十六 海

文字数 19,113文字

「密。お帰り」

 密が病院のエントランスにいた叶に近付いて行くと、密の姿に気が付いた叶が包交車を押していた足を止めて言った。

「ただいま。未来はどう?」

 密は言った。

「まだ手術中」

 叶が言う。

「そっか。じゃあ、まだ会えないんだ。お姉ちゃん、先生の手伝いしてるの?」

「うん。できる事、少しだけ」

 密の言葉を聞いた叶が言い、切なそうに微笑む。

「お姉ちゃん。海、行く?」

 密が言うと、叶が、うん。時任先生が一度、手術室の中の未来を見て来てくれて順調だって言ってたから行こう。これ運んで、時任先生に声かけて来る。だからちょっとだけ待っててと言った。

「じゃあ、外で待ってる」

 密の言葉に叶がうんと言い、包交車を押して歩き去って行く。そういえばリッサがどこにもいない。どうしてるんだろう? 密はそんな事を思いながら、病院の外に出た。

「あんた、あんただろ?」

 病院の出入り口の自動ドアの横で、何をするともなく密が佇んでいると、見た事のない四十代くらいの男性が、そう言いながら密の方に向かって歩いて来る。何? 誰この人? 密はそう思い、警戒しながら男性の顔を見つめた。

「ありがとうな。あんたが、怪我人を運んでくれたんだろ? 俺の子供があっちの病院に通ってたんだ。それでミサイルの被害に遭って。あんたのお陰で助かった」

 男性が密の傍に来ると、言いながら密の手を握った。

「え? あの、えっと、まあ、なんというか」

 密は言いながら、何これ? 別に助けたくて助けたんじゃないんだから、こんな事しなくていいのにと思った。

「うちの親もだ」

「私の家族も。ありがとう」

 数人の人々が口々に言いながら、密の周りに集まって来た。

「いや、あの、そんな風にされても、困るんだけど」

 密はしどろもどろになりつつ言う。

「ありがとうございました」

「ありがとう。本当にいたんだ。嘘だと思ってた」

 集まって来ていた人々が感謝の言葉を密に伝え、伝え終えると頭を下げながら、密から離れて歩き去って行く。周りにいた人々がすべていなくなり、やっと解放されたと密が思っていると、叶が傍に近付いて来た。

「良かったね、密。皆、本当に喜んでた」

 叶が言って密の頭を撫でる。

「お姉ちゃん、まさか、声かけないで待ってたの?」 

 密の言葉に叶がうんと言って頷く。

「もう。なんでよ。声かけてくれたら、あんな奴らすぐにどかしたのに」

 密は唇を尖らせながら言った。

「そんな事しちゃ駄目。声をかけなかったのは、密が皆に感謝されてる姿を見てたかったから。妹が感謝されてる姿だよ? 見ていたいって思うのが姉心なんだから」

 叶が言い、嬉しそうに笑う。

「妹の心の事も考えてよ。あんな風にされて凄く困ってたんだから」

 密は言うと、頭を撫でている叶の手から逃げるようにして離れた。

「逃げた! なんか、お姉ちゃん凄いショックなんですけど」 

 叶が唇を尖らせて言う。

「そんな事より海。どこの海行く?」

 密はしてやったりという笑みを顔に浮かべながら言った。

「もう。前に行こうって言ってたのは、どこだっけ?」

 叶が言って小首を傾げる。

「どこだったっけ?」

 密は言い、記憶をあれこれと探ったが、思い出す事ができなかった。

「思い出せない。どうしよっか?」

「うん。どうしよう?」

 密の言葉に叶が相槌を打つ。

「じゃあ、さ。誰もいなそうな所は? 折角だから、貸し切りみたいな場所で思いっ切り遊ぶの。理者の力も使い放題みたいな?」

 密が言うと、叶が少しの間、何かを考えているような顔をしてから、うんと言い、小さく頷いた。

「そういえば、密、良く気が付いたね。理者の力で移動できるんだね。お姉ちゃん、知らなかった。密がやったの見て、初めて知った」

 叶が感心したというような顔をしながら言った。

「飛べって思う奴の事? お姉ちゃんが戻って来たばっかりの時に、リッサが密の事、空中に浮かばせたでしょ。あれがあったから思い付いたの。浮かぶ事ができるなら飛んで移動する事ができるんじゃないかって。どういう原理かは分からないんだけど、景色が歪んだり、なんていうか、周りの空気が変になる? ような気がするから、体の周りの空気とかに何かが起こってるんだと思う」

 密は言い終えてから、少し得意気に胸を張った。

「密が飛んで行ったの見てたから、ここに来る時に、お姉ちゃんも飛べって思って、使ってみたんだ。これは使えるなって思ったよ。それとさ、怪我した人達を運べたって事は、誰かを名指しでこっちに呼ぶ事もできるって事なのかな?」

 叶が言って、また何かを考えているような表情をする。

「できるんじゃないかな。そういえばリッサいないよね? リッサ呼んでみる?」

 密が言うと、叶が小さく首を左右に振った。

「リッサはいいよ。来たらきっとうるさい。お姉ちゃんがついて来るなって言ったの。リッサはリッサでやる事があるんだから」

 叶が言った。

「ふーん。じゃあいいか。でも、名指しで呼べるとしたら、便利だね。むかつく奴の事すぐに呼び出せる」

 密は言い、学校で密の事をいじめてた奴を、どっか変な場所に呼び出すとかしたら、面白そうかもと思った。

「もう。呼び出すなんて、絶対にそんなことしちゃ駄目だよ」

 叶がわざと怒ったような顔をして言った。

「えー。面白そうなんだけどな。まあ、いいや。そんな事より海海。早く行こう」

「じゃあ、お姉ちゃんが、力使うね」

 密の言葉を聞いた叶が言う。

「うん。じゃあお願い」

 密は言った。

「私と密をどこか人が全然いなくって、泳いだりできて、きれいな海に飛ばせ」

 叶が言うと、密と叶の周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。

「なんか凄くいい感じ。ここどこなんだろ?」

 砂浜に降り立ち、周囲を見た密は大きな声を上げた。それほど広くはないが、二人で遊ぶには十分な広さの砂浜には人の姿はなく、砂は白く輝いていてとても綺麗だった。砂浜の左右の端には適度な岩場が点在していて、磯遊びもできそうだった。付近には民家のような物はなく、普通サイズの乗用車が通れるか通れないかくらいの、舗装された道路が一本だけ砂浜の背後に走っている。道路を渡った向こう側は鬱蒼と茂る森になっていて、その森の一角に神社があるのか、大きな鳥居が立っているのが、木々の隙間から見えた。

