第11話 『生と死のない世界』

文字数 9,379文字

……落ちてどれだけ時間が経ったか。 私の耳に音が聞こえる。 何の音かはわからないけど、何か洞窟の中で強い風が吹き抜けていくかのようなそんな自然音だ。 やがてそれは大きくなり、視界は光と色を取り戻していく。目の前には……倒れている死神、そして……マチェーテが転がっていた。 早く、あれを取らないと。 頭ではわかっていても体が自由に動かない。 まるで時間がスローになったかのように手がゆっくりしか動かない。 さっきから聞こえていた音は形を変え、聞き慣れた雪の降る音と森を吹き抜ける風の音へと変化していた。
「ぐぐ……」
口からはよくわからない私のうめき声? あの崖から落ちたんだ。 よく死ななかったな。我ながら……いや、今はそんな事を考えている場合ではない。 何故なら死神もゆっくりとだが動き始めている。 そして私の顔を確認すると、当然のように視線をずらしてマチェーテの方に目をやる。 まずい。 奴は私よりも動けるのか? ダメージは同等だと思いたい。 でも最初に目を覚ましたのは私だ。 だからマチェーテを先に取るのも私であっていいはず……なのに、くそ! どうしてこんなにも体が動かない!? 手は伸ばしてるのに、後少しで届くのに体が動かないから届かない!
ああ……そしてなぜ死神がそんなに動ける!? くそ! くそ!
 死神は徐々に体を動かしてマチェーテへと近づいていく。 そしてついにはそれを手にしてしまった。 遅かった? 私が?
「コリー……どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだな」
頭から血を流しながら、死神は勝利宣言をする。 そして、私の上に馬乗りになった。
 マチェーテの刃が、私の首筋に当たる。
「悪いなコリー。 安心しろ……一撃で頭を叩き割ってやるから。 そしたらな、お前はもう解放される。 全てからな。 だからもう安め」
死神は……死神は……いや――。
「兄……さん……」
兄の顔を見る。 兄は……泣いていた。 さっきからずっと泣いていたのだろうか?
「あと最後に……」
兄はそこでしばし沈黙すると、再び口を開く。
「もう一人の女な。 あいつも苦しまないように殺してやるから、安心しろ」
兄はそう言うとマチェーテを振り上げた。 今にも私の頭に振り落とすような勢いだ。
 私は目を閉じる。 これで、終わりか。 結局……私には無理だったのか。 そうさ。
私は弱くなってしまった。 人の思念を取り込み、人でなしから人になろうとしてしまったんだ。 それは当然だ。 ごめんみんな。 兄さん。 どうやら仇を取ることは、できないみたいだ。

