第9話

文字数 3,708文字

 莉音は遥香と、はしゃいで遊んだ。キャッキャッと楽しそうな声が家中に響く。
 莉音が遊び疲れた頃を見計らい、遥香が一緒に歯磨きをしてパジャマに着替えさせた。
 寝室に連れて行くとベッドに入った莉音は
「遥香お姉ちゃん、明日も一緒に遊べるのよね」と、眠そうに目を擦りながら聞いた。
「そうよ。いっぱい遊ぶからね」
と言う遥香の顔を見て、莉音はワクワクした様子で笑顔を見せた。遥香は即席の昔話をして寝かしつけた。
数分後、莉音は寝息を立て始めた。遥香も莉音が寝付いたのを確認した後、リビングに戻った。リビングでは詩織がソファで横たわって居た。
遥香は
「本当、幽霊なんて嘘みたい。普通に生きてる子供よね」
と莉音の事を話した。
「そうなの幽霊なのを忘れて、普通に我が子なのよ」
遥香と詩織はクスッと笑った。
「お兄ちゃん電話で、詩織さんが熱出てるって言ってくれたら薬持って来たのに、本当抜けてるよね。ちょっと持って来るから待っててくれる? 」
「遥香ちゃんありがとう。明日病院休みだから助かるわ」
遥香は車の鍵を手に取った。
「お姉さん横になってて。水分摂ってね」
と足速に向かった。
 二十分程して遥香は薬を待って戻ってきた。
「お姉さん、これ抗生物質、これ炎症止め、一日三回ね」
「ありがとう、さっきリンゴ食べたし早速飲むね」
口に薬を放り込み、水を飲んだ。そのコップを置きながら詩織は言った。
「ねぇ遥香ちゃん」
「何? 」
「莉音ちゃん、本当のお母さんの事恋しくなったりしないかな?色々あったにせよ母親を恋しくなっても不思議ではないと思うの。母親に会いたいって泣いても仕方ないじゃない?本当に良い子でしょ。
ワガママ言っても不思議ではないのに言わないのよ。ワガママ言ったら捨てられないか怖かったのかな…と時々感じるの」
詩織がずっと思ってた事を初めて言葉にしてみた。
「うん…。お姉さんテレビの莉音ちゃんのニュース見てないでしょ」
「うん。チラッと見たけどあまりに辛くて見てない。一度見た時、お風呂場から漏れて来た声を聞いたおばさんのコメント聞いたけどね、『ウチの子になんて事するの⁉︎と思って悔しくて』
「本当、我が子になってるよね〜。
私あまりよく分からないけど、莉音ちゃんのニュースを見て日本中の多くの人が、お姉さんたちと同じ様に『ウチに生まれて来れば良かったのに』って思ったはずなのよ。でも莉音ちゃんは、その沢山の人の中からお兄ちゃんとお姉さんを選んだのかな?って思って。本当の親からも愛されたかったとは思うけど、幼いながらにそれは無理な事と分かったのかな?って思ったのよ』
詩織は涙を浮かべて
「莉音ちゃんが選んでくれたんだ…。嬉しいわ。もう莉音ちゃんは大切な娘だもの。私達は莉音ちゃんを失う事を考えられないのよ」
「うん…」
詩織の優しい涙声に遥香は只頷いた。そして詩織は更に生活の中で思って居た事を話した。
「後ね、テレビで子供向けの番組やってるけど、お母さんとかお父さんが出て来る場面あるじゃない?それを見て莉音ちゃんが辛くならないかとか思って、ついお母さん系の物とか避けてチョイスした録画を見せちゃうの。歌も『ゾウさん』はお母さんが出て来るでしょ?だからチューリップとか、森のクマさんとか歌ったりしてしまうのよね』
「なるほどね。前の家思い出したら辛いだろうしね。でも、そう言う歌を問題なく取り入れられる時も来ると思うよ」
「うん、そうね!莉音のアザが大分減ったら、そうなりそう」
 二人は子育てについて思いの丈を話した。

