第13話

文字数 1,732文字

引っ越して来て、一週間ほどが経ったある日の夜、地下にあるランドリーを使うのが二回目くらいの時のことだ。洗濯が終わり、洗濯物を乾燥機に移し変えようとしたら、白かったはずのヘインズのTシャツが赤茶色に染まっていた。


Tシャツを広げて呆然としている僕に、洗濯をしにきた白人男性がどうしてこうなったのか説明してくれた。けれども、英語なので何を言っているのかまったくわからなかった。


赤茶色に染まったTシャツを見たその白人男性は、結局洗濯をせずに帰って行った。


今思えば、ただの濁り水だったのかもしれないけれど、その時の僕には、どういうわけかそうは思えなくて、その場で途方に暮れながら立ち尽くしていた。赤茶色に染まったTシャツをゴミ箱に投げ入れ、リーバイスのジーンズだけを乾燥機に放り込み、テーブルの上に座って乾くのを待った。


待っている間、このことをリディアに聞こうか迷ったが、結局聞かなかったので気分は晴れなかった。


数日後、学校の帰りに吉見政二のアパートに立ち寄り、その話をしてみた。


「何それ?」と吉見政二が言った。「そんなことありえないよ」


紙パック入りの牛乳を冷蔵庫から取り出し、肘で冷蔵庫のドアを閉め、キッチンに置いてある皿とコーンフレークの箱を抱えながらテーブルの席に座った。


皿の中にコーンフレークを入れた吉見政二は「もしかするとあれかもよ、水道管が古いのかもよ」と言いながら、牛乳をドボドボ注いだ。スプーンをキッチンに置き忘れたことに気がついて、僕が取ってあげると、彼は微笑んで「ありがとう」と言いながら、コーンフレークを口に運んだ。


「どうしたらいいですかね?」長居するつもりがなかった僕は流しに寄りかかったまま尋ねた。


吉見政二が口をもぐもぐ動かしながら言った。「もう少し様子を見たら? だって、大野君、引っ越したばかりでしょう?」ミルクをすすりながら皿の縁からこちらを見ている。


「そうなんですけど……」僕は吉見政二が食べるのを何となく眺めていた。


コーンフレークをもう一口、音を立ててすすり、食べ終えた皿を手際よく洗って水切りに置いた後、キッチン脇のカーテンで仕切られた自分の部屋に吉見政二が入って行った。なので僕もそちらに移動した。


机の前に腰を下ろしながら吉見政二がデスクライトをつけると、大学の授業かなにかでパソコンで作ったという、どこかのお店の広告のようなものを見せてきた。


「大野君、こういうのに興味ある?」


「ないです」と答えた。


「ない? でも、パソコンはできるようにしておいた方がいいよ。これからは必要になってくるから」吉見政二が言った。「大野君何かしたいこととかないの? 勉強は? ちゃんとやってるの? 大野君なんかデートする相手がいないんだし、セックスもしないんだから、勉強する時間はたくさんあるでしょう。英語が話せるのと話せないのとじゃ将来つく仕事が変わってきちゃうよ。せっかくニューヨークにいて、英語を話せる環境にいるんだから、もっと頑張ったほうがいいと思うよ。まあ、確かに、大野君の年齢じゃあ、なにやっていいのかわからないのもむりないけど。だって僕もわからなかったもんなぁ。でも、僕の場合ニューヨークに行くっていう目的があったから、とりあえずは英語をきちんと勉強したけどね。大野君目的ないでしょう? 毎日オナニーばっかりしてるんじゃないの? 女の子とセックスしたいとか、デートしたいとか、そう言うのは目的とは言わないからね」


「オナニーすると眠くなりませんか?」僕はそう聞いた。


「誰が? 僕?」と吉見政二が呆れたような笑い方をした。「何言ってんの、眠くなんかならないよ。逆に目が覚めて勉強がはかどるよ。それにオナニーなんかもう何年もしてないしね。だって毎朝女の子たちに整理券を配るくらいエッチの方は充実してるから、眠いなんて言ったらその子たちに叱られちゃうよ」


僕は、「帰ります」と言った。


「そうだね、また何かあったら連絡ちょうだいよ」と吉見政二が立ち上がり、小馬鹿にしたような顔で僕に言った。「大野君、あれだよ、性病にかかっちゃいましたとか、そういうので僕のところに来ないでくれよ」


僕が弱々しく微笑み、ドアを開けて外に出たとき、空はどんよりと曇っていた。
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