「ここどこなんだろう?」

 叶が顔を巡らせながら言う。

「向こうは曇ってたけど、こっちは晴れてる。凄い、いい天気。うわー。ワクワクして来た。こんな気持ち、いつ以来だろ」

 密は手庇をして空を見上げながら言った。

「あっちに鳥居がある。神社があるのかな? という事は、日本ではあるのかな?」

 叶が鳥居の方を見つめながら言う。

「鳥居って日本にしかないの?」

 密も鳥居の方を見ながら言った。

「ああ。そっか。どうだろう? ごめん。ちょっと、分かんない」

 叶が密の方に顔を向けて言い、しょんぼりした顔をする。

「お姉ちゃんなのに?」

「もう。密の意地悪」

 密の言葉を聞いた叶が拗ねた表情を見せながら言った。

「ごめん。ごめん。そんな事よりさ。早く泳ごう」

 密は海の方に視線を転じて言う。

「そうだね。海も凄い綺麗だし。泳がないともったいないね。早く行こう」 

 叶が言ってから、何かに気が付いたような顔をした。

「どうしたの?」

 密が言うと、叶がとても困ったというような表情になった。

「水着。持って来なかった」

 叶が言い、がっくりと肩を落とす。

「お姉ちゃん。それ、何? ボケてるつもり?」

 密は、叶の顔を穴の開くほどにじいーっと見つめながら言う。

「ボケてなんてないよ。だって」

 叶がそこまで言って、言葉を切った。何かを堪えるような顔を叶がしたと思うと、凄い勢いで密から自分の顔を隠すように顔を俯ける。

「お姉ちゃん。今の素で言ってたの?」

 密は、うわー。なんだろ? お姉ちゃんと一緒に海に来られて、テンションが上がってるからかな。今のお姉ちゃん、なんか凄く、かわいく見えるぞ。今のお姉ちゃんの事いじりたくなって来たーと思いながら言った。

「そ、そんな事ないよ。ボケたんだよ。もう。密のツッコミがへただから、なんかしらけちゃっただけよ」

 叶が言ってから顔を上げ、これ以上はないというような真剣な眼差しで海の方を見つめる。なんでお姉ちゃん、あんな真剣な目で海を見てるんだろう? もう、この話題には触れるなって事なのかな? 密は叶の横顔を見つめながら思った。

「ふーん。じゃあ、そういう事にしておく。そうだ。どっちの出した水着がかわいいか比べよう。同時に水着を出して見せ合おうよ」

 駄目だー。まだお姉ちゃんの事いじり足りないー。理者の力で出せる事を思い出してるんだよね? そうだよね? と思いつつ、密はわざと叶を試すように言った。

「いいけど、密の方がいろんな所が大きいから、なんか、水着だと、お姉ちゃんの方が不利なような気がする」

 叶が自分の体を見て、唇を尖らせながら言う。むむ。この反応。お姉ちゃん、理者の力の事、思い出したな。しょうがない。それなら、水着の事でいじってやろうと密は思った。

「お姉ちゃんみたいな体型にしか着られないよう水着だってあるよ。そういうのを着たお姉ちゃんだったら、きっと需要あるよ」

「需要? 需要ってなんか変な言い方じゃない? そんなのいらないよ。なんか怖い気がするもん」

 密の言葉を聞いた叶が言う。

「言い方は変だけど、この場合の意味は、男の子に好かれるって事だよ? お姉ちゃん、男の子に興味とかないの?」

 密は言い、お姉ちゃんかわいいからな。まあ、どんな男の子が寄って来ても絶対にお姉ちゃんには近付かせないけどねと思った。

「興味ないかな。密は興味あるの?」

 少し間を空けてから、叶が言う。あれ? 今の、何? なんなの? この、気持ち。あれ? 密、今、お姉ちゃんが男の子に興味ないって言ったの聞いて、凄く、凄く嬉しいって思った。なんだこれ? いやいやいや。普通、だよね? やっと帰って来たお姉ちゃんに好きな人とかができて、さよならーなんて言っていなくなったら嫌だとかっていう、それだけの事でしょ? んん? でも、なんか変だぞ? なんか、おかしい。もやもやすると密は思い、自分の胸に手を当てた。

「密の事はいいの。お姉ちゃん、本当に男の子に興味ないの?」

 密は自分の中に生まれた、おかしなもやもやした気持ちを、振り払うように大きな声で言った。

「うん。全然興味ない。なんで? そんなに大きい声出す事かな? お姉ちゃん、なんか変?」

 叶が困ったような、悲しそうな顔をしながら言う。

「そんな顔しないで。変じゃない。全然変じゃない。む、むしろ、健全? 密だって、興味ないし。男の子云々の事はただの例え話だし。密は、お姉ちゃんの事本気で大好きだもん。お姉ちゃん一筋? だから、いいよ全然。今のままでいい」

 密は言い終えてからすぐに、密は何言っちゃってるんだ? 本気で大好きって何? それに、一筋とかって何? おかしい。密、なんかおかしくなってると思い、顔が激しく火照るのを感じた。

「お姉ちゃん一筋って。もう。でも、お姉ちゃんも密一筋かな?」

 嬉しい。嬉し過ぎる。これって、両思いって事? いいの? 姉妹だよ? いいのこれで? え!? ええ!? 何考えてんの密? ちょっと待って。急にどうした? 密どうした? 本当にどうした? そんな趣味あった? 密って、お姉ちゃんの事、そういう目で見てた? というか、密ってレズビアンだったの? と密は思った。