 次の日、遥香は莉音を連れてドライブに行った。
「お母さん行って来まーす! 」
莉音の嬉しそうな声が玄関に響く。
「行ってらっしゃい。楽しんで来てね」
詩織が手を振ると、麦わら帽子が似合う笑顔で
「お母さんネンネしててね! 」
と小さな手を振って遥香の車に駆け寄った。
 詩織は皆んなが出かけた後、遥香と話をしていた事を思い出し、テレビでワイドショーを見た。
 最近、逮捕された莉音の実の両親である野中誠一とひとみが供述を始めて話題になっている様だった。
 ひとみは18歳の時に妊娠に気付いたそうだ。その頃は金が無く受診も中絶も出来ず、そのまま一度も病院にも行かずに自宅で出産したと説明されていた。
 出産して間も無くは母乳を飲んでくれるのが可愛いと思って居た。
 だが昔からの友達に飲みに誘われた時に莉音を連れて行くと莉音が泣いたり母乳を欲しがったりする事から疎外感を感じて居た。
 夫も飲み歩いたりする事も多く、結局莉音を家に一人置いたまま『親に預けている』と仲間に嘘を言って頻回に出歩いて居た。
 二日酔いで頭がガンガンしている時に莉音の鳴き声は煩わしいとしか思わなかった。
 親で居る事よりも、自分の楽しみの方が優先になった。
 ある日ひとみが飲み会の時にと買って来た服を、乳児の莉音がかじって遊んでいた。それを見て、ひとみは衝動的に莉音の顔を平手で殴った。
 叩かれて泣いて居る莉音が煩いと更に苛立ちを募らせて、空の浴槽に莉音を入れて蓋をした。
 それから莉音の罰される場所の一つが風呂場になった。
 誠一は、莉音が生まれても父親と言う実感が湧かず、莉音は生活の支障と捉えた。
 子育ては全てひとみに任せて、パチンコや飲みに出掛けてばかりだった。
 ひとみが放って置いて居るのを見て、赤ん坊って割りかし大丈夫な物だと感じて居た様だった。
 パチンコて負けるとイライラし莉音を叩く様になった。
 莉音は1歳半になると、泣いたらもっと酷い目に遭うと察する様になり、叩かれても泣かなくなった。只身を構える様にして叩かれるのが終わるのを待った。
 誠一もひとみも、コンビニ弁当で食事を賄って居た。莉音には 余った物だけ食べさせて居たが、時に余らない事もあった。その時は莉音の食べる分は無かった。
 誠一は莉音に食べさせるのは、お金が勿体ないから極力与えなかった。しかし莉音が死んだら今受けて居る生活保護の支給額が減るから、死なない程度に食べさせて居た。
 ひとみは。莉音が食べる時に溢す事が嫌だった。片付ける仕事が増えるからだ。莉音が溢すとフライ返しで『ごめんなさい』と謝る莉音を叩いた。そうすると莉音の食事は中止となり、ひとみの怒りが収まって殴られなくなるのを莉音は待った。
 それでも空腹に耐えきれず、莉音が冷蔵庫から誠一とひとみのジュースを飲んでしまう事があった。
 そんな時は残り湯の入った浴槽に沈められて、十数秒後に水から出されて…と繰り返された。
 時に誠一とひとみの暴力で、莉音か怪我をする事もあったが、治療された痕跡は無かった。骨にヒビが入って居たが、自然に治った痕もあった。
 背中の火傷は、莉音が空腹で冷蔵庫を開けようとしたのを見た誠一が『何してるんだ!』と怒鳴り莉音を払い除けた所、ガスコンロで沸かしていたヤカンがひっくり返り莉音の背中に落ちた時にお湯が莉音に掛かった物だった。 
 莉音の寝床は布団が無く床だったか、火傷を負った後も床で横たわって居た。
 
 そんな内容の報道を見て居て詩織は
「こんなに小さいのに怖かっただろうに…。顔色見て居なければいけなかったんだ…。
 愛情与えた話は、ひとみが母乳をあげた話だけ。
 こんなに可愛いのに。話も上手に出来るのに。痛かったね。パパとママがご飯を食べているの見てお腹空かせて我慢したね。沢山楽しい思いしたかったね。パパとママと仲良しで居れたら良かったね。
 ……でも…だから今、私達の元に莉音は来てくれたのよね…。来てくれたのは嬉しいけど…、喜んで良いのか分からない。莉音ちゃんには、いつでも幸せで居て欲しかった。生きている時も…。だったとしたら…きっと実の両親の元でスクスク育ってたはず…」
 莉音の苦痛を思うと身を切られる思いだった。しかし今の莉音との暮らしの喜びは、奇しくも莉音が背負った不幸から始まっている。とても複雑な思いを巡らした。
 兎に角、今我が家に居る莉音を幸せにする事が一番大切な事と結論付けた。
 只今回、遥香に力になって貰った事を考えた。体調を崩した自分を休む環境に置く為に莉音を預かって貰い、良き理解者として話を聞いてくれた事は大きな安らぎとパワーチャージとなった。
 ひとみの18歳での妊娠と出産をした。18歳で出産して立派なお母さんになっている人も多い。
 だが、まだ親の援助が必要としてもおかしく無い年頃だ。ひとみの子育てに協力したり、相談相手になってくれる理解者が居たら違ってたのでは…との思いが過ぎった。
 何か手立ては無かったのか…。多くの女性用トイレに、DVを受けている人への連絡先を知らせるカードが設置されている。
 テレビで報道する悲しいニュースの後に、心の辛さを相談する電話番号が紹介される…。
 ならば子育てで悩む母が相談する手立てが簡単に出来る何かがあったら…。と心に過らせた。
 
 遥香のくれた薬が効いたのか、汗の代わりに涙を流したからか、詩織の体調は熱も下がり良くなった。
「よし!莉音ちゃんが帰って来たら、元気になったよって迎えよう」
 莉音を思うと元気を出す仕掛けになって居る様だと、詩織は自分に笑った。
 
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