第17話
文字数 2,168文字
夜、眠れず、暇だから服に着替えて八番街をぶらついた。
だからどうしたって自分がちっぽけな存在に思えてくるんだよ。やることがねぇんだから。
ホテルから5ブロックほど歩くと、ポルノショップが42丁目のバスターミナルの方まで続き、さらにその交差点を左に曲がってタイムズスクエアまで、ものすごい数のいかがわしい店が立ち並んでいた。店の中は過激な性的コンテンツや露骨なポルノグラフィが並んでいて、目を覆いたくなるようなものばかりで、暗澹たる気分にならざるを得なかった。ていうのは嘘で、よく見にいっていた。退屈しのぎにはなるからね。そして、金髪の痩せた女がデリのドアのそばに立ち、うつろな目で僕に話しかけてきた。
「ちょいと、ねえ、タバコ持ってない?」
僕はタバコなんか吸わないから「持ってない」と答えた。けど、何か話をしてみようと思い、近寄っていったが、思うように意思の疎通がとれなかった。急に怒って独り言をいったかと思えば、タバコを吸っている奴が通るとねだりに行ったりもする。
そのうちに「ねえ、ホテルに行かない?」と誘われ、女が僕を連れて、横断歩道を渡り、少し行った先の路地に入っていった。老朽化したアパートが立ち並ぶ、看板もない建物の前で立ち止まり、ドアをノックした。すると、二階の小窓が開き、禿げたアジア系の男が顔を出した。女はその男に何かを頼んでいたが、ダメだったようで、違う場所に向かって歩き始めた。そして僕に振り返り、尋ねた。
「ねえ、あたい、ポテトチップスが食べたいんだけど、買ってくんない? ダメ? 50セントよ」
僕がこう言うと、「ホワイ?」
とたんにヒールで地面を踏みつけ、すさまじい形相で僕を罵り出した。
「このろくでなしのクソ野郎! お前なんか死んじまえ! 死んじまえって言ってるんだよ!」
僕は走って逃げた。途中の交差点の信号が赤で立ち止まっていると、走って来た何者かが、腕を掴かんだので、びっくりしてふりむくと、ヒスパニック系の若い男が地面に向かって息をあえがせ、顔をあげて息を整えてから、「5ドル払うから、君のチンポコしゃぶらせてくれないか?」なんてことを言うから、僕はそいつの手を意味ありげに見ながら、恐怖と不快感を抱く一方で、男にしゃぶられたらどんな気持ちになるのか試してみようとも思った。しかし、当時はエイズが騒がれていたし、コイツがレクター博士みたいな奴でさ、チンポコを噛み切られるたらどうしようかなあ、なんて考えちゃって、結局、僕はその手を払いのけ、猛ダッシュでボロホテルに戻った(とはいえ、そんなことは幾度となくあり、変態がたくさんいた)。プラスチック製のドアを開けてもらい、ロビーを突っ切って、チェッカーフラッグのようなパネルの廊下を急ぎ足で歩き、エレベーターのボタンを押して待っていると、公衆電話ボックスから出てきた男と視線が合い、向こうが日本語で声をかけてきた。
「あの……日本人の方ですか?」
短髪で、日焼けした浅黒い顔は、アラブ人とも黒人とも見える風貌で、日本人にはまったく思えなかった。けれど、その人は日本語で話しかけてきた。
「いや、ほら、俺、中東の方を旅してきてさ。今日の午後にニューヨークに着いたんだ。だから、何て言うか……その……情報交換とかできたらと思って、君に声をかけたんだけど……」
インターネットが普及する前のことだから、情報の交換と聞いて、彼に「ここでちょっと待ってもらえますか」と言って、階段を駆けあがって、僕は自分の部屋にOCSニュースの新聞をとりにいった。なんだか嬉しくて、自然と顔がほころんでくるのをおさえることができなかった。そして戻ってきて渡した。
「へーえ、こんな新聞があったなんて知らなかった。これ借りてもいいかな?」
「それもう見たんで、あげますよ」
「そう? わるいね。俺、三澤っていうんだけど、もしよければ、君の部屋番号を一応教えてもらってもいい? いろいろと情報を交換しようよ」
観光で来たとか、英語学校に通っているとか、お互いのことを少し話して、その夜はそこで別れた。
次の日、学校から帰ってきて、フロントの前を通りかかったとき、メキシカンが僕を追いかけてきた。
「なあ、マリファナをどこで手に入れたのか教えてくれよ。友達があれを欲しがっているんだ」たぶん、ロドニーのいうとおりいいマリファナなのだろう。メキシカンはエレベーターに一緒に乗り、部屋までついてきた。
僕はチェストの一番上の引き出しからマリファナを取り出して見せた。
「これ?」
メキシカンの顔が輝いた。「そう」
この前渡した分を引くと四十ドルになるが、それに加えて、はっきり言えば、ほかにもあげたり吸ったりした。でも、ひとまず反応をうかがってみた。
「五十ドルで売ってあげる」
メキシカンはオーケーと言って、お金を取りに行った。ひょっとしたら、どこかの部屋にお金を取りに行ったのかもしれない。そう思って待っていると、しばらくして戻ってきた。
僕はドアを開けてやり、マリファナを渡す前に、半ば面白がるように言った。
「マイ ファーザー ヤクザ」
その声をさえぎるように、「アイ ノウ アイ ノウ」と、メキシカンはすばやく胸に十字を切った。
僕はマリファナを渡してやり、ドアを閉めた。
