第4話

文字数 2,091文字

自分の部屋に戻り、スーツケースを広げて中の物を取り出していると、ドアにノックの音がした。覗き穴で確認すると、さっき紹介してもらった佐藤君ともう一人の男性の姿が見えた。僕は注意深くドアを開けた。佐藤君がデリで買ってきたという小さな紙袋に入った温かい紙コップのコーヒーを渡してくれ、このホテルに滞在している駒田さんを紹介してくれた。そして、部屋に入ってもいいかと聞いた。


「はい、どうぞ」


佐藤君がベッドの縁に座り、駒田さんが窓際の三脚の丸い木のテーブルの椅子に腰かけながら聞いてきた。


「観光?」


「違います」そう言うと、佐藤君は僕の顔を見上げて、「学生ビザで来たんだろ?」と、言って、ぶっきらぼうに僕に聞いた。「ねえ、渋谷のあそこに、いくら金払った?」


僕は、学校の授業料と飛行機代とは別に、現地のサポート代(空港の出迎えと、住むところの手配も含まれていた)と言う名目で渋谷の留学センターに十五万円払ったことを話した。すると、あそこの留学センターを通してきたことがどんなにバカだったかと言うことを佐藤君がこぼし始める。


その内容はこうだ。


佐藤君は警備のアルバイトをしながらお金を貯め、三ヶ月間ニューヨークで暮らす目的で来た。初めての海外旅行ということもあって、空港の出迎えと住むところの手配を渋谷のあそこに頼んだそうだ。もちろん、飛行機代とは別に現地のサポート代という名目で十五万円を支払って。


早い話がその十五万に納得がいっていないようなんだ。


「でも十五万で安心を買ったと思えば安いほうなんじゃないんですかねぇ」とまあ、正直なところ、親の金で来ていた僕としては特にどうでもいいことだったので、チェストにもたれかかってコーヒーをすすりながら聞いていた。


佐藤君が「ここに連れて来られたときどう思った?」と僕に聞いた。


「そりゃあ、騙されたと思いましたよ」


「だろ」


「ええ、たしかに」と、佐藤君にシンパシーを感じ始めたとき。オーロラの写真を撮りにアラスカへ行く途中にただニューヨークに立ち寄っただけの駒田さんが口をはさんできた。


「何もそんなところに頼まなくたって、地球の歩き方にこのホテルに出てるのに」


「ええっ!」僕はびっくりして尋ねた。「このホテルって地球の歩き方に載ってるんですか!」


「見てごらんよ」駒田さんにそう言われて、日本から持ってきた地球の歩き方をスーツケースから引っ張り出してパラパラとめくった。すると、ホテルリスト(ミッドタウン・ウエスト)の箇所にちゃっかりここも紹介されているではないか。


「ホントだ! けして快適ではないって書いてあります」僕が駒田さんを見ると、駒田さんがこう続けた。


「ここで働いてるメキシコ人の男には気を付けた方がいいよ、俺たちが外出したのを見ると、合鍵を使って、部屋に入ってきて、ものを盗むから」


佐藤君が言った。「貴重品は持って出た方がいいぞ」


「マジすか……」真顔でそう言うしかなかった。嘘なのかほんとなのかさっぱり分からなかった。それからこの二人が僕に対してやや冷たい印象も受けた。でも何か話そうと思い、とりあえず駒田さんに年を尋ねた。


「どうしたんだよ急に、二十四だけど、なんで?」


「あ、いや、なんかニューヨークじゃ年齢は関係ないって聞いたんですけど、それ本当なんですかね?」


「そう言うこと言う人たまにいるよね」と駒田さんが言った。「でも、そういうこと言う人たちって、たいてい年とってる人たちだからさ」


佐藤君なら知っていると思って、吉見政二の年を聞いたら、佐藤君は笑いながら言った。


「あれは、五十かもな」


「そんなわけないじゃん」僕はこの時ようやく笑うことができて、ちょっとだけほっとしたのを覚えている。


僕が見る限り、吉見政二は30から40歳だ。


二人が帰ったあと、僕は部屋に備え付けのタオルと小さな石鹸を持って、共用バスルームに向かった。


さっきまで誰かがシャワーを浴びていたらしく、湿気や水滴でタイル張りの床にたくさんの泥の靴跡がついていた。


ひとまずウンコをしようと思い、閉じてあった便器のフタを開けた。すると、トレットペーパーの固まりと、糞と、黄色い水が溢れるか溢れないか寸前のところでとまっていた。新宿駅の公衆便所なみの汚さだった。


なので、うえー、と思いながら、たいして変わらなそうだけど、向かいのもうひとつのバスルームに行きウンコをした。それからドアのフックに脱いだ服を掛けて裸になり、鳥肌が立つくらい気持ちの悪いバスタブの中に素足で入り、シャワーの下に立って、シャワーカーテンを引いて、シャワーを浴びた。けど、シャワーの出がよくなくて、バスタブをまたぎ、服とタオルと靴を持ち、人がいないか確かめてから、濡れたままのすっぽんぽんの状態で、エレベーターを囲むらせん状の階段を二段抜かしで一気に駆け上がって、五階に来た。


嘘だろ! 勘弁してくれよ。両方とも使われていたので、エレベーターを囲むらせん状の階段をドタバタと駆け下りて三階へ向かい、こんなところに一ヶ月分の家賃を払ってしまったことを後悔しながらシャワーを浴びた。


ニューヨークの第一夜はそんな感じで終わった。





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