第8話

文字数 3,515文字

 夕方になると、詩織は喉の痛みと熱感を感じた。関節も痛む。熱を測ると38.7℃あった。
「あら…風邪ひいたのね」
と体温計をケースに入れた。
 晩御飯を作るのは無理そうだ。亮平に
「風邪ひいて熱出ちゃった。晩御飯何か惣菜買って来てくれる? 」
とラインで送った。
 亮平は仕事が終わってロッカー室で自分の鞄を取り出しスマホを確認した。詩織からラインの文面で『風邪ひいたみたい。熱が』迄が画面に残って居た。直ぐにホームボタンを押し、メッセージを開いた。
『風邪ひいたみたい。熱が上がってダルイの。晩御飯に惣菜買って来て貰って良い? 』
と書かれて居た。今日は土曜日…明日は日曜だから病院は休みだ。受診出来ない…。そう言う時に限って自分も明日は休日出勤の予定だ。具合悪い中で莉音の面倒を見る手伝いも出来ない。
 親になって数週間の亮平は、子育て方の自分の少ない引き出しをパタパタと開けて掻き回す様に考えた。
『誰かの手を借りれたら一番だが…。莉音の存在の説明は信頼出来る人であるべきだ。悪戯に莉音を面白がる人は害を及ぼしそうで寄せ付けたくない…。詩織に横になって身体を休めて欲しい…』
 取り敢えず落ち着いて事態を見つめてくれそうな人間は…。考えを巡らせながら車を走らせていると、スーパーに着いた。
 先ず惣菜売り場に行くと半額のシールが貼られている唐揚げを手に取った。
『莉音も唐揚げなら喜ぶだろう。あっ、春雨サラダをツルツルサラダと言いながら莉音食べてたな…』
気付くと莉音の好きそうな物を選んでいる。亮平はそんな自分にクスッと笑う様な思いだった。
 他に、詩織にスポーツドリンクと林檎とヨーグルトをカゴに入れた。莉音も食べるだろうと多目に追加した。
 会計しにレジ台に籠を置いた。ピッピッとバーコードリーダーの音が何度もする度、これが妻と莉音の口に入ると思い、親子の三人家族と云う実感が湧き満たされた。
「3523円になります」
 財布から4千円を出すとレジから出たお釣りを店員から手渡され、財布にジャラっと釣銭を滑り込ませた。
 買った食材を入れた段ボールを抱えながら、莉音の世話を手伝ってくれる人の事を思い返した。
 亮平の妹の遥香はどうだろう…。独身で子供好きな事もあり、看護師である遥香は小児科でずっと働いている。
 小児科では、来る男性と言えば子供か子連れの既婚者ばかりで出逢いが無い。
『私いつ結婚できるんだろ。って言うかいつ出会えるのかも危ういわ』
といつも大笑いしている。逆に言えば仕事で満たされてしまって居る様だ。
 安易な人間では無いのも有り、何度考えても莉音を任されるのは遥香に辿り着く。
 そうこうして居る内に車は家に着いた。
「ただいま」
と家に入ると可愛い足音がダダダ…と近付くと共に莉音が亮平の脚にしがみ付いて来た。
「お父さんお帰り!お母さんお熱なの」
と見上げて訴えている。亮平は思わず段ボールを床に置いて莉音を抱き上げて頬ずりをした。
「莉音ちゃんただいま〜。お母さんの心配してくれてたの? 」
「お母さんね、元気になれる様にネンネしないと」
「そうだね。莉音ちゃん良い子だね」
頭を撫でた。そのまま莉音を抱っこしながら、段ボールの蓋を摘んで引きずりながらリビングに買い物した品を運んだ。
「ありがとう。助かったわ」
詩織は段ボールを受け取った。食卓テーブルに置いて中を見ると、食べ易い物がドッサリ入っているのを見て『亮平らしい買い物』に思わず笑みを浮かべた。そしてリンゴを剥き始めた。
「なぁ詩織、お前ゆっくり休めないだろ」
「夕方熱出てから莉音ちゃんが良い子にしてくれて、少し休めたのよ」
「これからこういう時の為にも考えないとと思ってさ。遥香に声を掛けてみようかと思ったんだ」
詩織は遥香に信頼を置いていたが、莉音の事を理解出来る人が簡単に見つかるか不安だった。その思いを亮平は感じ取った。
「先ず電話してみて、莉音の事を言うか考えるよ」
とスマホの電話帳をスクロールした。発信ボタンをタッチすると、数秒後に遥香が
「もしもーし、お兄ちゃん久しぶり」
と明るい声が聞こえて来た。
 その時莉音は詩織の剥いたリンゴを盛られた皿を受け取り
「あ、ウサギさんのリンゴだー!ピョンピョン」
とリンゴをテーブルで散歩させるかの様に遊んだ。
「あれ?お客さん?可愛い女の子の声するね」
と遥香が言った。