「未来の事忘れてた。未来ももちろん大好きだよ」

 叶が思い出したように慌てて言った言葉を聞いた密は、未来ないわー。くっそう。未来がライバルになる日が来るなんてと真剣に思い、本気で嫉妬し、地団駄を踏んだ。

「密? どうしたの? 足、ばたばたして。あれ? 顔が真っ赤だよ? まさか、風邪? 熱でもあるの?」

 叶が言うと、密の傍に来て、密の額に手をそっと当てる。

「お姉ちゃん」

 密は叶の手の感触にどきりとして、言いながら叶の手から逃げるようにして離れた。

「密?」

 叶が不思議そうな顔をしながら言う。

「なんでもない。いきなりだったから、なんか、逃げちゃった」

 密はそう言うと、叶の傍に戻る。

「そう。そうならいいけど、ちょっと、逃げられてショックだったかも」

 叶が言い、もう一度、密の額に手を当てた。お姉ちゃんの手、少し冷たくって柔らかくって気持ちいい。ああ。このままこの手をぎゅっと握って。お姉ちゃん。お姉ちゃん。はあはあ。うわっ。なんだこれ。これは駄目でしょ。密、本当にどうした? 今の、本当になんだ? 今のは、えっと、ええっと、なんだろう。どうしたんだろう? これは、あれなのかな? 理者の力を得た事によって起こってしまっている不具合とか副作用とか? ああ。それとも、今の密はキツネだから? 発情期? だからなの? と密は思った。

「熱い気がする。熱あるのかな? 折角、海に来たのに。密、泳ぐのやめよっか?」

 叶が密の額に当てていた手を引きながら言う。

「大丈夫。これは、きっと、ただ興奮して、ああ、違う。なんでもないの。そんな事より、早く水着。ね?」

 密は叶の手を握りながら言った。言い終えてから、お姉ちゃんの水着か。やばいな。見たいな。また。まただ。なんなんだろ。本当にこれ、なんなんだ? 密の本心なのかな? 密ってそういう子だったのかな? と密は思った。

「そう? そう言うならいいけど、辛くなったらすぐに言うんだよ?」

 叶が言うと、周囲を見回すような仕草をする。

「どうしたの?」

 密は叶の手を握ったまま言う。

「水着になるのはいいんだけど、ここだと、周りから丸見え。着替えるのにどこかいい場所ないかな?」

 叶が言葉を返す。

「そうだね。じゃあ、着替える場所を出そう。でも、とりあえず、先に水着出しちゃおう。それで、水着と着替える場所の両方を出し終わったら、一緒に着替えよう」 

 密は叶の手から自分の手を放しながら言った。お姉ちゃんの生着替えとか。って、また。密。本当にどうした? 今までこんな事になった事なんてなかったのに。急にこんなに発情して。しかもお姉ちゃん相手に。海の所為? 夏の所為? キツネの所為? それとも、理者の力をもらって、なんでもできるようになった解放感からとか? もう。本当になんなのこれ? と密は思う。

「分かった。じゃあ、水着出そう」

「うん。じゃあ、いっせーのせ」

 叶の言葉を聞いた密が言い、密と叶の手に中にほぼ同時に水着が出現した。

「お姉ちゃん。それ」

 密は叶の手の中にある水着を見て、大きな声を上げた。ああ~。かわいい。もうお姉ちゃんの存在自体が罪だよ。なんでよりにもよってそれなの? なんでスクール水着? しかも、胸の所に、名前が付いてる奴? もう駄目だ。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん。爆発しそう。そうか。そうだったのかも。もう、いい。そういう事にしておく。そういう事にして、素直になるんだって思っておく。密は、お姉ちゃんの事、好きなんだ。理者の力とかキツネとかは、関係あるのかも知れないけど、お姉ちゃんに対するこの気持ちをそんな事の所為にしたくない。というかそんな事もうどうでもいい。ああ。でも、そう考えると、なんか、今までの事がしっくり来るかも。だから、お姉ちゃんがいなくなってから、あんなにお姉ちゃんの事ばっかり考えてたんだ。そう思った密は、自分でも怖くなるくらいに、叶の事を姉としてだけではなく、別の意味でも好きだという事を自覚した。

「お姉ちゃん」

 密は駄目だ。もう我慢の限界だ。お姉ちゃんと一つになりたいと思うと、声を上げながら、叶の手を掴んでぐいっと自分の方に引き、いきなり叶に抱き付いた。

「急に何?」

 叶が驚いたように言うが、その声に嫌がるような響きはなかった。

「キ、キ、キ、キスしていい?」

 ちょっと、何言ってんの密。馬鹿じゃないの? こんな事許されるはずない。それに、それに。嫌われる。お姉ちゃんに変だって思われる。言ってからすぐに密は激しく自分の言動に後悔した。

「懐かしい。密、お姉ちゃんとチューするの好きだったもんね。未来が生まれて、ちょっとしてからかな。急に恥ずかしいからもうやめたって言って、しなくなったけど」

 叶が優しい笑みを顔に浮かべ、懐かしそうに言う。

「そんな事あった?」 

 密は、全然覚えてないと思いつつ聞いた。

「あったよ。凄い、恋人同士がするようなチューもしてたんだから。忘れちゃってるなんてショックだな。お姉ちゃんのファーストキスを奪っておいて」 

 叶が言いながら、わざと怒ったような顔をしたり、悲しそうな顔をしたりする。

「ファーストキス? 凄い、恋人同士がするようなキス? それ、本当?」

「本当だよ。お姉ちゃん大好き。愛してるって言ってぶちゅうーってして来たんだから。そんなにすっかり忘れられてるんだ。お姉ちゃん、密に捨てられたんだね」

 密の言葉を聞いた叶が言い終えると、がっくりと肩を落とす演技をした。

「そうなんだ。そんな事があったんだ」

 密は言葉を漏らしてから、どっちなんだろ? 子供だったからなのかな。それとも、密って、昔からそういう事だったのかなと考え始めた。

「どうしたの? お姉ちゃん言い過ぎた? 冗談だよ。お姉ちゃんは密に捨てられたなんてこれっぽちも思ってない。だってお姉ちゃんがこっちに戻って来た時、密、凄く喜んでくれたもん」

