第15話

文字数 1,902文字

 莉音はジャングルジムに登り夢中で遊んで居たが、ふと壁と天井の境目辺りを見上げて動きが止まった。そのまま真顔でジッと見ている。
「莉音ちゃん?」
亮平の声に莉音は答えない。詩織も二人の様子が気になって側に来た。
 莉音は泣きべその顔しながら誰かと話してる様に見える。
「莉音お父さんとお母さん大好きだもん。お父さんとお母さんと一緒に居たい!」
泣きながら必死に何かを拒んで居る。
「莉音ちゃん?莉音ちゃん?」
亮平と詩織は不安に駆られ莉音の手を握って声を掛けたが、莉音は泣きべそをかいて見上げたままだった。
 二人は様子を見ながら莉音に何度か声を掛けた。
「莉音ちゃん?」
 莉音は二人の言葉が耳に入らない様で、まだ見えない誰かと話している。
「嫌だよ。お父さんとお母さんが良い! 」
亮平と詩織は何が起こっているか分からないが、莉音が何処かに行ってしまうのではと嫌な予感が過ぎつた。自分達の娘が居なくなるとは考えたくない。しかし莉音の嘘をつけない様子を見るとその時が迫っている様にしか見えなかった。
 何十分経過しただろう。やがて莉音は納得せざるを得なくなった様子で涙を拭いた。一生懸命笑顔を作って話し出した。
「お父さんお母さん、神様がね『莉音はもう天国に行くんだよ』って言ったの」
「えっ?天国? 」
亮平と詩織は嫌な予感が当たっていた事に愕然とした。
「莉音はね、天国に直ぐに行く筈だったんだって。でもね、天国行く前に少しだけお父さんとお母さんと仲良しして良いよって神様が言ったの。でも莉音は幼稚園に行けないし学校も行けないから、お父さんとお母さんにバイバイして天国行くんだって。」
「天国に行くんだ…」
詩織は『行っちゃう』と言うと莉音に未練が残って天国に行けなくり彷徨ってしまうのでは…と感じて『行くんだ』と敢えて言った。
「うん。天国に行けるのは良い事だから、お父さんお母さんに『悲しいよ行きたくないって言っちゃダメ。会えて良かった、ありがとう』だよって神様が言ったの。お父さんとお母さんは莉音の笑った顔が好きだから、笑ってバイバイって」
亮平と詩織は心の中で『神様はずるい…。大切な我が子とのサヨナラを突然突き付けて、笑顔を必死に作る様に迫るなんて…』と思った。しかし莉音が彷徨う事なく天国に行って欲しい事は事実だ。それに離れ離れになる時が事前に分かって居たら最後まで笑顔では居られなかっただろう。莉音がこの家に来た事が奇跡なのだから、もう高望みをしてはいけないのかも知れない。しかし身体の一部をもぎ取られる思いだ。涙を飲み込み二人は笑顔を作った。そして詩織は言った。
「莉音ちゃん、神様にひとつだけお願い聞いてもらえるかお話してみてくれる?莉音ちゃんと写真撮りたいな…」
「うん」
莉音はまた壁と天井の境目を見つめた。
「一枚だけ良いよって」
「そう!ありがとうって神様に伝えてくれる? 」
と言うと詩織はスマホを持って来て、莉音の小さな顔を亮平とで挟む様に顔を三つ並べた。
「笑ってー」
シャッター音が鳴った。三人の笑顔がスマホに幸せそうに収まった。やっと初めて莉音の写真が撮れた。
「莉音ちゃん、この写真大切にするね。来てくれてありがとう。幸せだったよ」
詩織が莉音を抱きしめた。
「お母さん大好き。莉音も幸せ! 」
「お父さんも幸せだよ」
三人で抱き合った。莉音が安心した顔で笑っている。
「あのね、莉音は天国行くけど七葉ちゃんがもうすぐ此処に来るからねって神様が言ってたよ。莉音は健吾くんと仲良しするの。一緒にお父さんとお母さんを見ようねって約束したんだよ」
と言いながら姿が薄くなり、莉音の身体を透かしてジャングルジムが見えて来た。
「莉音ちゃん!莉音ちゃん!」
 愛くるしい笑顔のまま莉音はスッと空気の中に溶け込む様に消えた。
 ジャングルジムを前に亮平と詩織は空虚な思いを抱えて立ち尽くした。別れが来る事等考えもせずに只々莉音の居る生活に大きな幸せを感じていた。莉音を喜ばせる事が二人の喜びだった。莉音の成長を心から願った日々だった。
「…莉音ちゃんのチンアナゴのポーズ…可愛かったね…」
ポツリと詩織が言った。
「うん。美味しいもの食べる時のホッペを押さえるのとか…」
莉音の愛らしさに溢れたこの家は、虚しさに満ちた。
 莉音が愛しかった分、ジャングルジムも洗濯されて干してある莉音の服も、まだ手付かずの三人分の夕飯も胸を締め付ける物だった。
 詩織は莉音の小さな箸を握り締めて声無く涙を溢れさせた。詩織の震える背中を亮平は抱きしめた。亮平は詩織の後頭部に頬を当てた。涙を堪える事ができず、亮平の涙がポタポタと溢れた。その涙は詩織の髪とブラウスの襟を濡らした。
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