十三 三度テーブルのある部屋にて

文字数 5,290文字

 家に帰って玄関のドアを開けるとすぐに、叶はリッサの名を呼んだ。 

「おお。戻ったか。こっちだ。テーブルのある部屋にいる」 

 リッサの声が返って来たので、密と連れだって、叶はテーブルのある部屋に行く。

「行儀が悪くて済まないが、ここからの方が話しやすい」

 そう言ったリッサはテーブル上にちょこんと座っていた。

「リッサ。滅びが始まったの?」

 叶はテーブルの傍に行き、聞いた。

「始まった。今回は戦争だ。さっきの警報は聞いたか? この国に向かってミサイルが発射された。前々から仲の悪い国があったらしい。そこがついに宣戦を布告した」 

 リッサが叶と密の顔を交互に見ながら言った。

「お姉ちゃん。行っちゃうの?」

 密が叶の隣に来て言う。密のその言葉が叶の胸に突き刺さる。

「リッサ」

 叶は言い、縋るような目でリッサを見た。

「まだ、勇者みたいな何者かは現れてはいない。だが、もう時間の問題だろう。密。俺達は行かなければならない」

 リッサが密の顔を深い黒色の瞳でじっと見つめながら言った。

「お姉ちゃん」

 密が呟き、顔を俯けた。

「リッサ。お願い。もう少し。もう少しだけ、密と一緒にいさせて」

 叶は言いながら隣に立っていた密の体を抱き寄せた。

「叶。分かってるはずだ。勇者みたいな何者かが現れた時、お前をすぐに倒しに来られるように、お前は魔王のような者を演じ、世界中の人間達にこの戦争の原因はお前にあると思わせなければならない」

 リッサが言う。

「でも、密をこのままにしておけない」

 叶は密を抱く手に力を込めながら言った。

「叶。こうしている間にも被害は出てる。そして、滅びの原因となるこの戦争は、必ずこの世界にあるすべての国を巻き込む。戦線が拡大し、この世界全体を巻き込んだ戦争になる前に、お前が倒されなければこの世界は滅びる」

 リッサが言い、理者の力を使ってテーブルの上に小型のテレビを出現させた。テレビの画面にはニュース番組が映っていて、ミサイルによってもたらされた被害の詳細が着弾地点の映像とともに語られていた。

「未来の病院」

 画面が切り替わり新たな着弾地点の映像が映った瞬間、密が言葉を漏らした。叶は密が発した言葉の意味が分からず密の顔を見た。

「今、壊れて、燃えてる未来の病院が、テレビに映ってる」

 密が呆然としつつ、言葉を出す。

「何言ってんの? そんな事あるはず」

 叶はそこまで言って、言葉を失った。テレビから聞こえて来る音声が、未来の入院している病院名を言い、その付近にミサイルが着弾した事を告げた。

「二人とも落ち着け。詳しい事はまだ分からない」

 リッサが言う。叶がテレビの画面に目を向けた瞬間、燃えている病院の建物が倒壊した。密がこの世界のすべてが軋んでいるような悲痛な声を上げ、泣き始めた。密の悲しみと絶望に打ちひしがれた姿を見た叶は、駄目だ。密と一緒になって悲しんでたら、密を支える人がいなくなる。私がしっかりしないと思うと、絶望や悲しみに支配されそうになる心をなんとか鼓舞し、密、きっと、未来は大丈夫と言った。

