第12話 縁は異なもの?

文字数 1,775文字

 智との再会から二か月が過ぎた。
 一週間にわたる平成最後の関西ツアーを終えたぼくは、ドラム一式を載せた機材車を見送り、久しぶりに一人新幹線に乗った。最後の二晩は京都公演だったが、鈴鹿のレースと日程が重なっていたために敢えて連絡しなかった。
 智の夫が引退したら、二人でゆっくり聴きに来て貰おう。その時は久しぶりに『Σοφια』を演奏して聴かせようか――そんなことを考えているうちに、列車は京都駅をゆっくり滑り出した。

 あらためて自分に問いかけてみる。
「もし、十九年前に智のすべてを知っていたら、ぼくはありのままの彼女を受け止めることが出来ただろうか? 」
 今の自分なら、自信を持って「もちろん」と答えられる。でも、あの頃の自分はどうだったろう?

 諺に「袖振り合うも多生の縁」とあるが、「多生の縁」は前世から出会いと別れを繰り返してきた深い因縁を意味するという。
 ぼくたちはいったい何度、生まれ変わり死に変わり、出会いと別れを繰り返したら真のパートナーに出会えるのだろうか。

 最愛の人を見失った自分は愚かな男だ。きっとこの先も結婚したいと思うような女性は現れないだろう。でも、今の自分は不幸かと問われたら、「この人生まんざらでもない」とぼくは答える。
 妻も子供もいないし、身寄りは宮崎に嫁いだ姉とその家族だけ。でも、自分を必要としてくれている人たちがいる。顔を合わせれば言葉に出さずとも音楽で対話できる仲間たちがいる。東日本を襲った震災後に東北で開始したプロジェクトも継続的な成果を挙げ、教え子の中からも次代を担うミュージシャンが何人か育っていった。蓄えは生活に困らない程度にはあるし、これから先のプランもいくつかある。

 自動車雑誌を広げて新型車の試乗記を読みながら、最近故障が増えたうえに、来年から税金も上がる乗り慣れたシトロエンのステーションワゴンをそろそろ乗り換えようか――などと思いを巡らしていたら、通路を隔てて斜め向かいの男性が広げていたスポーツ新聞の見出しが目に入った。
 最初は我が目を疑ったが、視線を凝らすと『飯田輝之 事故死』と確かにそう読める。

 ぼくは車内販売を探し回って同じスポーツ新聞を手に入れ、食い入るように記事を読み始めた。
『飯田輝之選手は、金曜日のテスト走行中に最終コーナーで多重事故に巻き込まれてクラッシュし、意識不明の重体となっていた……』
 読み進めるうちに身体が小刻みに震える。
『搬送先の病院で集中治療を受け、意識も回復して快方に向かうとみられていたが、その後容態が急変し、本日午前一時十分に死亡が確認された。死因は多臓器不全で、事故の衝撃によるものとみられる。享年四十九歳。日曜日の決勝レース前には、参加者全員による黙祷が捧げられる。飯田選手はル・マン二十四時間耐久レースをはじめ……』

 運命とはなんと過酷なものだろう。
 目を閉じると喪服姿の智が瞼に浮かぶ。間もなく誕生日を迎える彼女は、いったいどんな思いで最愛の人の死を受け止めているのだろう?
 涙が頬を伝って流れ落ちる。それは悲しみというよりも、怒りにも似た悔し涙だった。
 ぼくは自問自答した。
 今の自分にいったいなにが出来る?
 あの日の孝さんのような役割を自分が果たせるとは到底思えない。それに、ぼくが駆けつけたところで智にとっては迷惑なだけかもしれない。
 ただただ虚しく、ぼくは拳で膝を叩くばかりだった。

 智に聴かせたあの曲が無性に恋しくなった。
 プレイリストからブライアン・マックナイトを探しだし、ヘッドフォンのボリュームを少し上げ、『バック・アット・ワン(Back at One)』を選んで再生アイコンをクリックする。
 ワン、トゥー、スリーに続く歌詞を、ぼくはいつの間にか自分流に口ずさんでいた。

……君は夢にまでみた理想の人
……ぼくはただ君と一緒にいたいだけ
……智、これだけは確かなんだ。君はぼくにとってたった一人の人

 そっと見守るだけでもいい。大切な人が苦しんでいるとき、そばにいてあげたい――心の底からそう思えたとき、漆黒の空の向こうで両親が微笑んでいるように感じた。

 まだ最終には間に合うはずだ。
 新横浜で途中下車すると、ぼくは駆け足で下りのホームに向かった。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み