
「今の奴らはハデスの死神だ」
「し、死神?」
「そう、死期が迫った人間の所へ来て。 その魂を冥界へと案内する。 そういうの」
「死期が迫ってるって……私が?」
「――あ」
クロウは私の質問を無視して男達の来た橋の向こう側を見る。 雨のせいで青い光が乱反射して見え辛かったが、橋の向こうから外灯とは違う光がいくつもこちらに向かって近づいてきていた。
「ああ、意外と早いな。 ほら、『ユウちゃん?』 いつまでも座ってないで逃げるよ!」
彼女に抱き起こされる。 あ、足に力が入らない……。
「ああ! もうこんな時に! まさかチビってないよなあ!?」
「ば、バカなこと言わないで! そんなわけないでしょ!」
……雨でよかった。 うん、本当によかった。
「あ、あいつら何なの! あれも死神?」
近づいてきてようやくシルエットがわかってきた。 橋の真ん中を占領するように近づいてきているのはトラックもあれば、戦車のように大砲を備えている車両もある。 そしてその周囲には人、人、人……。 大勢の銃を持った軍隊の兵士のような格好をした者たち。 そして車両も含めてそいつ等は全てが白のカラーで統一されている。
「そう、ハデスの死神たちだ。 あの量はさすがにまずい。 逃げるぞ」
彼女は私を抱き起こすと、反対の方向に足早に駆けていく。 ああ、足がもつれて上手く歩けないなあ! そうこうしている間にも反対からは車両の音がどんどん大きくなってきて、心拍数が上がる!
「ちょ、ちょっと待って! 足がうまく動かなくて……」
自分で言っていて情けないが、どういうわけか異様に足が重たい。
「ああ、そうか。 そうだったな」
彼女は何かに納得したかのように私の所に戻ってくると、手を引いてくれた。
 ――後ろから空気を揺るがすような重い爆音が鳴る。 瞬間、私たちの前方の地面で爆発が起こる! きっと戦車の砲撃だ。 爆発の振動で周辺の外灯が明滅する。 私たちは爆風で体勢を崩して地面に転がった。
「ちッ!」
隣で同じく転がっていた彼女は私より早く起き上がると、遠くの戦車に向き直って手を勢いよく振りかざす。 その途端私たちの目の前に漆黒の空間が広がり、中から大きな物体が出てきた。 それは――戦車だった。 真っ黒にカラーリングが施された戦車が橋の上に数台出てくる。 そしてそれに続くように十数人の『ヒトガタ』の物体も飛び出してくる。 それらは黒装束を着ており、手には銃が握られていた。
「やれ」
彼女の合図を境に、戦車は一斉に前方の白い車両へ向けて砲撃を開始する。 続けて黒い兵士たちも射撃を開始する。 目の前が一瞬にして火花と硝煙で覆われた。
「今のうちに!」
彼女は再び私の手を引いて駆ける。
「ねえ! あの黒いの、あれも死神!? あなたが出したの!?」
「そうだ」
 しばらく走ると、橋の中央に一台のバイクが停めてあるのが見える。 後ろからは大砲の爆音と銃声が鳴り止まない。 まだ応戦しているのか。
「後ろに乗って!」
私はバイクに跨る。 彼女も前に跨り、手慣れた動作でエンジンをかけた。
「掴まってろよッ!」
 そう叫ぶと、彼女はバイクを急発進させる。 割とマジでガチで予想以上に振り落とされそうになったが、なんとか彼女のお腹へ手を回して踏ん張った。
「ああ、ヤバいね」
後ろを振り返りながら彼女は言った。 私も振り返る。 空に、二つの光……。
プロペラの回転音と共に空から現れたのは、二機のヘリコプター。 やはり色は白い。
「ヘリ!? 嘘でしょ!? ね、ねえ! 死神ってヘリにも乗れるの!?」
「ああ!」
戦車と来て、次はヘリ? じゃあ次は? いや考えたくない。 しかし事態は刻一刻と進行している。 二機のヘリコプターからミサイルが放たれたのだ。
ミサイルは彼女の召喚した黒ずくめの集団へ向けて真っ直ぐに進行していき、地面に当たって爆発した。 強烈な爆風と共に彼女の出した戦車や死神たちはその原形を崩して霧散して消えていった。 そして、立ち上る火の壁を高速で走る何台かのバイクが突き破ってきた! それらはやはり真っ白のシルエットだった。
 橋も終わりを迎え、私たちの乗るバイクは通常の道路へと入る。
「振り切るぞ!」