50ドルが戻ってきて、なんだか少し得をしたような気分になった。
だからどうしたって自分がちっぽけな存在に思えてくるんだよ。やることがねぇんだから。
ホテルから5ブロックほど歩くと、ポルノショップが42丁目のバスターミナルの方まで続き、さらにその交差点を左に曲がってタイムズスクエアまで、ものすごい数のいかがわしい店が立ち並んでいた。店の中は過激な性的コンテンツや露骨なポルノグラフィが並んでいて、目を覆いたくなるようなものばかりで、暗澹たる気分にならざるを得なかった。ていうのは嘘で、よく見にいっていた。退屈しのぎにはなるからね。そして、金髪の痩せた女がデリのドアのそばに立ち、うつろな目で僕に話しかけてきた。
「ちょいと、ねえ、タバコ持ってない?」
僕はタバコなんか吸わないから「持ってない」と答えた。けど、何か話をしてみようと思い、近寄っていったが、思うように意思の疎通がとれなかった。急に怒って独り言をいったかと思えば、タバコを吸っている奴が通るとねだりに行ったりもする。
そのうちに「ねえ、ホテルに行かない?」と誘われ、女が僕を連れて、横断歩道を渡り、少し行った先の路地に入っていった。老朽化したアパートが立ち並ぶ、看板もない建物の前で立ち止まり、ドアをノックした。すると、二階の小窓が開き、禿げたアジア系の男が顔を出した。女はその男に何かを頼んでいたが、ダメだったようで、違う場所に向かって歩き始めた。そして僕に振り返り、尋ねた。
「ねえ、あたい、ポテトチップスが食べたいんだけど、買ってくんない? ダメ? 50セントよ」
僕がこう言うと、「ホワイ?」
とたんにヒールで地面を踏みつけ、すさまじい形相で僕を罵り出した。
「このろくでなしのクソ野郎! お前なんか死んじまえ! 死んじまえって言ってるんだよ!」
僕は走って逃げた。途中の交差点の信号が赤で立ち止まっていると、走って来た何者かが、腕を掴かんだので、びっくりしてふりむくと、ヒスパニック系の若い男が地面に向かって息をあえがせ、顔をあげて息を整えてから、「5ドル払うから、君のチンポコしゃぶらせてくれないか?」なんてことを言うから、僕はそいつの手を意味ありげに見ながら、恐怖と不快感を抱く一方で、男にしゃぶられたらどんな気持ちになるのか試してみようとも思った。しかし、当時はエイズが騒がれていたし、コイツがレクター博士みたいな奴でさ、チンポコを噛み切られるたらどうしようかなあ、なんて考えちゃって、結局、僕はその手を払いのけ、猛ダッシュでボロホテルに戻った(とはいえ、そんなことは幾度となくあり、変態がたくさんいた)。プラスチック製のドアを開けてもらい、ロビーを突っ切って、チェッカーフラッグのようなパネルの廊下を急ぎ足で歩き、エレベーターのボタンを押して待っていると、公衆電話ボックスから出てきた男と視線が合い、向こうが日本語で声をかけてきた。
「あの……日本人の方ですか?」
短髪で、日焼けした浅黒い顔は、アラブ人とも黒人とも見える風貌で、日本人にはまったく思えなかった。けれど、その人は日本語で話しかけてきた。
「いや、ほら、俺、中東の方を旅してきてさ。今日の午後にニューヨークに着いたんだ。だから、何て言うか……その……情報交換とかできたらと思って、君に声をかけたんだけど……」
インターネットが普及する前のことだから、情報の交換と聞いて、彼に「ここでちょっと待ってもらえますか」と言って、階段を駆けあがって、僕は自分の部屋にOCSニュースの新聞をとりにいった。なんだか嬉しくて、自然と顔がほころんでくるのをおさえることができなかった。そして戻ってきて渡した。
「へーえ、こんな新聞があったなんて知らなかった。これ借りてもいいかな?」
「それもう見たんで、あげますよ」
「そう? わるいね。俺、三澤っていうんだけど、もしよければ、君の部屋番号を一応教えてもらってもいい? いろいろと情報を交換しようよ」
観光で来たとか、英語学校に通っているとか、お互いのことを少し話して、その夜はそこで別れた。
次の日、学校から帰ってきて、フロントの前を通りかかったとき、メキシカンが僕を追いかけてきた。
「なあ、マリファナをどこで手に入れたのか教えてくれよ。友達があれを欲しがっているんだ」たぶん、ロドニーのいうとおりいいマリファナなのだろう。メキシカンはエレベーターに一緒に乗り、部屋までついてきた。
僕はチェストの一番上の引き出しからマリファナを取り出して見せた。
「これ?」
メキシカンの顔が輝いた。「そう」
この前渡した分を引くと四十ドルになるが、それに加えて、はっきり言えば、ほかにもあげたり吸ったりした。でも、ひとまず反応をうかがってみた。
「五十ドルで売ってあげる」
メキシカンはオーケーと言って、お金を取りに行った。ひょっとしたら、どこかの部屋にお金を取りに行ったのかもしれない。そう思って待っていると、しばらくして戻ってきた。
僕はドアを開けてやり、マリファナを渡す前に、半ば面白がるように言った。
「マイ ファーザー ヤクザ」
その声をさえぎるように、「アイ ノウ アイ ノウ」と、メキシカンはすばやく胸に十字を切った。
僕はマリファナを渡してやり、ドアを閉めた。
50ドルが戻ってきて、なんだか少し得をしたような気分になった。