第15話 『偽りのタナトス』

文字数 6,897文字

「クロウ……翔……」

暴風が吹き、私の体温が奪われていく。 さっきから意識も朦朧としており視界もよく見えない。 下の方でチェーンソーの音や叫び声がしたが、二人とも大丈夫だろうか?
翔に会いたい。 クロウに会いたい。 会えないまま死ぬのかな? それは悲しいな。
「会いたい……会いたい……」
呪文のように私は呟く。 もうそれを言うしか私には力が残されていないのか?
 ユウ。 風が冷たいという感覚も薄れていく中、私は確かに聞いた。
ユウ! 私を呼ぶ声。 この声は何度も聞いた事がある。 忘れる事なんかできない。
「ユウ! しっかりしろ! 目を開けろ!」
翔の、声だ。 目を開けると、目の前に翔が居た。
「ユウ! よかった! ほら、今外してやるからな! そこに倒れてる奴が持ってた!」
そう言うと、翔は私の手錠の鍵を外してくれた。 そして私を抱きしめてくれた。
「翔……会いたかった……」
「ユウ、ごめんな。 待たせて悪い」
「ううん。 いいの……こうして会えた……それに、私の方こそ、沢山たくさん謝らないといけない事があるの」
「何を謝る事があるっていうんだ」
「私があの時横断歩道で止まったりなんかしなければ……あの時車に気づいていたら、翔は死なずに済んだ……!」
「ユウ、お前のせいじゃない。 どちらかというと、俺がしっかり手を握って連れていけば良かったんだ。 俺のせいだ」
「そんな事ない! あれは私の――」
「ああ、じゃあお前のせいだ」
「え?」
「お前のせいで俺は死んだ。 だから死にたくなったろ?」
「うん……死にたい」
「じゃ、生きてくれ」
「……え?」
「俺の分まで、生きてくれ。 それが本当はお前のせいなんかじゃないのに自分を責めるお前にとっての一生をかけての罪滅ぼしだ」
「翔……やだよ、私も翔のところに行きたいよ」
「ユウ。 俺の本当の願い、聞いてくれるか?」
「なに?」
「俺はなユウ。 お前に人生の楽しさってやつを教えたかった。 でも俺はそれをお前に叶えてやる前に死んじまった。 だから悔しい。 後悔してる」
「翔、私が学園に行くって言ったら凄く喜んでくれたもんね」
「ああ、これでやっとって時だったからめちゃくちゃ未練があるわけだ。 だからユウ。お前死んじゃったらさ、俺はもっと悔しいんだわ。 助けてやりたかったのに死んじまったらさ、俺がした事無駄だったのかよってな? だから、せめて命を満喫してほしい。 今生きてる事に感謝して、精一杯死んじまった奴の分まで……生きてほしい。 精一杯生きたらさ、俺も何も文句はねえし、気持ちよくお前にお疲れ様って言ってあげられる。 だから、生きてくれ。 俺はずっとお前を待ってるし、ずっと見守ってるから」
「翔……でも私、神の血液のせいでもうじき死んじゃう。 どっちみち私は死ぬんだよ」
「大事なのは時間じゃないんだ。 お前が生きる意志を持ったかどうかが重要。 悲しいまま死ぬなんて、お前らしくない。 死ぬ時はせめて、お前らしくあってほしいんだ」
「私……らしく?」
「うん。 お前らしく」
私は赤いタワーの上空を制するハデスを見る。
「私にできるかな。 私らしく」
「ああ、できるさ。 だって、お前はもう気づいてるんだ。 本当の命の意味を」
「命の……意味」


