第6話 Σοφια(ソピア)

文字数 3,094文字

 初めての出会いのあとに味わった熱病のような想いもようやく冷め始め、智のことを少し忘れかけた頃、たまたま手にした週刊誌で、ぼくは彼女がミスソフィアのファイナリストに選ばれていたことを知る。

 コンテスト当日は急ぎの予定がなかったため、ソフィア祭に足を運んでみた。
 想像以上の来場者数に驚いたが、そこで智が直前に辞退していたことを知り、落胆したぼくは深く溜息をついた。その一方で少し安堵したのは、報道関係者だけではなく、長いレンズを着けたカメラをローアングルから構える男たちの姿を見て、彼女が好奇の目にさらされるのを快く思わなかったからだろう。
 辞退の理由が心配になったぼくは、親戚と偽って関係者に尋ねてみた。
「病気でも事故でもないんですよ。家庭の事情と言うことで突然辞退されて困ってるんです」と、担当者から迷惑そうに言われてしまった。

 その日、暗くなるまでキャンパスを探し回ったが、智の姿は見当たらなかった。

 ぼくは智のことを忘れようとした。しかしいくら他の女性と付き合っても、彼女の面影は頭を離れない。むしろ、他の()との付き合いが長くなるほど智が恋しくなった。姉以外の家族を失ったことで、いつしか単なる恋愛対象ではなく、心の底から信じられるパートナーを求めるようになっていたからだろう。

 出会って三年めの春、二度目の熱病のように智を思う気持ちが抑えられなくなり、その情熱は楽曲に生まれ変わる。手を加える度にタイトルは変わり、『TOMO』は『Sophia』に、そして『Sophie』へと変化していった。最後に『Σοφια』と名付けたその曲を、一年がかりで制作中だった初のソロアルバムの最後に収めた。

 智の二十五歳の誕生月に当たる四月にリリースされたアルバムは、一部ではそれなりに評価を得たが、セールスはさっぱりだった。
 アーティストとしての拘りから直接的なタイトルを付けなかったから、智に気づいてもらえるはずもなく、渡したくても,彼女がどこにいるのかさえも判らない。もう少しわかりやすいタイトルにすれば良かったとぼくは少し後悔していた。

 秋になるとまた智が恋しくなる。大学院に進学したのではないかと思い、知り合いの大学関係者に調べて貰ったところ、卒業と同時に就職していたことが判った。
 ところが、四ツ谷駅から目と鼻の先にある勤務先を訪ねてみたら、彼女はすでに退職した後だった。
 未練が棄てきれず、気づくと上智大のキャンパスの周辺を歩き回っていた。ちょうど世間では女子大生のストーカー事件が毎日のように報道されていたから、いい大人がなんて馬鹿なことをしてるんだろう――と自己嫌悪に陥り、ぼくはひどく落ち込んだ。


 智と出逢って五年めの一月、西宮の母の実家跡地で花を捧げ、祈りを手向けたぼくはその足で一人比叡山に旅をする。
 智と出会った頃は最澄が開山した延暦寺(えんりゃくじ)がそこにあることさえ知らなかったが、その地が天台宗の総本山であると知って、幼い頃に「うちの先祖は天台の偉いお坊さんだった」と祖母から聞かされていたことを思い出した。
 やがて、日本仏教の母と呼ばれる延暦寺に興味を持ったぼくは、図書館に通ってその歴史を紐解くことに愉しみを覚えるようになる。
 もし、智が少女時代を過ごした地を訪れてその空気を吸えば、彼女にこれほど強く惹かれる理由がわかるように思えた。しかし、その日までなかなかまとまった時間が得られず、五年目にやっと願いが叶った。