「あっ、聞こえる⁉︎ 」
今迄他人に莉音の姿が見えたり声が聞こえたりした事が無かったのに、遥香には聞こえた事で協力者は遥香で良いと亮平は確信した。
「今すぐウチに来てくれないか? 」
「えっ?今から?良いけどさ、何? 」
「来てくれれば説明し易いから」
「…ふーん。分かった、今行くわ」
不思議な気持ちのまま遥香が通話を終えたのを感じながら、亮平と詩織は遥香が来るのを待った。
 十五分程経ってから、カーテンの隙間からヘッドライトの光が入ってくるのが見えた。その直後、車のドアがバタンと閉まる音が聞こえた。
 インターフォンの呼び鈴が鳴りドアが開いた。
「こんばんわ〜」
ちょっと不思議そうな口調で遥香は声を掛けた。
 その時亮平と詩織と一緒に莉音もリビングから出て来た。莉音は詩織の影に隠れながら遥香を覗く様に見た。
 遥香は毎日ワイドショーやニュースで何度も映し出される莉音の写真とソックリな子が居ると思った。
 しかも何故子供が居るのか分からない。だが子供が好きな事もあり、しゃがんで目線の高さを合わせて
「初めまして、このオジサンの妹の遥香です」
と声を掛けた。
「お父さんの妹? 」
莉音はそう言いながら亮平を見上げた。
「そうだよ、莉音が挨拶は? 」
「えっ…莉音ちゃん? 」
遥香はあのニュースに出て来る莉音ちゃんにそっくりな子が同じ名前だと云う偶然に思い、驚いた。
 亮平は説明し始めた。
「莉音ちゃんが見えるんだね」
「えっ?見えるも何も…お兄ちゃん隠してる訳でもないのに…ねぇ、おじちゃん変なこと言うね〜」
と遥香は莉音を怖がらせない様に莉音に相槌を打った。
「莉音ちゃんは大抵の人には見えないんだ。今の所見えてるのは僕と詩織と遥香と言う事だ」
遥香はポカンとして話を理解できなかった。
「取り敢えず、二階の書斎で話をするよ」
と遥香を案内した。書斎に二人が入り扉を閉めると亮平が低い声で言った。
「莉音ちゃんは最近テレビに出てる、あの莉音ちゃんだ」
「…お兄ちゃん何言ってるの⁉︎こんな元気な子目の前にして。アザあるから虐待する家から、お兄ちゃん達が保護したとかでしょ」
「いや違う。この莉音ちゃんは幽霊だ。詩織が流産した後にテレビを付けたら丁度あのニュースがやっててね。
『ウチに生まれてくれば良かったのに』と言ったらそこに莉音ちゃんが居たんだ」
「えっ⁉︎…えっ⁉︎…えっ⁉︎ 」
遥香は全然飲み込め無かった。
「あり得ないと思うのは分かる。からかってると思われても不思議では無いと思うよ。
本当にあの莉音ちゃんなんだ。普通にご飯も食べる。普通に遊ぶ。抱っこしたらズシっと重みを感じて頬ずりしたら柔らかいホッペしてるんだ。こんなに違和感ないけど幽霊なんだ」
亮平の真剣な顔に、やっと遥香も現実として受け止め出して真顔になった。亮平は現状を
「今は莉音ちゃんが幸せで居れる様に、楽しく三人で暮らしている。詩織も僕も我が子として莉音ちゃんを育てて居るんだ。莉音ちゃんが喜ぶと身体のアザが少し減る。背中に酷い火傷の痕が有る。それはまだ消えない。風呂に沈められたりした事が有ったから風呂に入る事は怖がる。入浴が必要な汚れ方はしないから風呂には入れてない。ご飯を食べていて何かを溢すと、怒られるのではとフリーズする。ウチでは『溢しても拭けば良い』って言って怒らないから、今はこぼした時のフリーズは減っている」
と話した。その説明を聞いて遥香は目を潤ませながら
「そうなんだ…。莉音ちゃん今は幸せな時間を過ごしているんだ…」
今迄のテレビでの報道でも莉音だけで写った写真は無く、母親のひとみ容疑者を撮影した時に、後ろに居た莉音がたまたま笑って横に居たのが写った物が繰り返し放送に使われていた。
 それを毎日見て居た遥香は、今迄の莉音の苦悩が今報われている事に嬉しい気持ちと、生きている時に幸せで居て欲しかった気持ちが入り混じった。
 亮平は
「で、前置きが長くなったけどさ、詩織が熱出してるから泊まり込んで莉音ちゃんの面倒見てくれないか? 」
と用件を伝えた。
「ハハハ…本当に長い前置きだね。良いよ。明日休みだし。馬に乗れる牧場に連れて行こうかな」
と遥香は笑った。
 その後遥香は、莉音を追いかけて遊んで直ぐに打ち解けた。莉音は遥香の手を引いて、家の中を案内して歩いた。
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