    ※

脂粉吹き荒ぶホワイトアウトの中、私は奴の姿を探す。 チェーンソーのモーター音が脂粉に反響し、音を頼りにした位置特定が上手くできない。
「くそ」
唯一頼りになるのは奴が腕から流して地面に垂らした血痕だった。 私は慎重にその血痕を辿っていく。 周りから響いてくるモーター音とは別に、大きな音源が近づいてくるのも確かに感じる。 あと少し……あと少し……あと少し……。
「ひゃああっはぁああああ!」
叫びながらシエラは私へチェーンソーの刃を振りかざしてきた。 私はすんでの所でシエラの一撃を避け、持っているマチェーテで奴の肩を切り裂く。
「ぐぅあ!」
切り裂いたあと、再び奴は白い世界へと消えていく。 なるほど……鬼ごっこか。 良いだろう。 これは死の鬼ごっこ。 捕まった方が死ぬ。 なんというスリルだ。 私の血流は急激に勢いを増していき、あらゆる五感が研ぎ澄まされる。 私もホワイトアウトの中、探索の速度を上げて走り回る。 白い世界だから他に映る景色もない。 あるものは私への殺意を向けた異形の存在だけ。 そして再び音源が近くに迫ってくる感覚。 それはさっきよりも短い間隔で徐々に大きさを増していく! さあ……来い。
それは私の後ろから突然聴こえてくる。 すぐさまマチェーテを後ろへ一振りする。
「うッ!」
見るとマチェーテはシエラの顔を掠めていた。
「フフフ! やるねクロウ! さすが! 私を殺せる!?」
「無駄口叩くな、死ぬぞ」
シエラの額から血が滴る。 ホワイトアウトは薄れていき、視界がクリアになる。 私とシエラは一進一退の攻防をしながら、間合いを維持しながら戦う。
チェーンソーの刃が何せ邪魔だ。 あれを回避して奴の死角の中に入らないと……。
「コイツが怖いか、ん?」
シエラはチェーンソーを掲げると刃を横にする。
「だったらやるよ!」
それは予想外の行動だった。 シエラはチェーンソーを本体ごと投げてきたのだ。 目前にチェーンソーの本体が回転しながら接近する。 私は屈んでそれを避けるが、その時には奴の策略にハマってしまった事を痛感する。 気づいた時にはシエラは私の間合いの中に接近してきており、手にはナイフが握られていた。 チェーンソーを持っていた時より動きが俊敏で、私はその迫るナイフを避けきれなかった。
「ぐあッ!?」
腹部にナイフの先端がめり込む……! 痛みと熱さが腹部を支配する。 私は片手でシエラのナイフを持った腕を掴むと、もう片方のマチェーテを持った手でシエラの頭をマチェーテの柄の部分で殴打する! 何回も何回も、何回も! そしてようやくナイフごとシエラは私から離れた。
「ぐぐっ!」
シエラは頭を押さえてうずくまる。 私も、刺された腹部が異常な痛みを発して動けないでいる。 ダメだ動け、相手より早く……! 相手より早く……! 痛みに制御されるな! 地面に付いた膝を徐々に持ち上げ、前に出していく。 私は足に力を入れ、シエラへ突進していく。 マチェーテを振り上げ、一気にシエラの頭上へと振り下ろす!
「がはッ!」
マチェーテの刃先がシエラの頭から下の顔へ向けて振り下ろされ、直撃する。 切断には至らなかったが、シエラの頭はパッカリと割れて血が顔へ滴たり、シルバーブロンドの髪が真っ赤に染まる。 間髪入れずに第二撃を食らわせようとした瞬間、シエラは懐から何かを取り出した。 それが拳銃である事を認識するのにそう時間は掛からなかった。 私は一気に間合いを詰めよううとしたが、シエラの発砲の方が早かった!
 パン! パン! 銃撃は二発連続で行われ、二発とも私に命中する。 右手右肩に弾丸がめり込んで貫通した。 持っていたマチェーテも後方に吹っ飛んでいく。 私は怯まずに左手で拳を作り、シエラへ向けてデタラメに渾身の力を込めて繰り出す。 渾身の拳はシエラの左腕に当たり、持っていた銃を叩き落とす。
そのまま顔面へ拳をめり込ませ、シエラが怯んだ所でもう一度蹴りを繰り出すが、それは避けられてしまう。 その隙を突かれ、私はシエラのタックルをまともに食らい地面に倒される。 馬乗りになり、シエラは私の顔を目掛けて肘を繰り出す。 視界が一瞬にして暗転し、星がチカチカと明滅する。
その後拳で何度も、何度も、顔面を殴られるが、私の右腕はもう完全に使い物にならなかったのでうまくガードする事が出来ない。 私はガードをやめ、左手でシエラのネクタイを探り掴む。 それをぐいっと私の額に引き寄せ顎へと頭突きをお見舞いする。
「ぐぇッ!」
激突! シエラはそのまま後ろへ吹っ飛んだ。 私は体勢を立て直し、そのまま突進していき奴の顔面へ左手の拳を繰り出す!