 彼女はバイクを加速させる。 雨のお陰か、往来する車が居ないのは救いだ。 
 後ろからこちらの方へ向けて銃撃の音が聞こえる。 跳弾の音が、走るバイクのすぐ横から聞こえる中で彼女が叫ぶ。
「ユウ! お前はハンドルを握れ! 私は後ろの奴らをやる!」
彼女は私がお腹に回した手を無理やり引き剥がすと、手をハンドルへと誘導する。
「ちょッ!? ちょおッ――」
「取りあえず壁に当たらなければいい! しっかり握ってろ!」
彼女はそう言うと上半身を後ろに向け、片手を追手のバイクへ向けて突き出す。 さっきの今なのであまり驚きはないが、手には銃が握られていた。 彼女は躊躇せず銃撃を開始した。 拳銃からはまるで自動小銃のような連続した発砲音が響き渡る。 後ろでバイクが転倒したり壁にぶつかる音が聞こえてくる。
「よし、いいぞ! ハンドル離せ!」
私は再び彼女のお腹いっぱいに手を回す。
「ねえ! どこへ逃げるの!?」
「隠れ家がある。 追手を振り切ったらそこまで向かう!」
「隠れ家!? あの、私まだあなたに付いて行くとは言ってないんですけど!」
「じゃあここで降りる? 奴等には警備区域が設定されてる。 このエリア、バリバリ奴等のテリトリーなんだけど」
撃退はしたが、まだ遠くの見えない所からはバイクの音やヘリのプロペラ音が聞こえてくる。 まだ油断できないか。 第一なぜこんな事態になっているのか全く把握できていない。 少なくとも今は彼女の方が安心に思えた。 そう頭の中で考えていると、ついさっきまで死を考えていた自分自身に笑われた気がした。 わかってる。 結果死ぬのは何も変わらない。 でも……こんなにも怖いのは何故だろう。
その思考は辺りがオレンジ色の光に包まれたのを認識してから消えていった。 バイクは市街地から抜けて郊外の山間へと向かうトンネルの中に入っていた。
「奴らの残骸は残らない。 奴らの撃った弾丸だろうと、爆弾を落とされようと、この現実世界には一切痕跡は残らない。 影響があるのは私たちだけ」
「あっちの世界の存在、だから?」
あっちの世界とは、この世ではない死後の世界、という意味だ。
「なら、私はなに? 霊感があるから奴らが見えるし、殺されるって事?」
「……悪いけどあの注射器、もうお前に打ってる」
注射器……注射器――。
「あ、ああ」
「確認する前で悪いけど。 最初にお前に触った時にもう打った。 悪いけど」
「ああ、ね」
あの時は突然のことで驚きの方が強かった。 確かに今思い出してみると首筋にちくりと針で刺されたかのような痛みが走っていたかもしれない。
「今、お前は生と死の狭間。 辺獄にいる。 辺獄はもう現実の世界ではない。 人が死んだときに最初に踏み入れる世界」
だから奴らは私を狙ってる?
「じゃあ、死ぬの? 私は? いや、死ねるのか」
トンネルの出口が見えてきた。
「とりあえず、詳しい話はあとで。 今は――」
 ヘリがトンネルの出口で待ち構えていた。 ミサイルが私たちへ向けて飛んでくる!
「掴まれ!」
もう掴まってる。 たぶん、もっと強い力でしがみつけって事なんだろうな。 彼女はバイクの前輪を持ち上げて後輪走行すると、横のガードレールへと突進した。 後輪がガードレールへとぶち当たり、反動で前へと回転する。 ガードレールの向こうは急斜面となっており、バイクは下へと落ちるまで空中で一回転をするようにクルッと回った。
世界が回る。 あ、死ぬ。 これ死ぬわ。 内臓がグルンと一回転した感覚。 やがてそれは急斜の地面へと接触することによって終えた。
凄い衝撃で舌を噛みそうになる。  バイクはさらに速度を上げ斜面を駆け降りる!
「ぎゃああああああ!?」
彼女は木々を避けながら下りを続ける。
「止まって止まって止まってえええええ!?」
「無理!」
かなり下ったところで、下方に再びガードレールが見えた……まさか――。
「もう一回行くぞ! 掴まれ!」
掴まれってのはもっと強くしがみつけってことね! わかってますわかってます!
彼女はまた前輪を持ち上げると、後輪のみでガードレールにぶち当たり――。
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