第16話

文字数 3,821文字

マリファナが欲しくてロドニーに電話をかけると、彼はこう言った。


「ホワイ?」  


「アイ ドント ノー」と僕は答えた。


「インタレスティング?」とロドニーがさらに問いかけてきた。


まぁ、そんなところだろうな。


数日後、ロドニーに連れられて向かった先は、イーストビレッジにあるアパートだった。玄関先の階段を上り、ロドニーが呼び鈴を鳴らす。


アメリカ人の男が出てくると思っていた僕は、日本人の女性が現れるなんて想像もしていなかった。


ドアを開けたその女性は、ロドニーにハグをした後、僕に顔を近づけて聞いてきた。


「君、マリファナが欲しいんだって?」


そして「悪い子ね」と言った。


僕はとっさに目をそらすことができず、どぎまぎして赤面していくのが自分でもわかった。


部屋に招き入れられ、靴を脱いで上がると、奥のベッドルームから上皿天秤を持った日本人の男が姿を現した。僕は軽く頭を下げて挨拶し、ソファーテーブルのあるリビングの床にあぐらをかいて座った。そして、周囲を見回しながらもおとなしくしていると、男はロドニーに英語で話しかけていた。


「今月の家賃、入っていた?」


「ああ、入っていたよ」とロドニーが答えている。


どういうことなのか聞いたら、こんなようなことだった。


昔、ロドニーは日本人の彼女とここで暮らしていた。しかし、その彼女が日本に帰ってしまい、ロドニー一人では家賃を払えなくなったため、このカップルに部屋をまた貸ししているのだそうだ。


ソファの背もたれのクッションの中に隠されていたかなりの量のマリファナが入ったビニール袋を男が取り出し、どれくらい欲しいのか僕に尋ねた。僕は左に視線を向けた。すると、ロドニーが言った。


「どれくらい欲しいんだ? 五十ドルくらいか?」


ここまで来て言うのもなんだけど、そんなに欲しかったわけでもないから「二十ドル……」と僕は言った。


すると、みんなが「それっぽっち?」と拍子抜けした様子だった。


男が洗濯バサミくらいのパイプに葉っぱを入れ、ロドニーに「試す?」と手渡した。


パイプを受け取ったロドニーは、ライターで葉っぱに火をつけ、煙を吸い込んでから、深く胸にためて、僕の顔に向けて煙を吐いた。


見ていた二人が笑った。


僕は煙をはたきながらロドニーに言った。


「地獄に行っちまえ!」


ロドニーが「いいマリファナだ」と言うと、同感のしるしに女が何度もうなずいた。


こんなに良いマリファナを二十ドル分しか買わないのはもったいないとロドニーが言うので、思い切って五十ドル分買うことにした。


男が上皿天秤で測り終え、「はい」と手渡してきたポケットティッシュほどのパケには、葉っぱがはち切れんばかりにパンパンに入っていた。


「おまけしておいたから」


アパートを出た後、ロドニーに付き合ってもらい、セント・マークス・プレイスでパイプを買った。ビデオ屋の隣にある怪しげな店のショーケースにはさまざまなパイプが並んでおり、一番安いものを選んで購入した。その後、ロドニーといくつかのレコード屋(CD)をはしごした。


帰り際、今度はコカインが欲しいと思いながら「アイ ウォント コーク」と言った。すると、ロドニーの顔が一瞬ひきつり、まるで「よく見ろ、黙れ!」と言わんばかりの表情を見せた。


振り返ると、ロドニーの斜め後ろに警官がいたので、急いで言い直して「アイ セッド コカコーラ!バッドヘッド!」と言い返したら、ロドニーは笑顔を僕に見せた。


次の角を左に曲がり、警官が通り過ぎたのを確認してから、再びコークが欲しいと言うと、ロドニーは「良質なものを手に入れるのは難しい」と言った。「それに、本物かどうかをどうやって見極めるんだ?」でも、本物か偽物かなんてどうでもよかった。ジャンキーじゃないんだから。


ただ、こうやって買いに行ったりするのが、妙に楽そうに思えただけなんだよ。何か変わった経験を求める好奇心のようなものが起こっていたというかさ。それでもともすれば、捕まってしまうんだけど。でも、そんな心境だったんだ。


ロドニーと別れてホテルに帰ってきたころには、すでに建物は闇に覆われかけていた。三階でエレベーターを降り、汚い廊下を歩いてバスルームの前を過ぎると、僕の部屋がある左側の狭い通路から、例のメキシコ人の男(以下メキシカンと呼ぶ)が現れて、「ハーイ」と言って僕の横を通り過ぎていった。


僕は、合鍵を使って部屋に入られたと思い、彼を呼び止めた。


メキシカンは「何だい?」と笑顔を向けてきた。僕が「俺の部屋に入ったか?」と聞くと、メキシカンは「何だって?」と興奮しながら近づいてきた。「何で俺が君の部屋に入らなきゃならないだい?」と声をうわずらせて言った。


僕は部屋に入られていないか確かめようと思い、奴を部屋の前まで引っ張って来て、ドアに鍵を差し込んで開け、電気をつけた。


パチン!