 叶が言い、嬉しそうに微笑む。

「お姉ちゃん」

 密は声を上げ、叶の唇に自分の唇を当てた。唇と唇が触れた瞬間、電気が走ったような衝撃を受け、密は思わず、すぐに唇を離してしまった。密は、自分の唇に指を這わせ、自分の唇の感触を指先で確かめながら、叶の姿を見る。叶は両目を閉じ、顎を斜め上に向けたままの姿勢でじっとしていた。

「いきなりでびっくりした。久し振りのお姉ちゃんとのキスはどうだった?」

 叶が目を開けたと思うと、そう言い、小首をかわいく傾げた。

「もう一度。激しい奴でもう一回お願いします」

 密は叫び、叶の体を抱く手に力を込めると、貪るように叶の唇を奪った。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん。大好き大好き大好き。そう何度も何度も思いながら、密はキスをし続けた。どれくらい経った頃だろうか。密は、叶の体から力が抜けている事に気が付いた。

「お姉、ちゃん?」 

 密はキスをやめて、叶の顔を見ながら言う。叶は目を閉じたまま、ぐったりとしていて、なんの反応も示さない。

「え? 何? お姉ちゃん? ねえ、お姉ちゃんってば」

 叶の体を揺さ振りながら密は言ったが、叶はまったく反応せず、ぐったりしたままだった。

「ちょっと、何これ? どういう事?」

 密は大きな声を上げ、助けを求めるように周囲を見回す。

「誰かいないの? 誰か助けて」

 砂浜にも海にも道路にも、その向こう側にある森にも誰もいないようで、密の声に答える者はいない。駄目だ。誰もいない。密がなんとかしなきゃ。怪我は、してないよね。お姉ちゃん、何かの病気とかなのかな? でも、そうだ。死なない。お姉ちゃんは死なないはずだ。待ってればそのうちに起きるのかな? でも、もしも、このままだったら。理者の力でなんとかできないかな。ああ。駄目だ。理者の力じゃ、直接お姉ちゃんに何かをする事はできないんだ。お姉ちゃん。ねえ、お姉ちゃん起きてよ。このままなんて嫌だよと思い、密は叶の顔を見つめた。

「そうだ。でも、呼べるかも知れないんだ」

 叶の顔を見つめながら、どうすればいい? どうすればお姉ちゃんを起こせるの? と必死に考えていた密は、少し前に叶とした会話の事を思い出し、大きな声を上げた。密は目を閉じると、時任先生ここに飛べと、強く願うように思った。

「ここは?」

 ほんの一瞬の後に時任の声が密の傍からする。

「先生。良かった。来てくれて良かった」

 言いながら密が目を開けると、困惑した表情をしている時任と目が合った。

「どういう事? 密さんが私をここに呼んだの?」 

 時任の言葉に密は大きく頷いた。

「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが変なの。キスしてたらぐったりしてて、声をかけても動かなくって」

 密は叶の顔に視線を移しながら、叫ぶようにして言った。

「キス?」

 時任が言い、密の顔をじっと見つめる。

「そ、それはいいの。そんな事より早くお姉ちゃんを診て」

「そ、そうね。分かったわ。診てみましょう」

 時任が言うと、密の腕の中にいる叶に近付く。

「これは、まずいわね。すぐにここに寝かせて」

 時任が言ったので密は砂浜の上にそっと叶を寝かせた。時任が叶の傍にしゃがんで砂の上に両膝を突いたと思うと、叶の顎を上向きにし、自分の顔をぐいっと叶の顔に近付ける。

「ちょっと、何するの先生」

 時任の横に立っていた密は言いながら、時任の肩を掴み、叶に近付かせまいとして時任の動きを止めた。

「人工呼吸をするの。早くしないと手遅れになる」

 叶の顎から手を放し、密の方を見て言った時任の言葉を聞いた密は、時任の肩から慌てて手を放した。

「あの、でも、先生。口と口はちょっと。ほら。胸を押すのだけでいいんじゃないかな」

「口と胸の両方でするわ」

 嫉妬から出た密の言葉に、時任が冷静に言葉を返す。時任が再度叶の顎を上向きにし、叶の気道を確保すると、顔を叶の顔に近付けて行く。密はこんなの見たくないと思うと、目をぎゅっと閉じた。

「時任先生? 何? どうして?」

 叶の声がする。

「お姉ちゃん」

 密は声を上げながら閉じていた目を開けると、時任を突き飛ばし、叶の顔を覗きむように見た。

「今、私、時任先生と、なんか、キスしようとしてたような気がするんだけど」

 叶が戸惑うような顔をしつつ言った。

「お姉ちゃんが、動かなくなったから先生を呼んだの。そしたら、先生が人工呼吸って言って。お姉ちゃんの唇が他人に、ああ、違った。良かった。お姉ちゃんが起きて本当に良かった」