「やめろぉぉおおお!?」

連続して乾いた音がした。 そして兄の背中が爆ける。
「!?」
兄は、そのまま倒れた。
「クロウ! クロウ! 大丈夫!?」
駆け寄ってきたのは……ユウだった。
「ユウ……」
「すごい怪我してる……! 話せる? 体、動かせる?」
ユウはひどく心配そうな顔で私を見下ろしていた。 手には私の吹っ飛ばされた銃が握られていた。 その銃を持つ手は震えていた。 私はその手を握る。
「どうして……隠れてろって言っただろ?」
「すごい銃声が聞こえたから、心配になって……そしたらクロウの銃が落ちてて、崖の下を見たら――」
私はユウの体を引き寄せ仰向けのまま抱き締めた。 ユウも、抱きしめ返してくれる。
 私は隣で倒れている兄を見る。 虫の息だが、まだ意識はあるようだった。 悲鳴を上げる体に鞭を打ち、私は兄の方へ行き、抱き起こす。
「油断した……そっちの可能性は考えてなかった……」
兄は息も絶え絶えになりながらも言葉を発する。 私は口を開こうとして制止される。
「いや、何も言うな。 もう俺が喋れる時間も残り少ない……」
兄は笑いながら続ける。
「もしかしたらこれがお前の強さなのかもな……そうか。 お前は俺たちと違う。 人になる事が出来るのかもしれない。 お前は、俺たちが見れなかった世界を見るんだ……。あの世で……見守ってる。 だから、お前はお前の思う通りに生きろ。 そしてそれは誰にも否定できないだろう。 例えハデスにもな」
「兄さん……」
「じゃあなコリー。 先に行ってる。 俺たちは、いつでも待っててやるからな……」
兄は、その言葉を最後にゆっくりと事切れた。
「クロウ……ごめん……私、あなたを助けたくて……そんな、殺そうなんて――」
「いいんだユウ。 ありがとう。 お陰で助かった。 兄も、これで救われたと思う」
「……うん」
「――クロウ!」
 急に遠くから私を呼ぶ声がした。 見ると私がこのエリアに展開させていた死神の一人が走り寄って来ていた。
「どうしたの?」
私が聞くと、死神は慌てた様子でこちらに来る。
「ご無事ですか!」
「見ての通り……もうちょっとあんた達が早く来ればね……他の仲間達は?」
「他の者たちもすぐ到着します!」
死神は私のそばで膝をつく。 相当緊迫した面持ちだ。
「どうしたの?」
「実は先ほど、この近辺で死神の召喚反応がありました。 数にして二十体ほど……」
「二十体!? それってまさか……!?」
ユウが恐ろしい顔でこちらを見る。
「ハデスのデスマスターです! 恐らく、こちらを目指してきています! すぐに小屋の方へ退避した方がいいかと!」
私は立ち上がろうとするが、急に目眩を起こしふらつく。 落ちた時に頭を強く打ったのか、体がまだ思い通りに動かない。
「クロウ、大丈夫!? とにかくここを離れよう! 肩、貸すよ!」
ユウが肩を貸してくれる。 少ししたら治るといいんだが……。
「それと……」
歩き始めた時、死神が再び口を開く。
「解析班からの連絡により、この猛吹雪の正体が分かりました」
「吹雪の正体? どういう意味?」
「今吹雪いてるこの白いの、雪ではありません。 これは――」
声はそこで途切れ、雪の上に倒れる死神。 赤い血溜まりが……頭からドクドクと流れていた。
「なんだ!?」

「重大発表の役目は私にやらせてくれないかい?」
後ろから声。 この声は――。
「……」
ゆっくり、振り向く。

「あなたは……」
 立っていたのは、ショウの母親の家に押し掛けてきたシエラと名乗った女だった。
「どうしてここに……!?」
ユウは私に肩を貸しながら身構える。
「タナトスの解析班も仕事が遅いね? 今頃この雪の正体に気づくなんて」
「お前……ここで何してる」
その質問は馬鹿げている。 タナトスの名が出た時点で確定的だ。 こいつは――。
「何って、倉本さんを迎えに来たんだよ。 ここは寒い。 署にいた方が暖かいよ?」
シエラは言いながら近づいてくる。 私はユウの片手を見た。 手にはまだ私の銃が握られている。 私はユウの手から銃を取り、シエラへと向けた――と同時に、付近の積もった雪が盛り上がり、中から白い死神たちが私たちへ向けて銃口を向ける。 皆ハデスの死神たちだ。 なるほど二十体……。 こいつら全員白いから気づかないんだよなあ。 どうやら既に取り囲まれていたらしい。
「そう急がなくてもいいよ。 しっかり種明かしはしてあげるから」
シエラは私たちから三メートルほど距離を取り止まった。
「名前は、ムラマサでよかったかな?」
「……クロウだ」
「クロウ……へえ、カラス繋がりか」
シエラは心底微笑むと、表情を戻して話し始める。
「もう気づいていると思うけど私がハデスの代理人。 あまり驚いていないようだけど」
「ああ、薄々そうなんじゃないかって思ってたからあんまり驚いてない」
「なあクロウ? お前は私がこの国にいることを突き止めた。 そして私の人を殺すときに右目を狙って殺すという、ある種のテーマを模倣して連続殺人を起こし、私にメッセージを残した。 私はここに居るぞってね。 そして……ハデスの死神達の動きから絞り込めたんじゃないかな? ハデスの代理人は警察内部の人間じゃないかって。 どう?」
「ああ。 殺人事件が発覚した際にそう遅くない段階でハデスの死神たちが百人規模で事件現場にて召喚され、付近の残留思念を捜索していたという事実を解析班が掴んだ。 その時点である程度の目測は立てていた。 警察関係者、特に警視庁捜査一課のものじゃないかってな」
「ふむ。 私は表向き、警視庁捜査一課に属する者だけど、厳密には一課じゃない。 霊視課っていう外国の民間請負霊視鑑定の企業から例外的に派遣された民間の霊視協力者という立場で協力してる。 残念、ちょっとハズレだね?」
馬鹿にしたような笑みを見せると、シエラは先を続ける。
「殺人事件が起きる毎に残留思念の捜索をする死神の数は減っていった。 それで手がかりを掴むのが少し大変になってきたから、倉本さんのように辺獄へと引き込み、いわゆる囮捜査みたいなやり方をする他なくなった。 違う? なるほど面白いやり方だなとは思ったよ。 ただね、私もお前を殺したいと思っていたんだ。 でもどこの誰だか分からないから慎重にやっていくしかなかった。 で、時は来た」
シエラは私を指さしながら言う。
「クロウ、なぜ最後の殺人……山村透を殺した時に残留思念を消さなかった? あいつだけ残留思念が残ってたから、ほら」
シエラの後ろから、人影が現れる。 そいつは……。
「よう姉ちゃん? 会いたかったぜ?」
そいつは、死んだはずの山村透だった。