「は……はあ……は……クロウ、やっぱあんた……最高。 最高で、最悪。 結局私を解放してくれるのはお前だったわけだ」
「それはどうも……これでお前の目論見は全て失敗に終わるな……」
シエラはもう体を動かせず、息も絶え絶えだった。 切断された腕や割れた頭からの出血の量も酷い。 じきに心停止するはずだ。
「そうだね……でも、私の真の願いは果たされる。 私はこのままブラックアウトする。 ハデスからすでに審判を下されている。 私がハデスに協力していたのはそれが理由」
「……なぜブラックアウトを?」
「ふ……フフフ。 その答えは私と一緒にブラックアウトさせるよ」
シエラは笑う。 もう、何もこの世に未練が無いかのように。  そして、上空で翼を広げるハデスを悲しい顔で見る。
「ごめんね……ハデス。 君の創造する世界はとても魅力的だったけど、少なくとも私は最後まで最悪な世界だと思ってたよ。 終わりなき世界なんて地獄と変わらない。 そうだろう? クロウ?」
突然同意を求められ私は困惑する。 元はと言えばシエラが引き起こした問題ではないか。 なぜ今更それを否定して私に同意を求めてくるのだ?
「私はこの先の世界を見ない。 そして私という存在も消える。 ようやくこの地獄から解放され、ようやく真の安息が私を包み込んでくれる。 ああ……優しい暗闇が、私を抱擁してくれる……」
シエラは目を閉じる。 その顔はとても安らかだ。
「ありがとう、クロウ……ありがとう……」
シエラは、それ以上言葉を発しなくなった。 私はシエラの脈を取る。 ああ……言わずとも分かる。 彼女は死んだ。
上空のハデスから咆哮をあげる。 街中を断末魔の叫びがこだまする。 翼は灰色に変わり、羽根の一部が千切れていき、やがて音を立てて崩壊していく。 ハデスもまた、死を迎えた。
「はあ……」
私はヘリパッドの方へ歩いていき、膝をつく。 もう、体も限界だ。
『コリー』
タナトスが、私に語りかけてくる。
『よくやったね、コリー。 これでハデスは死んだ』
「ああ……」
私は目を瞑る。
「タナト。 この街の煉獄は? 辺獄は?」
『全ては現界(リアルワールド)へと戻った。 街の死神の痕跡も一斉に消えた。 もうハデスの死神たちに脅かされる事もない』
「そうか……良かった……シエラの残留思念は?」
『魂すらも完全に消えている。 ブラックアウトを果たしたのかもしれない』
「そうか……」
私は目を開く。
「タナト……私にはまだやらなければいけない事がある」
『分かってる。 でも君は本当にそれで良いのかい?』
「ああ、もう決めた事だ。 それより、タナトはいいの?」
『僕は大丈夫。 冥界(アンダーワールド)の支配権もラダマンテュスたちに託した』
「自ら死を選ぶとはさすがタナトス。 神がそれでいいの?」
『僕も疲れ果てていた所だ。 そろそろ次の世代に託しても良いと思う。 ほんと、シエラの言う通り、終わりのない世界は地獄と変わらないからね。 もしも立場や時代が違えば、僕がハデスのようになっていたかもしれない。 何にせよ命の循環は必要なものだと今回の件ではっきり思ったよ。 それを教えてくれただけでも、君には感謝してる』
「そうか……なら、問題ないな」
私は空を見上げる。 脂粉も雪も舞っていない。 空は赤黒い夕焼けを映している。
「シエラさん……!」
後ろで絶望の叫び声が聞こえる。 見るとシエラと一緒に居た和美という男がもはや息のないシエラの傍で呼びかけていた。
「こちら霊視課の宮坂だ! 捜査官シエラが意識不明! 脈がない! 失血による――」
和美はどこかに電話している。 もう、手遅れだ。 だがそれを教えてやれるほど私の力はもう無いようだ。 私は視線を再び空へと移す。 綺麗な空。
「クロウ……!」
私を呼ぶ声。 ユウだった。
「ユウ」
「良かった……無事で……」
ユウは私に力無く抱きついてきた。 しかし彼女の力はそれ以上続かないらしく、ぐったりと私に寄りかかってくる。 私はしっかりと左腕で彼女の体を支える。
「翔には会えたか?」
ユウはこくりと頷く。
「……クロウのおかげだよ。 ありがとう」
「翔は、今どこに?」
「……お空に……登っていったよ……」
「そうか……」
「ねえクロウ……」
「なんだ?」
「前、私に打った神の血に血清みたいなのがあるって聞いてきたよね……?」
ユウの声は今にも消え入りそうなほどか細くなっていた。 神の血の効果だ。 もう体も自由に動かせないだろう。
「もしその血清みたいなのがあるって言ったら……ううん。 私、生きたいって言ったら……その血清を打ってくれる?」
「ユウ……ごめん。 私もそんな血清があるなら今すぐにでもお前に打ってた。 でも、あの話は例え話で、そんな血清なんてないんだ」
ユウは瞳を閉じたまま笑う。
「そっか……そうだよね。 今さら生きたい……なんて、虫が良すぎるよね……」
「……」
「良いの、翔と約束したんだ。 死にたいって思いながら死ぬのやめようって……せめて自分は生きたかったんだって思って死のうって。 絶望のまま死ぬのなんて、私の死に方じゃない。 最後くらいは、私は幸せだって思いながら終わりたいって」
「ユウ……」
「ごめんねクロウ……できればもう少しあなたと居たかったけど、先に逝くよ。 あと、一つだけお願いがあるんだけど聞いてくれるかな?」
「なに?」
「出来たらで良いから、私のお父さんとお母さんに、伝えてほしいんだ。 親より先に行くけどごめんねって。 天国で翔と一緒に見守ってますって……伝えてほしいんだ」
私はユウの唇へそっと自分の唇を重ねる。 長い時間重ねた。
どれだけ経ったか。 私は顔をユウから離すとひとこと言った。
「嫌だね、伝えたいことがあるなら自分で伝えろよ。 私はごめんだ」
「え……」
私はユウをゆっくりと寝かせると、立ち上がる。
「悪いけどユウ……お前より先に逝かせてもらうのは私だ。 お前はもっと後から来い」
「どういう――」
「一つだけ、お前を助ける方法がある。 神の血は、神が死ぬか死神使いが死ななければ効果が切れる事はない。 事実、あのシエラが死んだ時、この街は元に戻った。 なら私が死ねば同様にお前の中にある神の血の効果も切れるわけだ」
「それって――」
「今から私は死ぬ。 だからこれでお別れだ。 ユウ」
 ユウは頑張って目を開ける。
「ク……クロウ……そんなの……だめ……」
ズボンの裾を掴むユウ。 しかし私はそれを振り解き、夕陽の照らされるヘリパッドの外周へと向かう。
「だめ……だめ……! クロウ……!」
 