 密は言いながら叶に抱き付く。

「密、今、お姉ちゃんの唇がどうとかって言わなかった?」

「そんな事どうでもいいの。姉ちゃんが起きて本当に良かった」

 叶の言葉を聞いた密は大きな声を上げると、叶を抱く手にぎゅっと力を込めた。

「密。心配させて、ごめんね。お姉ちゃん、密のキスが激し過ぎて息ができなくなって、そのまま、なんか気が遠くなって。気を失っちゃってたみたい」

 叶が恥ずかしそうにしつつ、困ったような顔をしながら言った。

「もう。それならすぐに息ができないって言ってよ。本当に驚いたんだから」

 密は言い、叶の体を抱き起す。

「あの状態から何もしていないのに意識が戻るなんて、不思議な事もある物だわ」

 時任が言ったので、密が時任の方に顔を向けると、砂の上にうつ伏せに倒れていた時任が、服と体に付いた砂を払いながら立ち上がるのが見えた。

「先生。突き飛ばしてごめんなさい。密、慌てて」

 密は頭を下げながら言った。

「大丈夫よ。そんな事より、叶さんの意識が戻って良かった」

「先生。ごめんなさい。わざわざ来てもらったのに」

 時任の言葉を聞いた叶が密の腕の中から抜け出て立ち上がり、頭を下げる。

「後遺症などもなさそうね」 

 時任が言ってから、叶の傍に行き、簡単な触診を始めた。

「先生。早く帰らなくていいの?」 

 密はもうお姉ちゃんは平気なんだから、そんなに触らなくたっていいのにと思うと、立ち上がりながら言葉を出した。

「あら。そうね。ここにいてもお邪魔なようだし。すぐに戻れるかしら?」

 時任が微笑みながら言う。

「大丈夫。すぐに戻すね。先生ありがとう」

 言うが早いか、密はすぐに先生を元の場所まで飛ばせと思った。時任の姿が空に吸い込まれるようにして上昇し、あっという間に豆粒のように小さくなって見えなくなった。

「凄い。あんな風に飛んでるんだ」

 叶が言う。

「そうだ。お姉ちゃん。呼べたんだよ。名指しで先生来てって呼んだの」 

 密は叶に抱き付きながら言った。

「そうなんだ。そうやって呼んだんだ。密。ありがとうね。お姉ちゃんの為に先生を呼んでくれて」

 叶が言って、抱き付いている密の頭をそっと撫でる。

「お姉ちゃんの為ならなんだってするよ。密、お姉ちゃんの事大好きだもん」

 そう言い、密が微笑むと叶もとても嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。

「お姉ちゃんも密の事大好きだよ」

 叶の言葉を聞いた密は、ふーんと鼻息を荒くした。

「じゃ、じゃあ、もう一回激しい奴を」

 密は唇をむうーっとを伸ばして叶に迫る。

「駄目」

 叶が密の頭を撫でていた手を止めると、その手を動かし、密の唇に当てて言った。

「へ? なんで?」

 拒まれた事に激しいショックを受けた密の口から言葉を漏れ出る。

「激しい奴は、またお姉ちゃん、気を失うかも知れないから。だから、軽いのがいいな」

 叶が言って、密の唇に当てていた手を引いた。

「軽くならいいの?」

 密は再びふんすーと鼻息を荒くしながら言う。

「いいよ」

 叶が言い、目を閉じて顎を少し上向きにした。うわー。凄いかわいい。あー。鼻血出そうー。密はそう思いながらちゅっと軽く叶にキスをした。

「これくらいなら大丈夫」

 密が唇を放すと目を開けた叶が言って微笑んだ。天使だ。ここに天使がいるー。密は心を激しく震わせながら思った。

「ねえ、密。さっき出した水着、どっか行っちゃってる。どこ行っちゃったんだろ」

 叶が言い、周囲を見回す。もっともっとキスをと思っていた密は、水着なんてもうどうでもいい。ああ~ん。でも、お姉ちゃんの水着姿かー。駄目だこれー。すっごい見たいかもーと思うと、叶と同じように周囲を見回す。

「ないね。砂に埋まっちゃったのかな? それとも、理者の力で出したのって時間が経つと消えちゃうとか?」

 密は叶の方に顔を向けて言う。

「消えたりはしないはずだよ。でも、もう一度出す? でも、あれかな。出したのもったいないから出て来いって思ってみようか?」

 叶が言い、密の方に顔を向けた。

「砂だらけで汚れてたりしたら嫌だから、前のは消えろって思ってから新しいのを出そう。お姉ちゃんのも密が一緒に出しちゃうからちょっと待ってて」

 密が言うと、叶が微笑みながらうんと言って頷いた。密は、さっき、お姉ちゃんと密が出した水着消えろ。それから、ええっと、どうしよっかな。うーんと、お姉ちゃんのは白のスク水と、白のニーソックス、あっと、もちろん名札付き。密のは、うーん。同じでいいや。でも、色は普通の色の奴でニーソックスはいらないと思った。

「密。それでいいの? さっきは違うの出してたのに」

 叶がそこまで言って、言葉を切った。

「なんで? お姉ちゃんの名前のある方だけ白い。それに、その、ニーッソクスは何?」

 叶が不思議そうにしながら、言葉を付け足すように言う。

「お姉ちゃん。密が出したの着たくない?」

 密はお姉ちゃん着てくれるよね? と目で訴えながら言った。

「着る。お姉ちゃん、密の為だったらなんでもするよ」

「さっすがお姉ちゃん」

 叶の言葉を聞いた密は、お姉ちゃんちょろい。ああ。駄目。密。お姉ちゃんをちょろいなんて。お姉ちゃんは本当に優しいと思いつつ言葉を返した。

「じゃあ、着替える場所も出すね」

 密は言うと、そうだ。どうせなら海の家を出しちゃおうと思った。

「すごーい。密。海の家出したの?」

 何もなかった砂浜の上に、忽然と出現した海の家を見た叶が嬉しそうに声を上げた。

「うん。どう? それっぽい?」

 密は、目の前にある海の家を見ながら言う。

「イカ焼きとかを売ってる売店があって、それに、これは、浮き輪とかパラソルとかの貸し出し所だね。中には、テーブル席と座敷とシャワーとトイレ。うんうん。それっぽいそれっぽい。中に入っていい?」

「うん」

 叶が言い、その言葉に密が言葉を返し、二人して海の家の中に入って行く。

「海に来たなーって気が凄くする。なんか凄い楽しくなって来た」

 叶が言って、海の家の中を観察しながら歩き回り始める。密は、お姉ちゃん無邪気でかわいいなと思いながら叶の姿を見で追う。

「更衣室っと。ねえ、密、水着に着替えちゃおっか?」

 一通り海の家の中を回った叶が、海の家の出入り口から真っ直ぐ奥に行った所の突き当りにある、更衣室はこちらと書かれた案内板の下の出入口の前で足を止めて言う。

「お姉ちゃん。一緒に着替えよう」

 密は叶の体を上から下まで舐めるようにじろじろと見ながら言った。

「なんか密の目、怖いよ。別々がいいな」 

 叶が言う。

「何それ。そんな事ないよ。でも分かった。別々にしよ」

 密は、うわ。下心ばれてると思うと、ごまかすように叶から視線を外して言った。

「うん。じゃあ、また後でね」

 叶が微笑みながら言い、出入り口の中に入ると、両側の壁にいくつかある更衣室のドアの一つを開けて中に入った。あーあ。お姉ちゃんの着替えるとこ見損なった。あそこで退かないでもう一度一緒に着替えたいって強く言ったらお姉ちゃん断らなかったかな? と思いながら、密も別のドアを開けて更衣室の中に入る。