「あ……あんたは!?」
ユウが叫ぶ。
「死んだはずの山村透。 だが今は魂を私の中に仕舞い込んだ。 お陰で事件当時の記憶も思い出せる限り彼に聞けた。 何でも、黒づくめの女が? 公園まで誘ってきたらしいじゃないか? こいつは馬鹿だからのこのこと付いていったらこの様だ」
「いや、怪しいとは思ったさ! でもまさかあの女が俺を殺すなんて思ってもいなかったぜ! 飛んだマネをしてくれたよ畜生!」
山村が怒鳴り散らす。 それを見てたまらずユウが叫ぶ。
「そんなのアンタの自業自得でしょ! あんたが……お前がいなければ、ショウは死なずに済んだのに!?」
「知らねえよそんなの! 俺はただあの日ゲーセンに行こうとしてただけだぜ!? 道から勢いよく飛び出して来たのはテメエらじゃねえか!? むしろ被害者は俺だぜ!」
「横断歩道の青信号が点滅してたのに曲がる方向の確認もしないで車を飛ばしてきたのはあなたでしょ!」
「だから知らねえって! 青信号が点滅したなら歩行者は渡るべきじゃなかったんじゃねえのか!? あん!? 歩行者は王様かよ! ふざけんな! そんなもん一々確認してられっかよ!」
「この野郎……! もう一度殺してや――」
身を乗りだすユウを私は制止する。
「そうだ落ち着けよ! ガキは死んだし、俺も死んだ。 もう何にもねえんだよ」
山村はシエラに目配せして、そしてこちらを振り向いて言う。
「だが俺はただでは死なねえ……俺を殺したお前も道連れにしてやる!」
山村はそこまで言うと消えた。 シエラが再び自分の中に戻したのだ。
「うるさい奴だな? こいつと四六時中一緒にいる私の身にもなってくれよ。 なあ?」
「同情はしないけど」
「まあ、そんな感じで山村を殺したのは倉本さん、あなただと可能性が高くなった。 それは捜査一課もそう思っていたはず。 そして昨日あなたに初めて会った会った時、あなたが辺獄に居ることがわかった。 そしてその隣にいるクロウ、お前がタナトスの代理人なんじゃないかって思ったんだよ」
なるほど、シエラが一枚上手だったわけだ。 私たちは少し後手を踏みすぎたらしい。
「で、この雪が何だって? お前のせいか?」
「昨日……捜査一課の連中が笹宮公園で死神たちに殺された。 お前たちも居たからわかるよな? 通常、現界の人間に死神は手を出すことはできない。 でも彼らは死神に殺された。 何故だと思う?」
「まさかあの捜査一課の奴らも辺獄に?」
「違う、根本的に違う。 この街一帯が既に辺獄なんだよ」
「……なに?」
「一昨日に実行された自衛隊の雨降らし作戦。 覚えてるよね? その雨降らし作戦で使われた、上空に打ち上げられた雨を人為的に降らせる爆弾。 その中に……私の血液が混ぜられていたとしたら、どうなると思う?」
「……!」
神の血。 それはタナトス、ハデスの代理人であればその体に流れる血。 体内に取り入れた他の者は最後、死ぬ事になる血。 あの上空で爆発した爆弾の中に、神の血が混ぜられていた?
「私は国際的に名の知れた存在でね。 ある国の機関は既に私の能力に着目し、神の血の効果を軍事転用できないか検証していたりもするんだ。 私もそれに快く協力させてもらってる。 その私の血液を元にバージョンアップされた『兵器』を少し拝借させてもらった。 そしてこの国のトップに取り入り、今回の雨降らし作戦を実行してもらったってわけ。 空中で爆発し、雨となり、大気となった血液はこの街の人々の呼吸により肺へと侵入する。 するとどうなる? この街の人間は皆、辺獄行きだ。 無論空間の辺獄化も既に完了している。 死のカウントダウンがこの街で始まったと言うことだ」
「馬鹿な……」
「さすがにこれは思いつかなかったかな? そして……この雪の正体。 脂粉だよ」
「しふん?」
「ほら、よく鳥が羽ばたいたりすると白い粉が舞うでしょ? あれ、脂粉ていうんだよ」
この雪が脂粉? 私は手につく雪をじっと見つめる。 確かに溶けづらく、雪の結晶のようにもなっていない。 白い粉のようだ。 ユウも空を見見上げる。
「脂粉てどういうこと? まさか巨大な鳥でも居るっての!?」
シエラは人差し指を立てる。 まるで惜しいと言わんばかりに。
「鳥ではないけどね。 そう……巨大なものからこの脂粉は剥がれ落ち、雪のようにこの街を覆っている。 それはまさに神……」
「まさか――」
「そう、そのまさか」
シエラは一呼吸起き、満面の笑みで答える。
「これは全て、ハデスの脂粉だ!」
「馬鹿な! タナトスはもちろん、ハデスも辺獄には干渉できないはず! 干渉できてもせいぜい煉獄までだ!」
「例外もある。 この街は既に辺獄空間。 即ち死が確定された世界。 危ういんだよ今の状況は。 辺獄と煉獄の境界がね。 ヒビ割れた辺獄と煉獄の境から、ハデスは居ても立ってもいられなくて羽を震わせてうずうず待っている! この脂粉がその証拠! あとひと押しで、煉獄と辺獄の壁が崩れ去る。 その時……ハデスはこの世界に姿を現す!」
「煉獄と辺獄の壁……? 何をするつもりだ!」
「ふふふ、まあ待て待て? ここからが凄いんだよ」
シエラは私たちの周りを歩き出す。 お楽しみはここからとでも言いそうな雰囲気だ。
きっと映画に出たらアカデミー賞ばりの演技力を発揮してくれるだろう。 もちろん悪役でだが。