 ……私はビルの淵に立ち、タバコを取り出して火をつける。 街全体を見渡す。 夕陽に照らされた街。 全てが美しく感じる。

私はタバコをゆっくりと吸う……そしてゆっくりと煙を吐く。 煙と共に、ここ数日の出来事がまるで走馬灯のように思い起こされる。 もうタバコを吸ってもうるさく言ってくる奴はいない。 それも少し寂しく感じる。 どうやらここ数日の内に、私は翔の精神に限りなく同調してしまったようだ。 私がこんな行動に出ているのもきっとそれが原因だろう。 でも良いんだ。 これで。 私は生きていてはいけない存在。 この世界は人の世界。 神が介入してはいけない。 私は既に死んでいるのだ。 もう良いだろう。
 私はさっき回収した自分の銃を握る。 安全装置が外れているのを確かめ、銃口を額に突きつけてみる。 ああ、簡単じゃないか。 これで後は引き金を引くだけだ。
ああ……簡単かんたん。 撃てる。 死ねる。 簡単に死ねる。 指の動き一本でその命を終わらせる事ができる。 

私はその引き金を……引――。
――簡単じゃない! 何も簡単じゃない! 死にたくない! 助かりたい! 生きていたい! もっともっとこれから新しく移り変わっていく世界を見ていきたい! せっかく復讐を果たした! ハデスを、シエラを殺せた! なのにどうして私は死ななくてはいけない!? 嫌だ……嫌だ……死にたくないよ……。 人に殺される奴は沢山見た! 私も大勢殺した! でも自分で死ぬ奴なんて見た事がない! 自分がそれをする事になるなんて……想像もしてなかった! どうして私が!?
 
……。

ああ、分かってる。 私の中で本当の私が抵抗してるんだ。 だから辛いんだ。
きっと時間が経てばユウを助けたいなんて感情も無くなるだろう。
でも、今の私はそれを拒否する。 ユウに死んでほしくない。 私の死でユウが助かるなら……私は死ねる。
 私はタバコを消すと、銃の持ち方を変え、銃口を口に咥える。
 体を前進させ、もうちょっとでビルの淵から落ちる所まで行く。 
 夕陽を見る。 最期の夕陽。 最期の街の景色。 
 死にたくない。 でも死ねる。 私は死ねる。
ユウ……生きて。 私の……私たちの分まで……生きて。 ユウ……今、助けてあげるからね……。 今すぐ……。 もう大丈夫だから……。
私は体を前に、倒す。  世界が落ちていく。 そして左手で構えた銃の引き金を……渾身の力を込めて……!
 




 引く――。
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