「病院。行かないと。早く行かないと」

 密が突然大きな声を上げた。

「密。落ち着いて」

 密が叶の腕の中から抜け出ようとしたので、叶は慌てて言いながら密を抱く手に力を入れる。

「叶。これ以上被害を出さない為にも密を置いて行くしかない。お前が行けば、ミサイルの発射を止める事だってできる」

 リッサの言葉を聞いた叶は身を切られるような思いがした。

「お姉ちゃん。そうだよ。早く行って。未来を助けてあげて」

 密が叫んだ。叶は密の顔を見つめる。

「密。お姉ちゃん密の事も心配なの。密は大丈夫? 一人でちゃんと待って」

 叶はそこで言葉を切った。

「密。お姉ちゃんはそのままここに戻って来られなくなるかも知れない」

 叶は少しの間躊躇ってから再び口を開いた。

「じゃあ、密も行く。一緒に行く」

 密の言葉を聞いた叶は、問うようにリッサの顔を見た。

「駄目だ。危険過ぎる。俺達は死なない。だが、密は別だ。もしもの事があったらどうする?」

 リッサが叶の顔を真剣な目で見ながら言う。

「お姉ちゃん。早く行こう。未来を助けて」

 密が言い、叶に縋り付いた。

「リッサ。密は全力で守る。だから一緒に連れて行って」

 叶はリッサの目を見返しながら言った。

「叶。分かってると思うが、俺達は未来を助けには行かないぞ。密。勘違いはするな。俺達は未来を助けに行くんじゃない」

 リッサが言う。

「どうして?」

 密が声を上げた。

「俺達は世界を救う為に来た。特定の個人を助けに来てはいない」

 リッサが言うと、密がリッサを睨むように見た。

「だったら、さっきなんでミサイルを止めるって言ったの?」 

 密が大きな声を出す。

「被害を少なくする事は別だ。直接助けるのとは違う」

 リッサが言う。

「何それ。お姉ちゃん。もういいよ。行こう。二人で行って未来を助けよう」

 密が言ったが、叶は何も言えず、その場から動く事もできなかった。どうすればいい? 今も、ミサイルが飛んで来てる。被害も拡大してる。大勢の人が死んだり怪我をしたりしてる。未来の安否も分からない。密を連れて行く事も置いて行く事もできない。叶の頭と心の中には思考と感情の嵐が吹き荒れていた。

「駄目だ。リッサ。ごめん。私には無理。密も未来も見捨てられない。私、未来を助けに行く。未来を助けたら、密の所に戻って来る」

 叶は、頭と心の中にあったすべてを吐き出すようにして言うと、姉御。私、仕事ちゃんとできなかったと心の中で謝った。

「叶。前にした話を忘れたのか? 駄目だと言っただろう」

 リッサが言う。

「覚えてる。でも、行かないと」

 叶は言い、密の方を見た。

「密。少し待ってて。お姉ちゃん必ず戻って来るから」

「うん。分かった。待ってる」

 叶の言葉を聞いた密が言い、安らいだ笑みを顔に浮かべる。密の笑みを浮かべる顔を見て自身も笑みを顔に浮かべながら、密から離れた叶はドアの方を向くと歩き出そうとした。

「駄目だ。叶。行くな」

 リッサが声を上げ、テーブルの上から飛び下り、行く手を遮るようにして叶の前に立った。

「リッサ。どいて。もう決めたんだ。今はとにかく未来を助けに行く。その後の事は、また後で考える」     

 叶は言い、決意を込めた目をリッサに向けた。

「一度歯止めを失えば、お前は止まれなくなる。理者の力の誤った使い方をし続ける。だから行くな」

 叶は心の中でリッサごめんと言いながら、リッサの言葉を無視して、歩き出した。

「叶。駄目だ。止まるんだ」

 叶は声を上げるリッサの横を通り抜けようとした。テーブルの上に置かれ、誰も聞いていない中で、音声を発し続けていたテレビが再び飛来したミサイルが倒壊した未来の病院に着弾したと告げた。その報を聞いた叶は呆然として足を止め、密が発狂したような叫び声を上げた。

「叶。密。落ち付け。とにかく落ち着くんだ」

 リッサが言う。叶はリッサの言葉を聞き、我に返ると、リッサの方に顔を向けた。

「リッサ。密をお願い」

 とにかく行こう。行って未来を助ける。未来はきっと生きてる。諦めちゃ駄目だ。叶はそう思いながら言い、玄関に向かって走り出した。

「行くなと言ってるだろう」

 そう言って叶の後を追うようにして走り出したリッサが、理者の力を使って家中の開いていたドアというドアを閉めた。リッサがドアを閉める前にテーブルのある部屋を出ていた叶は玄関に着くと、玄関のドアを開けようとしたが、施錠されていてドアを開ける事ができなかった。鍵を開けようとするが、理者の力でサムターンが固定されているようで、鍵を開ける事もできなかった。

