第6話 恥を知る

文字数 956文字

 「ハジを知れっ!」、ワタシが幼少期の頃に一番記憶に残っている精神教育がこれである。三つ子の魂は百まで、というから多分は墓場までこの教えを後生大事に胸に抱いていくに違いない。
 
 ワタシは、1960年代の生まれだから世代的には今の若者達と隔絶しているようにも思えるが、何しろこの「恥を知れ」というのは、たぶんは武家に根差しているのだろうから、源平時代以来すなわち平安末期の動乱以来という筋金入りなのである。

 この恥を知れという教育を受けた者、日本人は社会のある一定の枠、規範に外れた行為をすると自動的に「恥ずかしい」というメンタリティーを持つようになる。

 武家であると、敗戦の結果として敵将に首をあげられることは恥ずかしいことであり、その責任をとって切腹。これは、現代においては企業のトップが経営責任をとって辞任する一種の日本社会の自浄作用でもあった。

 しかし、ワタシは最近ハジというものがこれだけのものではないような気がしてきた。ハジというものは、「恥」であると同時に「端」でもあるんじゃないの、というものだ。
 
 戦国時代の名将は、天守閣に居て必ず国境の安否を確認したという。これも端。また、天下人の信長は、足軽の藤吉郎を見出し抜擢しこれを継がせた。オセロは、端をとれば有利である。将棋も端に玉を囲う穴熊が最も堅い、野球は強力な先発と抑えがいれば負けない。サッカーは、ドーハの悲劇のようにコーナーキックからのセットプレーが...云々枚挙に事欠かない。

 プロ野球でも、各チームのエースと四番はマスコミの脚光を浴びるが、長くチームの中心で活躍する人ほど、バッティングピッチャーや用具係の人を気遣う人だそうである。誠に、日本人の王者はこのように上下といより、むしろ横から端、端に目が行く人が多い。

 先般、ワタシはコロナ被害の中、会社に出勤した。電車の中は、人がまばらである。皆、マスクをしているが、わたしはウッカリして自宅に忘れて来てしまった。ワタシは、ワタシだけしていないことが「恥ずかしい」と思った。そして、よく見るとまばらな乗客が全員端に座っていた。マスクをして、しかも心地良さそうに。

 ハジは、日本人を形成する基本的な精神「恥」であり、また同時に勝運を左右する目に見える身近な神としての「端」のようにも思える。
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