第2話

文字数 2,919文字

 退院当日の朝が来た。詩織が目覚めると、莉音が床頭台下に設置されて居る小型冷蔵庫を開けたそうにして見つめて居た。
「莉音ちゃんおはよう」
と声を掛けると、莉音は『見つかった! 』と言わんばかりの顔で驚いて怯えて後ずさった。
 まるで殴られるのを覚悟するかの様に身をすくめて居る。
 詩織は子供の平均的な体型が分からないが、昨日の莉音の背中の浮き出た骨を思い出し『ご飯をキチンと食べさせてもらえなかった』であろう事を感じずには居られなかった。
 怖がって固まって居る莉音に優しく話しかけた。
「お腹すいたね。苺食べる? 」
「……」
「何も食べてないのでしょう?とてもお腹空いたのよね。ちゃんと冷蔵庫開けるの我慢してお利口さんね」
 と詩織は笑顔で苺を一バック出した。苺をサッと水洗いして、一個ヘタを取り除いて莉音に渡した。
「どうぞ」
 莉音は唾を飲み込みながら、本当に食べて良いのか戸惑って顔で見ている。
 今迄の緊張の強い生活下に置かれていた事が、有り々と伝わって来る。
 もう一度優しく言ってみた。
「これ、全部莉音ちゃんが食べて良いのよ」
 莉音は我慢しきれず苺にかぶり付いた。そして上目使いに、叱られないかと詩織を見た。
「美味しい? 」
「うん」
 詩織の微笑みを見て莉音はやっと笑顔になり、苺を一パック貪り食べて口元と手を赤く染めた。
 詩織はタオルを絞り口元を拭いて上げた。莉音の柔らかい頬の感触は感じるのにタオルには苺の赤い色は付かない。やはり幽霊なのだ…と改めて思うが愛くるしい存在だった。
「お手手洗おっか」
「お手手洗う? 」
病室内に設置されて居る洗面台へ、莉音の肩に手を添えながら洗面台に
「おてて、おてて」
と詩織は歌いながら連れて行った。蛇口を捻り温かいお湯が出てきたところで
「濯ぐよ〜、ジャバジャバジャバ…。ハンドソープでアワアワモコモコ…」
と小さな手を洗ってあげると
「気持ちいい、おてて洗うって気持ち良いね」
と莉音は笑顔を見せた。
 手を洗った事無いのかも知れない…。素直な子供の話の端々からは、生前の生活の壮絶さがチラホラ見えて来る。
 詩織は思わず莉音を抱きしめて、
「良い子ね、本当に良い子ね」
頭を撫で頬擦りをした。やはり柔らかくて小さな頬…。
 看護師が部屋をノックした、
「長原さん、体調はいかがですか? 」
 その瞬間、莉音は姿を隠した。
「血圧測りますね。体温計挟んでおいて下さい」
看護師は血圧計の腕帯をササッと巻き空気を送り始めた。脈拍と共に血圧計のハートマークが点滅する。
「106の65、安定してますね」
体温計もピピっと鳴り、取り出して見ると36.5℃と表示されていた。
「体温も問題なし。退院は問題なさそうですね。そう言えば 虐待死の女の子のニュース見ました?可哀想に…」
「本当、痛ましいですよね。可愛い盛りなのに」と莉音の話になった。ワイドショーでも大きく取り上げられ一つでも新しい情報が入ると、各々の番組で報道しコメンテーターが心痛の言葉を述べて居た。
 看護師も莉音のニュースをジックリ視聴して居た様だ。
「亡くなった子の胃、空っぽだったって。三歳児平均体重14キロなのに対して莉音ちゃんは10キロに達してなかったそうですよ。
ウチも同じ年頃の子居るけど、好き嫌いする中で、どうやって食べさせようか毎日必死なんだけど。ね」
「幼い子がお腹空かせて…。切ないです」
 苺、生きてる時に食べて欲しかったと詩織は思いながら答えた。
 看護師は、莉音の話をしながら血圧計をまとめ終えてワゴンに乗せ
「じゃあ、失礼します。」
と退室した。
 すると莉音は再び現れてベッドサイドに来た。