 京都の山科を経由して琵琶湖に向かい、大津から愛車のアルファロメオGTVのノーズを比叡山に向ける。
 片側一車線の下鴨大津線を登っていくと、中腹に住宅街が開けていて、智の実家はこの辺りかもしれないと思ったぼくは、小さな喫茶店でひと息ついた後、比叡山ドライブウェイを通って延暦寺を目指す。登り始めて間もなく、坂の途中に小さな駐車スペースがあり、その奥によく展望台でみかける有料の望遠鏡が見えた。クルマを駐めて降りてみたら、予想通り大津市を一望できる絶景ポイントだった。
 ダウンパーカーの襟を起こし、肌を刺す冷たい風の中に一人立って、ぼくは遠い(いにしえ)を夢想した。

 天台僧となった津軽の先祖は、この地で出家得度を受け修行僧となった。
 もし、山野を駆け巡る行の途に大津に育った智の先祖と出会い、すれ違いざまその美しさに心を奪われたとしたら?――ぼくが智のことを忘れようと苦悶したように、彼は煩悩と闘いながら厳しい行に励んだに違いない。

 横川(よかわ)を除く延暦寺の境内地を巡って東塔と西塔に点在する堂宇を参拝したが、わずか半日程度で全てを廻りきれるはずもない。
 その日の最後に、ぼくは最初に参拝した根本中堂をもう一度訪れ、境内の至る所で見かけた『一隅を照らす』という運動の意味を実感した。
 幾度となく焼け落ちては再建されてきた根本中堂の宝前に輝く「不滅の法灯」は、伝教大師最澄が点して以来一千二百年のあいだ消えることなく灯され続けているという。
 かつて延暦寺で修行した先祖も、きっとその目に焼きつけたであろうその灯が照らし続けた年月を念えば、智を求めて彷徨(さまよ)ったこの五年の月日などほんの一瞬のことのように感じられた。

 歴史と伝統に圧倒されながら根本中堂を後にし、夕暮れの参道を歩く道すがら、掲示板に貼られた一枚のポスターが目に止まる。
 まだその日の宿を決めていなかったぼくは宿坊で一泊し、一夜明けてポスターに掲載されていた修行体験に参加した。
 とは言え、わずか三時間程度、他の参加者とともに座禅や写経に励んでも、「空」の心は遙か彼方に思え、いったいどれほどの修行を積んだら、煩悩に支配されない堅固な精神を確立できるのかは想像もできなかった。それでも、自分にとっては得がたい体験であり、この先幾度も比叡山を訪れることになるだろうと確信していた。

 参拝や修行体験の功徳か、それとも先祖の天台僧が力を貸してくれたのか、その年の春、運命の女神が後ろ髪を見せてくれた。

 ソロアルバムに参加してくれたプレイヤーから依頼され、レコーディングのために訪れたLA(ロサンゼルス)で、日本で智の世話になったというミュージシャンに出会った。
 彼の話によると、つい一週間ほど前までLAに滞在していたという。
 残念ながら彼女は帰国した後だったが、聞き込み調査のように人脈を辿っていったところ、智は現地の会社と契約し、五月の初めからしばらくLAに暮らす予定だと判った。
 ちょうど、LAを中心に活動を開始する新しいバンドユニットがドラマーを募集していて、ぼくはプロデューサーから声を掛けられていた。
 現地に腰を据える必要があるために渡米前は乗り気にならなかったが、智の話を知ったぼくは即刻オーディションに参加し、すんなりと採用が決まった。そして、五月から始まるレコーディングに参加する契約を済ませて一時帰国した。
 ぼくは帰国前に智の契約先の会社名と連絡先を書き留めたが、帰国後にメールを送っても一向に返信はなく、電話も繋がらなくなっていた。
 心の中に暗雲が立ちこめる。彼女はほんとうに五月からLAに来るのだろうか? 東京の都心よりも遙かに広いLAで、もし同じ時期に暮らしていても、東京でさえ再会できなかった智に出会うチャンスなどあるのだろうか?

「もし縁があれば必ずまた逢える――そう思えませんか?」と彼女は言った。
 もし縁が無かったら?
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