第1話 うどんの湯気

文字数 499文字

憂いが簡単に忘れられる。もしそんなものがあるのなら、誰しも試したいところだろう。しかし、意外な処に転がっている。それに平生気がつかないだけで。

 それは、勤め人なら誰しも立ち寄った事がある駅のうどん屋だ。冬のことに雨が降って底冷えのする夜、うどん屋に立ち寄って湯気の立つうどんを啜っている時は、浮世の憂いを忘れている。

 天気は、晴れやかで温暖な昼よりも曇天か雨、底冷えのするような冬場の夜にこそ、このうどんパワーが顕著だ。うどんの暖かさが、天気と対比されるからだ。

 図々しくもこれに小鉢の天丼やカツ丼を付けるのも悪くないが、何か邪道な感じもする。やはり、うどんのどんぶり一杯で勝負したい。気一本な人は、カケなんではなかろうか。

 カウンターでこちらを見守るオヤジは寡黙であって欲しい。饒舌であっては、こちらのうどんに対する集中力が邪魔されるからだ。こちらが食べ終えた時、「ありがとうございます」と一礼するだけの人がよい。

 人生は苦海であり、三界に家なしとも言われる。しかし、一杯のうどんを前にするとき、その湯気の向こうに刹那の棲家を見つけるのは、果たして私だけであろうか。
 
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