「莉音ちゃん、ここにおいで」
と詩織はベッドを軽くポンポンと触れた。莉音は首を傾げながらベッドによじ登って来た。
「髪結んであげるね」
と莉音の髪をとかし始めた。莉音に鏡を持たせると、ワクワクして覗き込んでいる。
詩織は、柔らかく艶のある莉音の髪を編み込んで自分のビーズ仕立ての髪飾りをつけた。
「莉音ちゃんお姫様みたい」
と詩織は肩に手を乗せた。莉音は鏡に映る自分の髪とヘアスタイルをジッと見ている。詩織が鏡の角度を変えて
「ほら、横はこんな感じよ」
と見せた。
 編み込まれた様子と淡いピンクのピースの飾りを見て莉音は
「うわー」と可愛い感嘆の声を上げた。
「でもね、莉音はブスなの」
と無垢な目で詩織に話しかけた。
「えっ?ブス? そんな事ないよ。とても美人さんだよ」
と言われても莉音は首を横に振った。
「ママがね、莉音はブスだからオシャレしちゃダメって」
詩織の胸はギューッと締め付けられる思いだった。
「そう、ママは莉音ちゃんにヤキモチ妬いたのかな? おばさんは莉音ちゃんが美人だと思うよ」と言って莉音を抱きしめた。
 そんな時にガラガラと朝食を運ぶワゴンが病室前に来る音がした。
 部屋をノックする音が聞こえた。
「おはようございます。朝食です」と看護助手がお膳を運んで来て、マグカップには焙じ茶を注いだ。
「ごゆっくりどうぞ」と言って看護助手が病室を出るとワゴンの音がガラガラと遠ざかった。
 皿には保温する為に、一つ一つ蓋が被せてあった。蓋を開けていくとハムエッグ、サラダ、コーンスープ、クロワッサン、ヨーグルトがセッティングされていた。
「莉音ちゃん、一緒に食べよう」
と声を掛けると
「莉音はまだ子供だから、パパとママが食べた後に残った物を食べるんだよ」
と朝食のお膳を見詰めながら我慢して言った。
 だから莉音は痩せて居るんだ…看護師の話していた『胃が空っぽ…』はこう云う事かと詩織は察した。
「お父さんとお母さんが残さなかったらどうするの? 」
「子供だから食べなくても良いの。大人は食べないと死んじゃうから大人はちゃんと食べないといけないのよ」
莉音の今迄の生活が見えて来る。
「莉音ちゃん、おばさんとご飯食べる時は一緒に頂きますするのよ。このご飯半分こしようね」
「おばさん死んじゃうよ? 」
莉音は心配そうに言った。
「おばさんは半分で充分、死なないよ。莉音ちゃんと一緒に食べた方が楽しいな」
と言うと莉音は戸惑いお嬉しそうな笑顔を垣間見せた。
「莉音ちゃん、パンを美味しくして食べよう、ちょっと待ってね」
 床頭台の引き出しから果物ナイフを出し、クロワッサンに切れ目を入れた。莉音は興味津々で詩織の手元を見ている。
 クロワッサンの切れ目にサラダとハムエッグを挟むと、莉音は
「うわぁ…」と小さな声を上げた。
「これを半分に切って…一緒に頂きまーす」
と詩織は莉音にクロワッサンのサンドを手渡した。莉音は足をプランとさせながら椅子に座り、クロワッサンにかぶりついた。詩織も同時にかぶりついた。サラダのフルーティなドレッシングとハムエッグの塩味が絡まり、卵がマイルドにさせる…。二人は同時に
「美味しい」
と声を上げて笑った。
 詩織はコーンスープを手に取り、スプーンですくうと『フーフー』と口を尖らして冷まして莉音の口元に運んだ。
 莉音はパクッと口に入れると、頬に手を当てて美味しそうな表情を浮かべた。
 幸せな時間が流れる中で詩織の胸中には
『何故莉音が両親から辛い目に遭わされなければならなかったのか』と思いを巡らさずには居られなかった。
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