「半世紀前の事。 裏の世界で勝利の女神と呼ばれる女が誕生した。 それが私。 不死身のこの体を活かし、様々な紛争地帯でクライアントの国に勝利を提供してきた。 やがてそれが各国のトップに伝わり、私は政治や戦争に利用された。 時には戦争を引き起こし、内戦を引き起こし、この世界のありとあらゆる戦争を私が操ってきた」
「……」
「そう、クロウ? お前の母国で内戦を引き起こしたのも私だ。 あれは長引かせるのに苦労したよ」
「ひどい……!」
ユウが心底嫌悪感を露わにする。
「私をバックアップにつけた国が勝利を収める。 だから軍事的優位性の最優先は、私を如何に味方につけられるか? 実際私の取り合いで内戦や戦争が勃発した例もある。 最近では私の独占を禁止する条約も新たに裏で作られたなあ?」
「それがお前の目的? 世界中の紛争を制御する事が?」
「いや、目的のための準備に過ぎない。 タナトスとの最終戦争のための準備。 真の敵は人間ではなく神であるタナトスだ。 如何に人が大勢死ぬ状況を作り出せるか? 答えは簡単だ。 戦争だよ。 半世紀前から繰り広げてきた戦争や殺し合いでどれだけの人間の魂を吸収し、死神化してきたか分かるか? それはそれは膨大な数の死神を作ることができた。 この世界を、現界や辺獄なんて区分けされることのない一つの世界として統一する。 そこには生も死もない。 ただありのままの世界を永遠に享受できる。 素敵な世界だと思わないか?」
「とんだ妄想だな」
「お前はいくつ大切な者を失った? 多くの悲しみを経験してきたんじゃないのか? ハデスの望む世界が実現した時……その悲しみは露と消え、苦悩は消え去る」
「生憎今まで私の周りは死で満ちていた。 誰かが死んで悲しんだことはない」
「強がるな。 でも……お前のそういうところは好きだよ」
 シエラは腕時計を見ながら街の方を指差す。
「あと三時間後に、この街の中心へ向けて爆撃機が核を落とす」
「なんだって?」
「この国は現在レベル2の厳戒態勢だな? それも私のシナリオ通り。 彼の国をけしかけて、核を使って侵攻する事を提案した。 何せ勝利の女神がバックアップについてる。私の進言とはいえ、彼の国も強気に出たものだね?」
「この街を破壊するつもりか?」
「安心しろ爆発はさせない。 そしてもう戦争も必要ない。 この辺獄と煉獄を隔てる壁は今僅かな衝撃で崩れ落ちようとしている。 核爆弾ともなれば起爆した瞬間にその一帯にいる生命の死が確定する。 もちろん普通は核が爆発したところで煉獄にはならない。 だからその前段階として雨降らし作戦で辺獄状態にしたうえで核を爆発させる。 ……爆弾が起爆する瞬間に煉獄の扉が開かれる。 その一瞬の隙をついてハデスが顕現し、核爆弾を無効化する。 ハデスが顕現したらもう煉獄が閉じることはない。 後はこの街を拠点として、世界へ向けて破壊の限りを尽くしていき煉獄を拡大していく。 地球上を破壊し尽くす頃には、全てはアンダーワールドへと繋がり、ハデスの意思が遂に叶うだろう」
「随分派手なやり方だな?」
「ありがとう。 そう言ってもらえるとやり甲斐があるというものだね」
シエラは深呼吸をすると、ギラリとした目でこちらを見る。
「さて、話はこれで終わりだよ。 楽しんでもらえたかな?」
「全然」
「それは残念」
シエラは残念そうな顔をすると、ユウを見た。
「じゃあ倉本さん。 私と一緒に来てもらおう」
「は? やだ」
嫌悪感を露わにしてユウは拒否する。
「神の降臨という記念すべき日に無観客だと失礼だろ? 倉本さんには特別に、私と一緒にハデスの降臨を見届ける権利を与えてあげる。 これはとても光栄な事なんだよ」
「悪いけど辞退します!」
「続いて悪いけどその選択肢は倉本さんには与えられない。 何故なら、あなたが来なければここでクロウと一緒に死んでもらう」
「卑劣な!」
「ユウ……ここは従った方が良さそうだ」
私は小声でユウを説得する。
「でもクロウ……こいつが約束を守るなんて思えない」
「ここで二人とも殺されるよりは希望のある選択肢だ」
「クロウ……」
「大丈夫。 必ず何とかする」

