第3話 ワクチン

文字数 855文字

枠珍

 人は、目には見えない枠の中で生きている。それは、サッカーゴールのゴールマウスの中にシュートを入れれば褒められ、外せばダメな奴だと世間から批判されるようなものである。

 サッカーは、ピッチに出るのが15人と決まっているが、何人たりとも人生というピッチから逃れることはできない。

 この枠には色々な種類がある。家庭では、夫の枠、嫁の枠、子供の枠など、もし夫が仕事が終わった後、嫁以外の女と宜しくしていれば、「あっ、あいつ不倫している」と枠をはずしていることになる。

 これが職業となると少々厄介というか、例えるのがサッカーではなく野球に近いものがある。

 例えば、中国には極小数だが人権だの民主化だのと叫ぶ人達がいる。これらの人達は、一党独裁の大陸にあっては政権の敵であり、「枠珍」な人々であるので、労教所に収容される。

 しかし、これらの人達は外の自由社会から見たら、スタジアムの外に場外ホームランを打っているようなもので真に賞賛されるべき中国人なのである。

 中国の枠珍な人々には、色々な人々がいる。人権弁護士、民主派、東トルキスタン、モンゴル、チベット、法輪功、ご丁寧にSARSなどの猛毒ウイルスをいち早く発見して警鐘を鳴らした医師などがいる。

 日本だってかつてはそうだった。戦前の軍部が苛烈であった為に、様々な枠珍な人々が生じ、それらの人々の多くが獄中で亡くなった。

 「修身に ない孝行で 淫売婦」で知られる鶴彬、蟹工船で知られる小林多喜二、国家神道に歯向かったPL教団や大元教の教祖たち、枚挙にいとまもない。

 しかし歴史の転換点に於いては、朝代が変われば世間も変わるというように、刑務所の中と外とが入れ替わる時がある。

 即ち、政権中枢にいた人々が刑務所の中に入り、刑務所の中にいて「コンチキショー」とくすぶっていた人々が今度は外に出て大手を振って歩けるようになるのである。

 中国も刑務所の中と外とが入れ替わり、枠珍な人々が主役になれば、きっといい国になるに違いない。戦後の日本がかつてそうだったように。


 
 

 

 
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