第2話 ぼくが結婚しない理由(わけ)

文字数 1,308文字

 なぜこの歳になるまで独身を通しているのかとみんな不思議がる。
 ぼくは逆に、なぜ結婚したいと思うほどのパートナーに巡り会えたのかと周りの人に聞いてみたい。
 三度も四度も結婚を繰り返す友人もいるが、聞くと「理由なんてない」と言う。

 教え子から「先生もつきあった女性はいますよね?」と質問されることもあるが、そんなときは決まって二年間一緒に暮らしたジェシカの話をする。しばらくコンビを組んでいたベーシストの名を聞くと、うちの音大でドラムを選択するような子はそれ以上質問してこない。インターネットで「ジェシカ・ロドリゲス」と検索すればいくらでも情報が得られるから。そうそう、スペインの女子サッカー選手とはなんら関係ない。単なる同姓同名だ。

 ジェシカは理想のリズム・パートナーだったし、フィジカルな面でも理想的なパートナーだった。要するにセックスの相性が抜群だったという意味だが、恋多き女は人生のパートナーには程遠かった。結局、彼女との関係はバンドユニットの解散とともに自然と解消し、以来十七年近くぼくには特定のパートナーはいない。
 巷ではゲイの噂が絶えないが、面倒なので敢えて否定も肯定もしないことにしている。

 ぼくが結婚したいと思った女性は、後にも先にも( とも)一人だけ。智に出会わなかったら、今の自分はなかったし、今の人生は得られなかった筈だ。
 今でもときどき夢を見る。夢の中の彼女はぼくと家庭を築き、ときには小さな子供をあやしている。しかし、残念ながら智とはジェシカのような関係にさえ至らなかった。

 智が結婚したことは十年以上前から知っていたが、夫のことはつい最近雑誌のインタビュー記事を読むまでまったく知らなかった。
 インタビューの核ともいえる智の夢――アフガニスタン難民を含む教育を受けられない女性たちのためにパキスタンに学校を建設する計画――は実に彼女らしいと思えたが、記事の最後に書かれていた彼女の夫が、ぼくが想像していた男性像とかけ離れていたことに大きな衝撃を受けた。
 もし智に再会できたら聞いてみたかった。
 十九年前に傷心の彼女を慰めていた孝さんとはいったいどういう関係だったのか?
 そして、なぜレーサーのような危険な職業の男を夫に選んだのか?

 智が雑誌のインタビュー取材を受けていた築地の店を見つけて足繁く通ううちに、彼女が単なる常連客ではなく、店のプロデュースに携わるオーナーの一人だと知った。
 何度訪れても遭遇するチャンスには恵まれなかったが、それもそのはずで、彼女は京都の東山に住んでいるという。活動の拠点は関西で、東京の店にはたまにしか来ないらしい。

 一月十七日の早朝、西宮の震災記念碑公園で黙祷を捧げ、ぼくは東京に帰る途中で京都に立ち寄り、東山を訪れて哲学の道で思いを巡らせた。いつまで偶然に頼っていても、この先ずっとチャンスは訪れないかもしれない。東京に帰ったらこちらからアプローチしようと心に決め、帰京するとすぐに店で知り合ったもう一人のオーナーに伝言を頼んだ。
 数日後に智からメールが届き、築地の店で智との再会が実現することになった。
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