「話はまとまったかな?」
シエラは不敵な笑みで私たちに聞く。
「わかった……付いていく。 その代わり、クロウは殺さないで」
「もちろん。 約束は守る――」
ユウがシエラの方へ歩く。 シエラは手を差し伸べるが、ユウはそれを無視する。
「今は、だけどね」
「え? どういうこと!」
「本当は今すぐにでも危険分子は排除したいところなんだけど、私には慈悲がある」
シエラはそこまで言うと私を見て――。
「クロウ、服を脱いで裸になれ」
そう言い放つ。
「ちょ、どういうこと!?」
「……」
「ハデスの降臨まで三時間弱……それまでこの極寒の中裸で耐える事ができたら解放してやる。 それまでに凍死したら、その時はご愁傷様」
「やめて! そんなの死んじゃうよ!」
「希望を聞いてあげられるほど私は優しくないし、出来なければ今すぐに死んでもらうだけだ。 どっちがいい?」
「ユウ、構わない。 シエラ、後悔するなよ」
「そういう強気なお前も好きだよ。 でも現在の気温はマイナス十度の極寒だ。 どこまで耐えられるかな?」
私は上着を脱ぎ捨て、ズボンを下ろした。
「下着も忘れてるよ」
「ひどい……」
私はシエラの言うとおり、下着も全て脱ぎ、文字通り丸裸になる。 寒風が、凍てついた脂粉が私の肌を突き刺す。 それはすぐに顔をしかめるほどの激痛となり、鼓動が高速で脈打つ。
「ふふふ、素敵な格好だね?」
馬鹿にしたようにシエラは私の姿を見て笑う。
「ねえやめてよ! こんなの死んじゃうよ!? お願いします! やめてください!」
「ユウ! 黙れ……!」
私はシエラに懇願するユウに叱咤した。
「こいつがこちらの言うことを聞くはずがない。 さっさと行け!」
「クロウ……」
「くっくっく! もう少し見ていたいけど、クロウの言う通りだ。 神の降臨に遅刻は許されないからね? 行こうか倉本さん」
「クロウ……死なないで!」
「いいから早く行け! 死なないから!」
体が震えて言葉もうまく出ない。 気が遠くなるのを何とか歯を食いしばって堪える。
「また生きてたら会おうね。 一応、死神を『護衛』として二人付かせてあげよう。 ハデスが降臨したらそいつらは消えるから、それまで話し相手にでもしてて?」
シエラは私を取り囲む二人の死神へ向けて言う。
「半径三メートル以内には近づくなよ。 何かおかしなマネをしたら殺して構わない」
そう言うと、二人の死神は頷いた。 シエラたちは元来た道を戻っていく。 ユウもそれに続きながら、心配そうに私の方を何度も振り返った。
 やがて周りの二十人弱いた死神たちも消える。 残ったのは私と、監視役の死神二人だけだとなった。