「お姉ちゃん。まだ~?」

 叶の水着姿を早く見たいという欲望に燃え、速攻で着替えを終えた密は、更衣室から出るや否や大きな声を上げた。

「ちょっと待って。このニーッソクスが結構ぴちぴちで」

 叶の言葉を聞いた密は、凄い楽しみ。お姉ちゃんどんな風になってるんだろうと思うと、ふんすーと鼻息を荒くした。

「着替え終わったー」

 叶が言いながら、更衣室のドアの中から姿を現す。

「お、お姉ちゃ~ん」

 これは!? お姉ちゃんの幼い容姿とスク水ニーソが相まって、かわいいとか、愛くるしいとか、そんな次元を遥かに超えてる。これは、もはや、神々しいとかそういう領域だ! そんな事を思った密は声を上げながら叶に向かってダイブした。

「密。ちょっと、危ないよ。転んじゃうよ」

 密のダイブを受け止めながら叶が言う。

「はあ~。ごめん。お姉ちゃん。でも、密、もう我慢できな~い」

 密は叶の体のあちこちに頬ずりをしつつ言った。

「ちょっと、密。やめてよ。変だよ。くすぐったいよ」

 叶がはしゃぎながら声を上げる。

「お姉ちゃん。密。お姉ちゃんの事大好き。お姉ちゃんと一つになりたい。だから、このまま、ね? ちょっとだけ。ちょっとだけいいでしょ?」

 密は言い、叶の体を壁に押し付けると、叶の目をじっと見つめながら迫った。

「キスしたいの?」

 叶が不思議そうな顔をして言う。

「キスじゃなくってもっと、なんていうか、その先の事? そういう事がしたい」

 密は叶の首筋に唇を当てて言った。

「もう。くすぐったいよ。その先の事? それってどんな事?」

 叶がくすぐったさから逃げるように、密から離れながら言う。

「それは、あれだよ。ええっと、なんて言うか、その、愛し合う大人の男女がやるような事。なんていうか、エッチな感じの事? もう、駄目。これ以上は、恥ずかしくって言えないよ」

 密は叶の首筋から、視線を叶の目へと転じながら言った。

「駄目だよ、そんな事。密とお姉ちゃんは女の子同士だよ。それに、姉妹なんだよ。キスはいいけど、それ以上は駄目」 

 叶が密の目を見つめ返しながら言う。

「お姉ちゃん、密の事嫌い?」

 密は右手を動かし、叶の唇に親指をそっと当てて言った。

「好きだよ。でも、そういう事をしたいとかっていう好きじゃない。お姉ちゃんの好きは、妹とか家族とかとしての好き。密だってそうでしょ?」

「お姉ちゃん」

 叶の言葉を聞いた密は小さな声を漏らすと、右手を自分の方に引いて、叶から離れた。

「密?」

 叶が言い、密に向かって手を伸ばす。

「もういい」

 密は言うと、叶の手を避けるようにして歩き出し、海の家の中へと向かった。

「密。待って」

 更衣室はこちらと書かれた案内板の下にある出入口を出た密に向かって、追って来た叶が言い、密の肩に手をかける。

「放して」

 密は言って叶の手を振り解き、海の家の出入り口に向かう。

「密、行っちゃ嫌だ」

 叶が言うと、海の家の出入り口の前に大きな砂の山が現れ出入り口を塞いだ。

「こんな事したって」

 無駄だよと言葉を続けようとした密だったが、不意に叶に背後から抱き付かれ、その言葉を出す事ができなくなった。

「密。お願い。行かないで。折角こうやって一緒にいるのに。密が行っちゃったら、お姉ちゃん、凄く寂しい」

 叶が大きな声で叫ぶ。

「お姉ちゃん」

 密は叶の様子に戸惑いながら言った。

「いいよ。密がしたいならお姉ちゃんなんでもするよ。大好きな密の為だもん」

 そう言った叶の声は、微かに震えていた。

「お姉ちゃん」 

 密は言いながら、叶の腕の中で体を回すと、叶の方に顔を向けた。叶が微笑みながら涙で潤む目で密の顔を見上げる。お姉ちゃん、笑ってるけど、違う。こんなの違う。密はこんなお姉ちゃん見たくない。密、何をしてるんだろう? 密は、お姉ちゃんが好き。今、密は、お姉ちゃんと、エッチな事をしたい、一つになりたいって思ってる。でも、それには、お姉ちゃんの気持ちがなきゃ駄目。お姉ちゃんが密の事好きじゃないのにそういう事をしても意味がない。密はそう思うと、ゆっくりと口を開いた。

「お姉ちゃんの好きと、密の好きは違う。密の好きは、家族とか姉妹とかとしての好きじゃない。女の子同士だけど、男の子と女の子が思い合うようなそういう好き」

 密は言い終えると、お姉ちゃんにふられちゃったと思った。胸が張り裂けるよう悲しみが密の心の奥から溢れ出す。密は猛烈な勢いで泣き出し、大きな泣き声を上げながら両手で顔を覆った。