「叶。理者の力は使うな」

 叶の背後にいたリッサが言う。

「リッサ。開けて。開けてくれないなら理者の力で鍵を開ける」

 叶は振り向いて言った。

「叶。やめてくれ。頼むから、俺の言う事を聞いてくれ。俺はお前は失いたくない」

 リッサが言い、リッサのかわいい顔が酷く悲しそうな顔なった。

「リッサ。私は、私は、ごめんなさい」

 叶はリッサの顔を見つめながら言った。

「叶」

 リッサが言う。

「リッサ。ごめんなさい」

 叶は言い、ドアの方を向くと、理者の力を使おうとした。

「待て。理者の力を使うな叶。俺の話を聞いてくれ。これで最後だ。今からする俺の話を聞いても、お前が、まだ行くというのなら、俺はもうお前を止めない」 

 リッサの言葉を聞いた叶は、躊躇い苦悩しつつも理者の力を使う事をやめ、リッサの方を見た。

「俺は、理者の力を自分の為に使って世界を滅ぼした奴を知ってる。そいつも初めは自分の家族の為だった。そいつは、勇者みたいな何者かに選ばれ、世界を救う為の力を得たんだ。だが、その力を別の事に使った。家族を助けた後そいつは、世界を救う為の戦いを放棄して目の前にある危機の対処に奔走した。目の前にいる者を失う事をそいつは恐れた。自分の家族や周囲の危機を見捨てるべきだったのにそいつはそうしなかった。大局を見誤ったんだ。そいつがやるべき事は姉御が演じる魔王のような者を倒す事だった。姉御はそいつに忠告した。人助けをやめて私を倒せと言った。そうしないと世界が滅びると。だが、そいつは、戦おうとしなかった。その結果そいつはすべてを失ったんだ」

 リッサが言葉を切って、目を伏せた。

「リッサ。私は勇者みたいな何者かじゃない。私はちゃんと倒される」 

 叶は言った。リッサが小さく首を左右に振った。

「そいつも姉御に必ず倒すと言ってた。だが、できなくなって行ったんだ。そいつの力を知った周囲の者達がそいつを頼り始めたんだ。お前が未来の為に行動すればお前の力を大勢の人間達が知るだろう。今のお前に自分を頼って来る者達を見捨てる事ができるか? 魔王のような者を演じる一環として頼って来る者達の面倒を看るならばいいが、お前にそれができるか? これは演じる為なんだと割り切って残酷な判断をする事ができるのか?」

 リッサが言い終えると伏せていた目を上げた。

「それは」

 叶はそこまで言って口ごもった。

「お姉ちゃん。どうしたの? まだ家の中にいるの?」 

 密の声がテーブルのある部屋の中、閉まっているドアの向こうから聞こえた。

「リッサ。ごめん。とにかく私は行く」

「待て。待ってくれ。まだだ。まだ、行かないで聞いてくれ。俺なんだ。俺は世界を一つ滅ぼしてるんだ。お前に俺と同じ思いをさせたくない。自分の生まれた世界を、大事な者達のいる世界を、滅ぼすような事をお前にさせたくない」

 叶の言葉を聞いたリッサが大きな声を上げた。

「リッサ?」

 叶は言葉を漏らした。

「俺は情けない奴だ。こんな時だっていうのに、お前に俺の過去を隠したいと思ってた。お前に嫌われたくないと思ってしまってた。だが、そんな事はもうどうでもいい。お前に俺と同じ思いをさせたくない。世界を滅ぼしたという罪を背負わせたくない」

 リッサが言葉を切ると、リッサの小型犬然とした顔に今まで見た事のないような苦悩の色が浮かんだ。

「話し出した時から分かっていたかも知れないが、今の話に出て来たそいつとは俺の事だ。俺は、昔、勇者みたいな何者かだった。俺は自分の思うように行動してしまった。そしてその結果、イヌトリカンの世界を滅ぼした。家族も友人も、大勢の大事な者達を失った。俺はずっと、この記憶を引きずって生きてる。本来ならば、世界を救った時点で、救われた者達からも救った者からも、勇者みたいな何者かが存在し世界を救ったという記憶は消えるはずなんだ。だが、俺の場合は消えてはくれない。世界を滅ぼし、仕事を不完全な形で終わらせてしまったからだ。仕事を終えても元々記憶が消えたりはしないお前には確実にこの世界を滅ぼしたという記憶が残る。お前には俺みたいになって欲しくない」

 リッサが言いながら、懇願するような目で叶を見た。

「リッサ」

 叶はそれ以上言葉を出す事ができなかった。叶の頭の中にリッサと初めて出会った時の事や、リッサや姉御と一緒に過ごした日々の思い出が去来した。リッサは今まで、どんな思いを抱きながら生きて来たんだろう。リッサはどんな思いで今、私にこの話をしてくれたんだろう。未来は助けたい。でも。このままリッサの気持ちを無視して行ってしまっていいんだろうか? リッサの言葉と思いの為に気持ちが揺らぎ、叶はそう思った。

「ん? これは? 叶。勇者みたいな何者かが覚醒した」

 リッサが言った。
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