「ワーオ」とメキシカンが部屋の中に一緒に入ってくると、「このテレビは君のかい?」


そう言って、狭く汚い部屋の中で異彩を放っていた新品のテレビデオに目を奪われ、半開きの口元に指を咥えながらリモコンの電源ボタンを押し、ベッドの縁に腰を下ろしてトークショウを見始める。


僕は、盗まれている物がないかチェックした。デスクの引き出しからチェストの中までくまなく捜した。大丈夫そうだったので、もう帰ってくれと言った。すると、メキシカンはリモコンを後ろに隠し、「待って、これだけ見せて、いいだろ?」とテレビの画面から目を離して僕を見たが、すぐにまたテレビに視線を戻した。


そんなメキシカンを見ていると、今度外に出ている間にこのテレビデオを持っていかれるんじゃないかという不安が頭をかすめる。なんてったって、ここはニューヨークだからさ。そこであることを思いつき、僕は着ていた革ジャンを脱いで椅子の背もたれに掛けて座り、「ねえ」と聞いた。「マリファナ吸ったことある?」


メキシカンは目をテレビに釘づけにしたまま答えた。「何回もあるよ」


僕は鼻で笑ってウケた。


すると、当然のような口調でメキシカンが僕を見ながら言った。


「マリファナだろ。吸ったことなら何回もあるよ」


僕は聞いた。「どこで?」


メキシカンはあきれたように首を振り、両手を広げて答えた。


「いろんなところでさ!」
 

なんとなく平手打ちをくらわせてやりたくなった。でも、もしこう言ったらメキシカンはどうするだろうと思って、僕は声をひそませて聞いた。


「ドゥ ユー ノー ヤクザ?」


メキシカンは明らかにオマンコの時とは違う、不安げな表情で聞き返してきた。


「ヤクーザ?」


僕は謎めいた含み笑いを浮かべながら言った。


「マフィアみたいなものだよ」


昔、飯島っていう奴が僕のところに来て「大野、絶対に言っちゃだめだぞ」ここで言っちゃってるんだけど、飯島の話では「あいつのお父さんヤクザなんだってさ、お母さんから絶対に開けちゃいけないって言われていた押し入れを開けたらーー」なんと拳銃がいっぱい出てきたとそいつから聞かされたらしい。「それで、あいつ俺たちと飲んでる時に泣いちゃってさ、俺どうしていいか分からなかったよ」


証拠があるわけでもないから、ホントかどうかなんて誰にもわからないけど。でも、ある日、そいつが押し入れを開けてみたら、拳銃がたくさん出てきたんだって。それを聞いた時は、心の芯からうそ寒さを感じた。そいつの身の上話はいかにも陳腐でさ。けど、矢崎は興味をそそられたらしく「そういう裏の世界もあるんだな……」なんて言って、ちょっとした畏怖の念を抱いていた。


だからこそ、そいつも話したんだろうな。それが奴の手なのさ。


いずれにせよ、メキシカンにヤクザを知っているか聞いて、彼が興味を持ったのを見て取ると、僕は秘密を打ち明けるようにささやいた。「誰にも言うなよ」ーー実はね、「マイファーザーはヤクザなんです」怖さを強調するために、わざと身震いしてみせた。


メキシカンは不安と疑惑が入り混じった口調で聞き返した。


「ユア ファーザー ヤクーザ?」


僕はその言葉に笑いをこらえなければならなかった。おかしさが入り混じった気持ちで相槌を打ち、ヤクザの真似をしてみせた。指で拳銃を作ってバンバンしたり、刀を抜いて切る真似をし、すぐにおおげさなジェスチャーで切られた側の芝居をした。あとはヤクザが小指をつめることも身振り手振りを交えながら話し、小指が取れるマジックなんかも披露した。そして、マイファーザーがヤクザだと信憑性を持たせるために、革ジャンのポケットからマリファナを取り出してメキシカンの鼻先にちらつかせて、見せびらかしたというわけだ。


今振り返ってみると、これで畏怖の念を植え付けられたかどうかは疑問に思うが、当時の僕は現在の僕に輪をかけてバカで、おまけに空威張りで、うぬぼれ屋で、ホラ吹きだったから、しめしめと思いながら、五分の一ほどの葉っぱをティッシュに包んでやった。メキシカンはちらっと僕を見つめ、その様子をじっと見ていた。


僕は小さく微笑を返すと、「はい、あげる」と言った。


メキシカンはまたチラッと僕を見つめ、それからにこりとした。


「サンキュー!」


「そのかわり」と僕は言った。「俺の部屋には絶対に入らないでくれよな、OK?」


メキシカンは、指を組み合わせて十字を作った。そして、「神に誓って」と言いながら、これまで見せたことのないチャーミングな笑みを浮かべると、僕をハグしてから部屋を出ていった。










     
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