「密。泣かないで。ねえ、密」

 叶が言い、密を抱く手に力を込める。

「お姉ちゃんの馬鹿。優しくしないで」

 密は叫ぶと、叶の腕を振り解き、海の家の出入り口に向かって走った。

「密待って」

 叶の大きな声が密を追う。

「ほっといて。一人にして」

 密は、足を止めずに声を上げた。

「密。大丈夫?」

 砂の山に思い切りぶつかり、尻餅をついた密の傍に叶が駆け寄って言う。

「大丈夫じゃないよ。痛い。もう。嫌だ。本当に嫌だ。お姉ちゃんはとにかく密の傍に来ないで」

 密は目から溢れ出る涙を拭いながら、声を上げつつ立ち上がると、砂の山消えろと思った。

「密。どこ行くの?」

 砂の山を消した密が海の家の出入り口から外に出ると、背後から叶の声が追い縋る。

「知らない。一人になりたいの。ほっといて」

 密は大きな声を上げ、眩い日差しが照らす砂浜の中を駆けた。

「密、密」

 叶の呼ぶ声が背後から何度も聞こえたが、密は無視して走り続ける。どこをどうやってどれくらい走ったのか。気が付けば密は砂浜の背後にあった道路を渡っていて、森の一角にあった神社の境内の中にいた。

「お姉ちゃんの馬鹿。密の気持ちも知らないで」

 足を止めた密は荒い息を吐きつつそう言ってから、石畳の上を境内の奥にある古びた木製の大きな社に向かって歩き出した。社の前に設置されている賽銭箱の前にあった、三段ほどの階段の傍まで行くと、密は、真ん中の段の上に座った。

「お姉ちゃんの馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿」

 密は両膝を両手で抱えながら顔を俯け、涙を流しながらそんな言葉を繰り返し独り言ちり続ける。

「密」

 叶の声がした。密は反射的に顔を上げ、叶の姿を探す。だが、気の所為だったのか、叶の姿はどこにも見えなかった。密は鬱蒼と茂る木々の枝の隙間から、抜けて落ちる日差しの作った光の小さな点が、眩く染めている境内の何もない一隅を見つめた。

「何やってるんだろ。お姉ちゃんを傷付けるような事ばっかりしちゃって」

 密は言葉を漏らしてから、空から落ちて来る光を求めるように上を向くと、木々の枝の隙間から見える青く抜けるような空を見つめた。

「なんか、ここ、寒い」

 密は少し間を空けてから、また言葉を漏らすと、膝を抱えていた両手にぎゅっと強く力を入れる。お姉ちゃんは何をしてるんだろう。どうして来てくれないんだろう。どうして、こんな事になっちゃったんだろう。なんで密はお姉ちゃんの事を好きになんてなっちゃったんだろう。この気持ちさえなければ、こんな風にならなくって済んだのに。お姉ちゃんを傷付けて。一緒にいられなくなって。密はそう思うと、再び顔を俯けた。

「もう。どうしていいか分かんないよ」

 密はずっと目から溢れ出て、頬を伝い続けていた涙を、手で擦って拭きながら言った。叶も来ず、叶の元に行く事もできない。本当に自分は何をやってるんだろう。あの海の家での事がある前まではあんなに楽しかったのに。お姉ちゃんがいなくなってからはなかったような、楽しい気持ちになってたのに。そうだ。理者の力があった。理者の力を使ってなんとかできないかな。お姉ちゃんの気持ちを変えるとか。駄目だ。無理だ。理者の力は生きている者の心や体に直接変化を加える事はできないんだった。それに、もしもできたとしても、そんなの全然嬉しくなんてない。理者の力でなんでもできるなんていうのは嘘だ。本当は何もできない。肝心な時にいつも役に立たない。未来の事だってそうだった。これじゃ、理者の力がなかった頃と同じだ。お姉ちゃんがいなかったあの頃と、何も変わってない。そんな風に思った密の頭の中を、叶がいなくなった後の暗澹たる日々の様々な出来事の思い出が過った。

「お姉ちゃんが帰って来る前は、放火とかもするほどに、何もかも全部憎んでた」

 密は思い出の中で、苦しみもがいている自分の姿を見つめながら呟いた。

「なんか、何もかも全部壊したくなって来た」

 密は、しばらくの沈黙の後、言葉を漏らした。そうだ。復讐。密を、密とお姉ちゃんと未来とお父さんとお母さんを、苦しめたこの世界に復讐をしよう。この力は、その為の力だ。その為になら使える。密はそう思うと、俯けていた顔を上げた。

「行こう。この世界に復讐するんだ」

 密は言って立ち上がった。

「密」

 叶の声が密の背後から聞こえた。

「お姉ちゃん?」

 密は反射的に振り向きながら声を上げた。

「密。どこ行くの?」

 いつの間にそこにいたのか、密が先ほどまで座っていた階段の横に叶が立っていて、密の方を見つめていた。

「それは」

 頭の中に、密はお姉ちゃんにふられたんだ。密はこれから復讐をしに行くんだという二つの思いが広がり、密は途中で言葉を止めた。

「密。どこにも行かないで。お姉ちゃんと一緒にいて」

 叶が言い、密の方に向かって歩き出す。

「密? どうして何も言ってくれないの?」

 密の傍に来た叶が、何も言わずに黙ったまま叶の事を見つめていた密の両手を、両手でそっと優しく握りながら言う。

「お姉ちゃん。優しくしないでいいよ。お姉ちゃんは密の事好きじゃないんだから」

 密は言い、自分の手を握っている叶の手から、自分の手を引いて抜いた。

「密」

 叶が寂しそうな戸惑ったような顔になりながら言う。

「お姉ちゃん。ごめん。密、やりたい事があるんだ。だから行くね」

 密は言うと、叶に背中を向ける。

「密一緒にいて」

 叶が大きな声を上げ、背後から密に抱き付いた。

「お姉ちゃん。手を放して」 

 密は、抱き付いたりしないで。お姉ちゃんと密の気持ちは違う。だから、こんな事してもらっても全然嬉しくないと思いながら言うと、叶の手を解こうとした。

「あ、あのね。密。聞いて欲しい、大事な話が、あるの」

 叶がか細く震える小さな声を出した。先ほどまでとはあまりにも違う叶の声を聞き、お姉ちゃん、どうしたんだろう? まさか、もう、行っちゃうの? お別れ? と思った密は、叶の手を解こうとしていた手の動きを止めた。叶の手に触れている密の手に、叶の手や体の震えが伝わって来る。密は、声だけでなく叶の手と体も、震えている事に気が付いた。