    ※

聞こえてる?
『ええ、聞こえていますよ』
これでいいかな? 私の演技はどうだった?
『人の心を無くしたあなたにとってはとても素晴らしい演技でした』
そう。 それはよかった。
『それとも』
ん?
『彼と交わったから、思い出したんでしょうか。 いつか置いてきた、人の心を』
いや、私は既に死んでいる。
『いえ、あなたは生きていますよ』
そういう事じゃない。 心がって意味。 ほんと、神のくせに一から説明しないとわからないんだね。
『ごめんなさい。 でも私にも分からない事がもう一つあります』
なんだい?
『何故彼女を殺さないのですか? タナトスの代理人である彼女を今殺してしまえば、タナトスからの脅威のリスクも減る。 何故です』
あなたに説明しても分からないと思うけど……あれは私なんだ。
『わたし?』
そう、私。 遠い昔に置いてきた私。 そして同時に、私が欲しかった存在。 今は一つになったけど、それでも時々それはもう消えて無くなってるんじゃないかって思う。 どっちが無くなったかは、もはやわからないけど。 だからこそとても懐かしい。 あの顔を見ると。
『確かに……似ていますね。 昔のあなたに……いや、彼でしょうか?』
もしかしたら、どっちも消えてるのかもしれない。 だからこう思うんだ。
『はい』
あいつに、殺してもらいたいって。
『それは許しません。 後少しで煉獄への道が開かれる。 長い時間を掛けました。 今あなたの意思で全てを投げ出すのは許しません』
そうだよね。
『安心してください。 約束しましたよね? この件が終わった時、あなたの全てを終わらせると。 もうじきそれは訪れる。 あなたの望みが叶う時です』
ええ。 期待してるよ。 ハデス。
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