第4話

文字数 1,937文字

 退院の手続きを済ませて、世話になった病院スタッフに挨拶好きしようとナースステーションに夫婦で顔を出した。
「お世話になりました」
夫婦てお辞儀しているのを真似て莉音もお辞儀している姿は、病院スタッフには見えてないらしい。
「お大事にして下さい」
と声を掛けられながら病院を後にした。
 亮平が入院の荷物を車のトランクに入れている間に、詩織は莉音と一緒に後部座席に座った。莉音は脚をピーンと真っ直ぐに伸ばして真新しい靴を嬉しそうに見つめて居た。
 細いけれどまだ幼児らしい可愛らしい脚、小さな手。詩織は莉音の手を取り撫でながら
「可愛いお手手」
と言った。詩織の愛おしい思いが溢れる顔を見て莉音は嬉しそうに微笑んだ。
 亮平が運転席に座り
「さて、行くよ」
と声を掛けると車を発進させた。莉音は車の窓にしがみ付き景色を見た。
 亮平と詩織にとって莉音の行動のひとつひとが、我が子の行為を始めて見る様な新鮮な物に映った。
 車は、昨年購入した一戸建てに到着した。亮平は詩織と莉音が車から降りたのを確認してから、車庫に車を入れてシャッターを下ろした。
 詩織と莉音は手を繋いで玄関まで行き鍵を開けた。
「ここが今日から莉音ちゃんのお家だからね」
詩織は話しかけながら玄関を開けた。
 扉の向こうはアンティークを感じさせる、黒いアイアンタイプのハンガーフックやレトロな照明器具が印象的だった。莉音はキョロキョロとそれらを眺めた後、家に入って良いのか戸惑った。
「莉音ちゃんおいで」
詩織に呼ばれて恐る恐る家の中に入った。莉音の緊張か伝わって来る。
 荷物を片付ける前に莉音の緊張をほぐす事ができたら…と考えて、詩織は莉音に手洗いをさせてからキッチンに案内した。
「莉音ちゃん、シャボン玉しようか」
と言いながら食器用洗剤を水で薄めて、紙コップ二つに注ぎ入れた。
 ベランダから庭に出て手に持ったストローで詩織がシャボン玉を作って見せた。
 今迄両親の支配下に居た莉音はシャボン玉をテレビでしか見た事がなかった様だ。
 ストローから膨らむ七色の薄い玉が空中を漂う様子を見て目を丸くして喜んだ。
「莉音ちゃんも一緒にやろう」
詩織が声を掛けると
「うん! 」
と言ってシャボン液にストローの先を付けて、勢い良く吹いた。シャボンの水滴だけが莉音のストローから飛び出て
「あれ? 」
とストローの先を覗き込んだ。
「莉音ちゃん、ゆっくり静かに吹くと大きいシャボン玉が出て来るよ」
と詩織に言われ、静かにフーッと拭き付けた。七色の薄い膜がクルクル回りながら膨らんで行くのを見て莉音は
「出来た出来た」
と飛び跳ねた。
 そこに亮平もストローを持って来て三人でシャボン玉を作って遊んだ。まるで親子になれた様な思いだった。
 詩織がふと 
「私、掻爬の手術の前にシャワーしたっきりだからお風呂入ろうかな」
と言うと莉音が『お風呂』と言う言葉に怯えた。
「莉音ちゃん?どうしたの? 」
莉音は青ざめた顔で後退りをした後、硬直して
「ごめんなさい…。ごめんなさい。ごめんなさい!」
と謝り続けた。
 何か只事ならぬ物を察した詩織は入浴をやめて莉音を優しく抱っこした。
「莉音ちゃん悪い事してないよ。大丈夫よ」
と慰めた。
 しかし莉音の緊張は解けない。詩織の腕の中で硬直しながら謝り続けている。体の緊張が詩織の腕にも伝わって来る。
 どんなに怖い思いをしたのか…。浴槽にきっと…。予想が付くからこそ詩織の胸が痛んだ。
 詩織は慰める為に、莉音を抱きながら優しく歌った。
 10分位経つと莉音の緊張は解けて来た。そして指しゃぶりをしてうつらうつらと目を瞑り、やがて眠った。
 詩織は亮平が敷いた小布団にそっと莉音を寝かせて、莉音がどんな物が怖いのかを知る為にテレビのスイッチを付けた。丁度ワイドショーが放送されて居た。
 近隣の人がインタビューに答えて居た。
「夏に風呂場の窓から子供の『御免なさい』って声が何度も聞こえるの。水の入ってない浴槽に入れて蓋してたんだと思うのよ。重りになる物を風呂の蓋にドンって置く音が聞こえてね。30分位経ってから大人の怒鳴り声聞こえて来たの。その時に出して貰えたんだと思うよ。
 数日後には水のバシャバシャって音と子供の溺れる様な声と咳き込むのが聞こえて。大人は怒鳴ってて。怖かったよ。
 だから私児童相談所に電話したんだから」
聞くに堪えなかった。詩織は思わずテレビを消してしまった。
 こんなに細くて小さな体で…どんなにお腹すかしてたのか…。その空腹の体力無い身体で浴槽の水に…。
怖かったね。辛かったね。生きている時に力になりたかった。
 今になっちゃったけど、莉音ちゃんが幸せになれる様に協力させて…。ウチに来てくれてありがとう。
 詩織は莉音の寝顔を見ながら思いを巡らせた。
 
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