「お姉ちゃん。どうしたの? まさか、もう、行っちゃうの?」 

 密が聞くと、叶が密を抱く手を放し、密の正面に回る。

「密。えと、ええっと、ええっと。す、す、す、すいか。スイカ食べたくない?」

 叶が震える声を絞り出すようにして、そんな事を言った。

「ふえ?」

 密は自分でも聞いた事のないような、変な声を出してしまった。

「スイカ。スイカ。すい。す。スイカじゃなくって、その、えと、えと」

 そう言う叶の声が徐々に小さくなり消えて行き、叶が顔を俯ける。

「お姉ちゃん? どうしたの? 何かあった?」

 密は叶のおかしな様子に戸惑いながら聞いた。聞いてから、密の所為? 密がたくさん傷付けたから、お姉ちゃん変になった? と叶がもう行ってしまうかも知れないと思った事をすっかり忘れて思った。不意に叶がばっと顔を上げたと思うと、密の両手を両手で握った。

「お姉、ちゃん?」

 叶がそのまま動きを止めたと思うと、密の目を見つめたまま微動だにしなくなったので、密は困惑しつつ聞いた。

「す、す、スコーン。す、す、素昆布。す、す、す、す」

 密の手を握る手にぎゅっと力を入れ、叶が意味不明な事を必死な顔で言い始める。

「お姉ちゃん。落ち着いて。分かった。少しだけ、一緒にいる。だから、ね? お姉ちゃん。大丈夫だから」

 密は、お姉ちゃん本当にどうしちゃったんだろう? と思い、泣きそうになりながらそう言った。

「密」

 叶が泣き出し、涙声で言いながら、密の手を握っていた手を放すと密に抱き付いた。密は抱き返そうかどうかと悩み、手を上げたり下げたりを繰り返す。

「密。密。密」 

 密の胸に顔を埋めながら、叶が繰り返し繰り返し、密の名を呼ぶ。

「お姉ちゃん。ごめん。密が、たくさん傷付けたから」 

 密は言うと、叶の体を躊躇いながら、そっと抱き締めた。

「違う。密の所為じゃない。お姉ちゃん。お姉ちゃん。ええっと。あの、だから。その。お姉ちゃん。密の事が、す、す、す、す、好き、好きなの。好きだって分かったの。お姉ちゃんも密の事が好きになっちゃったの。だから、お姉ちゃんと一緒にいて下さい」

 叶が言いながら顔を上げ「だから」からの言葉を全身から声を出すようにして言った。

「お姉ちゃん!?」

 密は今までの人生で間違いなく、一番驚き、一番喜び、一番大きな声を上げた。だがすぐに、本当なの? 本当にお姉ちゃんは密の好きになったの? 同情とか心配だからとかそういうのじゃないの? と思い不安になった。

「密」

 叶が言い、密の胸に再び顔を埋める。

「お姉ちゃん。凄く嬉しい。だけど、聞いていい? 本当なの? 本当に密の事好きなの? お姉ちゃん、優しいから。本当に密の事好きか心配」

 密は恐る恐る聞いた。

「好きだよ。大好きだよ。密の事を思うと胸がぎゅうって苦しくなる。こんな気持ち初めてだよ。今なら、密の気持ちが分かる。お姉ちゃんも密とチューしたい。密とこうやって、くっ付いてたい」

 叶が密の胸に顔を埋めたまま言う。ああ。ああ。ああ。生きてて良かった。お姉ちゃんが帰って来て良かった。この世界に生まれて来て良かった。密はそう思いながら感動と興奮と喜びの嵐に包まれた。

「お姉ちゃん。じゃあ、いいの? 本当に、いいの? 密、もう、我慢できなくなりそう」

 また、すぐにお姉ちゃんの体を求めたりして、密は最低だ。でも、お姉ちゃんと、エッチな事がしたい。一つになりたい。お姉ちゃんと愛し合ってるっていう証が欲しい。密はそう思うと、言葉を出した。

「それって、エッチな事するって事だよね? いいよ。そういう事すると思ったら、なんか、急に、怖くなったけど、でも、さっきと違う。さっきは不安ていうかうまく言えないけど、そんな風な気持ちの方が強かった。でも、今は違う。嬉しい。密がそう言ってくれて嬉しく思ってる。お姉ちゃん、頑張る。頑張って密と愛し合って一つになる」

 叶が顔を上げて言う。

「お姉ちゃん!!!」

 密は声を上げながら叶を抱く手を放すと、叶をお姫様抱っこの要領で持ち上げた。

「密? ちょっと、これ、駄目。恥ずかしいよ」

 叶が戸惑いながら言う。

「誰も見てないからいいの」

 密は言うと、社の方を向き、猛烈な勢いで走り出した。

「どこ行くの?」

 叶の言葉に密は、社の中。そこで一つになると答える。

「ええ? そんなの駄目だよ。罰が当たるよ」 

 叶が言う。

「密は神様なんて信じてない。だから平気」

 そう言い、社の前にある階段を駆け上がった密は、賽銭箱を飛び越えて、社の扉の前で足を止めた。

「本当に入るの?」

 叶が不安そうな顔になりながら言う。

「うん」

 密は言うと、社の扉に手をかけた。施錠などはされてはいないようで、あっさりと扉が開く。

「もう。お姉ちゃん知らないからね」

 叶の声を聞きながら、密は社の中に入ると、扉を閉めた。

「お姉ちゃん」

 密はしゃがむと、叶をそっと床に下ろし、叶の目を見つめながら言う。

「密」

 叶が密の目を見つめ返して言う。お姉ちゃんがじっと密の事を見つめてる。凄い。こんなのって。お姉ちゃんの密の事を思う気持ちが伝わって来る。密はそう思うと、嬉しさで身震いした。

「お姉ちゃん」

「密」

 密と叶は声を上げ、熱いベーゼを交わす。二人はこの後、滅茶苦茶エッチした。

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